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恋の終わりに、思い出は必要か不要か。
私はいらない派だけど、海野さんはどっちだろう。少しだけ切ない、でも満足そうな笑み(私にはそう見えた)をたたえて、部署に帰って行った海野さんを思い出す。
奇しくも最後の最後に関わり合いがあったのは、思い出として喜ばしいことだったのだろうか。
────なんて私が言うのは傲慢かな。
定時を少し過ぎ、愛と麻衣と待ち合わせて会社を出る。
今夜は、海野さん事件を酒の肴に女子会だ。こんなおもしろいネタ、そうそうないもんね。
二人の情報は昼休み終了時点から更新されてないから、午後のパソコントラブルネタ追加でさらに盛り上ることだろう。
普段は平凡さを嘆く毎日なのに、今日だけでいろんな事があった。
どの店に行くか話し合いながら、ビルエントランスの自動ドアを出る。
と、そこに海野さんがいた。
立っている。すごく真剣な、離れていてもわかるくらい思いつめた顔をして立っている。
「ねえ、くるみのこと待ってたんじゃない?」
「なんで。約束してないし、断ったし」
とは言ったものの、どう考えても私を待ってた感じ。
もしかしてクッキーひとつで変な勘違いしちゃったとか?
素直な人って思い込みも激しそうだし、刺されたりしたらどうしよう。一瞬、言い知れない恐怖が走る。
真面目なだけが取り柄っぽい海野さんに限って、と思うけど、私は海野さんのことを何も知らない。
つくづく、ストーカーと一途の線引きってほんと難しいもんなんだなぁ。警察の人も悩むわけだ。
しかし。
海野さんは特に近づいてくる様子もなく、かといって食堂でのようにモノ申しにきそうな勢いもなく、ただ、そこに立っていた。だから私たちも特に歩みを緩めることもしない。
もしかしたら情シスの送別会とかあって、部署の人たちをここで待っているのかもしれないも思ったけれど、表情はまるで捨てられた子犬のようで、何かを訴えかけているのがひしひし伝わってくる。
そんなことされたって。たとえばイエスかノーかで迷ってるわけでもないし。やっぱり好みでないものは好みじゃないし。
男の必至は見苦しいというのは私の持論。
すれ違うときに、会釈はした。
けれど、ただそれだけ。
だって、ちゃんとお断りもしたし、今日の昼まで顔も名前もしらなかった相手。パソコントラブルだって私は当事者じゃなく第三者。ここで立ち止まって交わす言葉ある? ないよ!
ぺこ。
優雅な一礼というわけではないし、それでも会釈よりは意志のある礼をして、私たちはすれ違った。
「くるみ、ほんとにいいの……?」
情に流されやすい性格の愛が言う。
「あの人、けっこうかっこいいよ?」
「いやいや、ホントに私のタイプじゃないの。ソース顔より醤油顔。犬顔より猫顔。もっと言えばキツネ顔が好きなの!」
「あー、海野さん、めちゃくちゃ犬系だよね。しかも忠犬系。まあね、悪くないとは思うけど、好きになれないものは好きになれないしねぇ」
「そうだけど」
「性格も絶対あわない感じするし」
「それは親しくなってみないとわかんなくない? ちょっとかわいそうになってきた……」
「いやいや、どっちかっていうと私の方が被害者じゃない? 勝手に告ってこられて不可抗力」
「うんうん、こういうのは非備なくらいじゃないとダメなんだよ。相手のためにも」
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