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波乱の幕開け
特に意図した訳ではない。無論、レース前に協力関係を確約したという話でもない。
「……ほう。間宮も同じ事を考えたか」
「うっふふ……。今回だけ……だけどね」
ただトップライダーの思惑は、時に利害の一致をみる。そしてその結果、同じ目的の為に自然と共闘しているような動きとなる事も少なくないのだ。
勲矢那美がそう考えたように、間宮乃彩も今回のレースに勝てなくとも、その次のレースでプレッシャーを与えようと考えたのだった。
その結果、乃彩は後方から執拗にアタックを行い抜き去ろうとするSRCの第2ライダー、入江綾子をガッチリとブロックし前へ行かせない。そしてその御蔭で、那美は自由なライディングが可能となり、それはそのままラップタイムにも影響していた。
「勲矢那美。……動き出したわね」
「……後続は……何をしているの?」
そしてその事実は、前を行く2人のライダーにも逐一報告され、ある程度予測していたSRC第1ライダー岸本美沙は更に気を引き締め、KMR第1ライダー漆原凛子は思わず毒づいていたのだった。それも当然の話かも知れない。
確かに、タイムアタックでは美紗が那美や千晶を抑えてトップに立った。しかも、これまでのコースレコードを大きく上回るタイムで……だ。
そして凛子も、今の時点で大きく那美を引き離し、美紗とデッドヒートを繰り広げている。彼女は元来、タイムアタックよりも本番に強いタイプなのだ。
だがそれは、何も凛子に限った話ではない。
『おおぉっとぉっ! 7周目に入り、ファステストラップを叩き出したのはHRTの勲矢那美選手ぅっ!』
レースも1/3を消化し、これからトップ争いが熾烈となるであろうという時に、那美は前を行く2台を猛追しているという姿勢を結果で示した。
そしてその事が、スタンドの雰囲気という副次的効果に変化を齎す。……その結果。
『まだレースは1/3を過ぎたばかりよ。慌てる必要はないと思うけど?』
『それはそうだけど……。新マシンを導入して、HRTやYRFに負ける訳にはいかない事は理解しているわよね?』
『……私は負けないわ』
SRFのチームマネージャーと美紗の間で、このような会話が交わされていたのだった。
元来、こんな話をレース中のライダーと行う事は異例と言っても良い。ライダーの集中力を乱すような発言をピットが行うなど、愚の骨頂と言っても過言ではないからだ。
それでも、首脳陣が慌てるのも無理からぬ話ではあるのだ。それが分かる美紗だから、語気を荒げる事もなく務めて冷静な返答を行っていた。
もっともどのチームでも、どんなライダーもその様な対応が可能かといえばそんな訳はない。
『今……そんな話をしている場合?』
『分かっています。ですが、これはチームの沽券に関わる……』
『本当に勝たせたいなら……黙っていて』
『なっ……!? あなた、誰に向かってそのような……!』
『く……くふ……あははは……ぎゃあっはははっ! 黙れっつってんだよっ! 今は私のレース中だよっ!』
『……っ!?』
このように、ピット側とライダー側で会話が成立しないのもままある事だった。ただしこの場合は、凛子の方に理があるのだが。
それでも、共に第1ライダーを任命されるほどの実力を持ち、当人たちにもその自負がある。美紗と凛子は、十分に温まってきたタイヤに物を言わせて、互いにペースアップを試みたのだった。
レースは10周を過ぎ、半分を消化した。タンク内のガソリンも程よく減り、路面やタイヤの温度も申し分ない。各ライダーは、これから終盤にかけてより上位のポジションを狙えるように動き出すタイミングでもあるのだ。
そしてそれは、様々な波乱が巻き起こる切っ掛けと言っても良かった。
『おぉっとっ! ゼッケン9のマシンが130Rで転倒ぅっ! そしてS字カーブ入り口では、ゼッケン11のマシンがコースアウトっ! そのまま停車しているぞっ! マシントラブルかぁっ!?』
パワフルなマシンに振り回された結果、コントロールしきれずに転倒する者。そんなマシンに付いて行く為にピーキーなセッティングをした挙句、エンジントラブルを起こす者など、脱落者が続々と現れていた。
そしてそれは、何も下位ライダーだけに起こっている事象ではなかった。
「……くぅ。一気に突き放しに……来た」
12周目。先頭を行く美紗は、勝利へ向けてペースを一段とアップした。そのスピードには、それまで背後を追走していた凛子も下を巻くほどである。
S字コーナーを経てV字コーナー、そしてヘアピンカーブと、何とか引き離されまいと速度を上げていた凛子だったが。
「スリップに……付けない!?」
僅かにヘアピンコーナーの脱出速度に差があったのか、続くダウンヒルストレートではスリップストリームに付く事が出来なかったのだった。
新型マシンとして、RGBγと同様にパワフル且つそれに見合う足回りを獲得したZXR-09RRだが、それも完全に同等と言う訳ではない。ストレートに臨む加速とトップまでの時間がほんの僅か劣っていたのだ。
その結果、ピッタリと真後ろに付く事で得られる筈の空気抵抗の低減とパワー抑制の効果が得られず、独自のパワーで走行を余儀なくされる。そして長いストレートでは、それはそのまま純粋なパワー勝負となる。
そうなれば、単純に数字としての馬力が物を言う。長いストレートで、凛子のマシンは美紗のマシンに僅かな……それでいて決定的だとも思える差をつけられたのだった。……少なくとも、凛子にとっては。
「でも……負けられ……ない」
口調により、その時の性格が変わっている事の分かる凛子だが、今のこの物静かな呟きは落ち着き冷静な時のものだ。そんな状態の彼女であっても、先ほどのピットでのやり取りにもある通り、引くに引けない場面と言うものがある。今がその時なのだ。
そして、それは他のライダー達も同様だった。
「うわっ……きゃあっ!」
新型マシンを与えられて、それでも上位に食い込む事の出来ない焦りからか。それとも、マシンの性能を把握しきれず、または扱い切れなかったからなのか。
130R。緩やかに見えてキツく、加速出来そうでそれを許さない魔性のコーナーである。
世界的に有名な「鈴鹿サーキット」の130Rはバックストレート直後に出現し、速度を誤ったライダーやドライバーを幾人も呑み込んできた。
この「ツインリンクもてぎ」の130Rは30Rの第5コーナー直後に出現する為、減速で失敗する事は少ないだろうが、逆に加速でミスを犯す者が少なくなかった。
『おおっとぅっ! ここでゼッケン13、SRCの入江選手転倒だぁっ!』
長く間宮乃彩の後塵を拝し、抑え込まれ続けてきた鬱憤からだろう、綾子は130Rの頂点を過ぎて加速する丁度その時に後輪のグリップを失い、そのままマシンをコース外へと滑らせるように転倒したのだった。
(……何やってるのよ)
その事を無線で知った美紗は、小さくポツリとそれだけを心の中で呟いたのだった。
同じチームで同じマシンを与えられ、このレースに掛ける意気込みは美紗に劣るものでは無かっただろう。しかし自制が利かず、少しでも速く加速したいが為にアクセルの開放を早めてしまう。凄まじいパワーを持つモンスターマシンであるが故に、ほんの僅かなリズムの狂いで容易にコントロール不能へと陥るのだ。
そしてそれは、何も下位を走るライダーばかりに襲う事ではない。
ペースを上げた美紗に離されぬよう、凛子もまた必死の追走を見せる。残り周回数を考えると明らかに早く、彼女にとってはロングスパートにも似た行為だ。だが、これには明確な理由があった。
本気の走りともなれば、ラップタイムが厳然とした差となりライダーに圧し掛かる。トップを走っていれば前方には障害となる者もおらず猶更だろうか。
そして前を走る美紗は、このコースで圧倒的なコースレコードを叩き出しているのだ。マンツーマンでの競い合い状態でしかも前を走られては、その差は埋まるどころか開けられて当然だろう。
(それでも……今ここで……離される……訳には)
美紗がどれほどの力を使ってペースアップしているのか凛子には分からないが、彼女にとっては余力など殆ど無い、全力に近い走行だった。
それが功を奏しているのか、開かれようとしていたその差は少しづつ縮まる傾向を見せていた。そしてそれを、徐々に後方のZXRが近付いている事を美紗も感じ取っていた。
そんな集中と焦りが混同する直後に、それは起きたのだった。
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