白蛇の睥睨

1/1
前へ
/63ページ
次へ

白蛇の睥睨

 千迅と亜沙美の峠レースが決まり、このみが進発して約30分が経過した。  長いと言う程ではなくも短いとは言えないその間、ヘルメットを装着済みの千迅と亜沙美はエンジンのかかった各々のマシンに跨り、腕組みをして。その姿は、(あたか)もサーキット場でブルーシグナルを待つレーサーのそれだ。 『ゴールに到着したよ。コース上に大きな異物無し。ゴールはさっきと同じ「有間峠」の礎のある展望台だよ。スタートはそこから3Kmほど進んだ、両脇に駐車スペースのある道路だよ。全長は……約7Kmってとこかな』 「……了解」「うん、分かったっ!」  亜沙美を加えた新たなグループ通話にこのみの報告が流れ、その亜沙美と千迅は各々返事をした。  総距離は紅音との競争時と同じ程度だが、コースは有間峠の礎から有間ダムまでとなり、千迅も全力走行は初めてとなる。条件的にはほぼ同じだと言って良かった。  それぞれ応答した2人は、ゆっくりと個々のマシンを発進させる。千迅はホンダ製CV-900ZR、亜沙美はカワサキ製ZX-Ⅱ1000。互いに良好な排気音を発しながら、秋の有間峠を秩父さくら湖方面へ走り出した。その後を、紅音、貴峰と鈴、沙苗、裕子が追走する。  見事な紅葉に秋晴れの空。純粋な紅葉狩りならば、これ程に良い日柄も無いだろう。しかし5台のバイクは、明確に別の目的をもって一列となり疾走する。  6台の大型バイクを駆る華奢な7人の少女のシルエット。流線型のボディを持つマシンをしなやかな肢体の彼女達が操縦する姿はアンマッチなのだが、鉄騎を操る戦乙女の様にも見えて幻想的ですらあった。  スタート地点に達するまで、千迅達に会話は全くなかった。亜沙美が部外者である点と、これからバトルに臨む緊張感から、気安い会話が出来る空気ではなかったのだ。 『……亜沙美さん、千迅。……準備は良い?』  ここで漸く、紅音が千迅と亜沙美へ話し掛けた。普段なら気軽に声を掛けたであろう千迅だが、流石に今はスタート前でピリピリとしている気配がその場の誰にも伝わったからだ。 『……ええ、いつでも』 『……うん、大丈夫』  その問いに対して、2人は言葉少なく返事をする。ヘルメットの下の表情は伺い知る事が出来ないものの、そこには集中力を高めて引き締まっている様子がありありと感じ取れた。  その雰囲気から、紅音と千迅が行った峠レースの時よりも緊迫感が高まっている事を5人とも肌で読み取っていた。 『それじゃあ、行くわよ! このみ、何かあったらすぐに連絡お願いね!』  そんな空気を払拭するように、貴峰が殊更明るく大きな声を発した。それと同時に、彼女の前方を走るからこれまでにない気迫が発散される。 (ふふふ……。結局、紅音もやる気なんじゃん)  その様子を察して、沙苗は忍び笑いを浮かべた。奇しくもその考えは貴峰も、そして裕子も同じであった。  一見理知的である紅音だが、その実は熱くなりやすく負けず嫌いである事を、鈴を除いたこの場の誰もがすでに知っていたからだ。 『Ready……Goッ!』  今にも飛び出してしまいそうな千迅達の気勢を抑えるのに限界を感じていた貴峰は、彼女達が欲して止まない言葉を高らかに告げる。それと同時に千迅、亜沙美、紅音の順で、彼女達の愛機が一層の咆哮を上げ即座に加速したのだった。  甲高い爆音(エグゾーストノート)が、赤く染まる山間に木霊する。その山間を縫うようにして蒼、銀、そして紅に塗装されたマシンが駆け抜けてゆく。 「く……あははっ!」  先頭を行く千迅は、これまでにない圧迫感を後方より受けて、苦悶しつつも思わず失笑していた。  まだ走り始めて間もなく、千迅としてはまだまだ様子見と言った処だ。道も比較的緩やかで、峠道特有のキツイコーナーが連続する区間には至っていない。  それは、後に続く亜沙美も同じだろう。相手の技量を見極めない内は、如何にスピードで上回っていてもそう簡単に抜こうとは考えないものだからだ。  しかしそれでも、千迅が亜沙美から受けるプレッシャーは尋常なものではなかったのだ。それはまるで、後方からもっと速く走れと押されているかのようだった。  もしかすると、亜沙美にはそんな気など更々なかったかも知れない。不慣れな一般道の峠道で無闇に煽る事の危険さを、亜沙美が知らないとは考えられないからだ。 (もう抜きに行くなんて……)  だが後方の紅音から見ても、亜沙美が千迅へ攻撃を仕掛けている事は良く分かった。亜沙美本人が意図してなのかどうなのか、彼女からは明らかに攻撃的な気が発せられていたのだ。  白を基調としたヘルメット、乳白色のライダースーツ、白銀に煌めくZX-Ⅱ1000。そしてメットの後部より溢れ出し風に靡く白青色が秋の陽ざしを映して白く輝き、彼女から発せられる気勢は恰も首を擡げた白蛇の様だ。  それは、後方よりその様子を伺っていた紅音が思わず身震いするほどの圧力だった。 (……こりゃ、駄目かな?)  そしてそれは、前方を行く千迅も同様だった。いや、寧ろ後方よりその圧を受け続けている千迅の方が、より強く亜沙美の気配を感じていたのだった。  まだコースも2Kmを過ぎたほどで露骨に攻めては来ていないが、右に左に厳しい峠道となり抜くポイントも定かではないと言うのに、亜沙美のマシンは千迅のインに前輪を滑らせ、外側よりその姿をチラつかせる。実際に見えなくともマフラーの咆哮、路面に映る自分ではない影、レーサーマシンには付いていないサイドミラーに映るその形貌と、容姿を目視しなくともヒシヒシと千迅へ亜沙美の存在感をアピールしていた。  千迅も不慣れなブロックラインを駆使しつつ亜沙美の頭を抑えようと四苦八苦していたのだが、早々にそれも限界を迎えようとしていた。 (……こんなものなの?)  迎えた右回りのヘアピンコーナー入り口で、亜沙美は驚くほどすんなりとインを取る事に成功していた。そろそろ仕掛けようと考えていた彼女にしてみれば、余りにも千迅の潔さが良いので拍子抜けしたくらいであった。 (……それならもう、抑える必要なんて無いわね)  挑戦して来た千迅を躱したのだ。これ以上、ダラダラとを演じる必要などない。亜沙美はそう考えて、下がった千迅を更に引き離そうとスロットルに力を込めたのだが。 (……なに?)  ふと目にしたサイドミラーに、千迅とは違う赤い影が追随しているのが確認出来たのだった。  後方を追走していた紅音は、早々に千迅が。千迅のライディングスタイルを知っている者であれば、そう考えるのも当然だろう。  ハッキリ言って千迅は、ブロックしながら走り続ける事を得意としていない。後方から猛追するか、先行して一気に逃げ切る事を得意としていたのだった。  そもそも、そんな彼女が何故率先して先行しているのか、紅音には疑問だった。明かに格上だと分かる亜沙美に対して、後方より抜くスタイルの方が千迅には向いているのだから。 (……まぁ、何も考えていないんでしょうけどね)  その理由を、紅音はそう考えて完結していた。そしてそれは、全くもってその通りだったのだ。千迅の方もそれに気付き、右回りのヘアピンコーナーで亜沙美に道を譲るつもりなのだろう事が見て取れていた。 (……なら!) (紅音ちゃんっ!?)  千迅を躱した亜沙美が立ち上がり、その後を千迅が追いかける様に加速するその瞬間を狙って、紅音は千迅のイン側へと自身の愛機である赤いVFZ-100Rのフロントをねじ込んだ。  強引だがインを取られた千迅は、抵抗することなく紅音にイン側を譲りその前後を入れ替えたのだった。 (ヨーロッパで鳴らしたって言うレベル、見せて貰うわ)  冷静を旨としている紅音だが、元来そこまでクールではない。どちらかと言えば、その根底は千迅に近いのだ。  その紅音が千迅と入れ替わり、亜沙美へと襲い掛かったのだった。 ※作品は全てフィクションです。実際の公道では交通ルールを守り、事故には十分注意して運転して下さい。
/63ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加