最後だから

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 思えば物心ついたときから、妄想ばかりしていた。  雨の日は傘で雲の上まで飛べたし、海水浴に行けばいるかと水平線まで泳いでいった。そうそう、クラスで1番体の大きかったガキ大将を、人差し指一本でぎゃふんと言わせたこともあったっけ。  それが高校生になる頃には、異世界転生なんてお手のもの。それを仕事にすることに、なんの疑問も抱かなかった。  「若きラノベ界のエース」なんて呼ばれて、随分と調子に乗ったことを覚えている。  毎日毎日、朝も昼も夜も妄想に明け暮れていたけれど、僕の脳みそはそれに飽きることはなかった。現実と妄想世界だったら、妄想世界にいた時間の方が断然長かっただろうな。  だからこれは、僕が初めてする、現実的な妄想。そしてきっと、最後の妄想。    そうだな、特別美人でなくてもいいから、優しい人と一緒にいられたらいい。なんせ、僕は1日の大半を妄想して過ごしている。そんな僕でも、笑ってそばにいてくれるような人がいたら、最高だ。子供は無事に生まれてくれたら、女の子でも男の子でもいいな。まあ、これは妄想だから欲張りにっと。1人ずつ、いたら嬉しいな。そして花が好きな僕の奥さんは、きっと小さくてもいいから庭のある一軒家に住みたいと言うだろう。だから、僕は少し無理をしてでも住宅ローンを組む。うん、なかなかいい感じだ。現実味がある。ちょっと生意気で、でも気の優しい長女と、まだ泣き虫だけど好奇心旺盛な長男。そんな2人の成長を、のんびり笑う奥さんと見守っていく。  長女は中学校で吹奏楽を、長男は小学校のクラブ活動でサッカーチームに入り、それぞれの世界を広げていく。そんな日常が、ずっと続いていくーー。  ……続いていく、はずだった。あれ? 調子がおかしい、のか? いつもだったらこんなところで終わったりはしない。ちゃんとクライマックスが来て、そして感動のラスト。あるいはバッドエンドを描いたこともある。それなのに、さっきまで鮮明に描けていた妄想が、テレビのスイッチを無理やりオフにしたように、ぷつりと途絶えてしまった。 「……さん!」 「……いてください! 処置を……」 「いやだ! ……ないで!」  なんだか周りが騒がしい。こう騒がしいと、妄想も捗らないんだ……! 僕は拳をギュッと握る。そのとき、手のひらに柔らかな感覚を感じた。そっと目を開ける。 「「お父さん!!」」 「あなた!」  なんだ、みんなして。ふと脳裏に閃光が走る。  信号待ちをする僕に、猛スピードで向かってくる黒い塊。  ……そうか。これは現実なんだ。妄想なんかじゃない。  最近ますます生意気さに磨きがかかっているが、好きなことに熱中する姿はどこか僕に似ている……なんていうと怒るけれど、そのやりとりすら愛おしいと思える長女。サッカークラブで初のレギュラーを取ったのは確か半年前くらいか。それからぐんぐん背も伸びて、声も低くなりつつある長男。  そして、いつだって僕のそばにいてくれた、あの日よりも少しだけしわの増えた、僕の大好きな大切な妻。  ああ、そうだった。僕には現実に、こんなにも素敵な家族がいたんだった。長いこと眠っていたからつい忘れかけていたよ。なんて言ったら、君はいつものように「また妄想に浸ってたのね」って笑ってくれるだろうか。  今週末の庭掃除、手伝えなくてごめん。ずっと行きたがってた、パリに連れて行けなくてごめん。君を主人公にした小説を、書けてなくてごめん。子供の成長を、一緒に見守れなくてごめん。……君のそばに、いられなくなってごめん。  ああ、悔しいな。これが妄想だったら、どれだけいいだろう。だけどどうやら、現実みたいだ。もう時間がないことを、本能的に悟っている。  最後に……。そう、最後なんだ。最後なんだから、ちょっとくらいかっこつけたっていいじゃないか。僕の妄想が生み出した最高にキザなキャラクターたちが決まって使う、でも現実の僕には小っ恥ずかしくてついぞ言えなかったセリフを言ってやろう。 「愛してるよーー」
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