3.眩しすぎる男

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3.眩しすぎる男

 *  海野さんの存在は、他人から好意を寄せられているという自信と余裕に形を変えて、私の日常にぼんやりとした幸福感を残してくれた。  なーんかなんとなく気分いい?   って機嫌よくすごしていたのに!    満員電車の憂鬱っていうのは、ラッシュ時に電車通勤している者の定めだとは心得ている。  けど、働きにいくための道中で働く気力が削がれるって、なんかおかしくない?  そのうえ痴漢にでも遭おうものなら、もはやその日は公欠が認められてもいいと思う!  いっとき私は毎朝痴漢に悩まされていた。女性専用車両が設定されていない路線がうらめしいけど会社の最寄りも家の場所も変わらない。  服装に注意したり、時間を変えたり、車両を変えたりしたけど、やっぱり遭う。それはいつも同じ犯人なのか、毎回違う痴漢に触られているのかわかないけど、気持ちは悪いし怖いしで、もう無理と引っ越しを考えていた矢先、気が付けばいつのまにか被害に遭わなくなっていた。  ちょうどその頃、鉄道会社が積極的に痴漢撲滅運動を実行していたときだったので、そのおかげで界隈の痴漢が一斉摘発されたか、あるいは痴漢も心を入れ替えたのか。はたまたほかの鉄道会社に鞍替えしたのか定かではないけど、とりあえず平穏に通勤できていた。  それなのに、ここ数日私はまた痴漢に悩まされている。  警戒しているのに、いつのまにか近づかれて、後ろから。すし詰め状態だから移動することさえ叶わない。  マっっジで仕事やめたい。  てゆーか、女やめたい。  どこのどいつか知らないけどせめて金払え!  もう泣きそう。  なんで朝からこんな不愉快な目に遭わなきゃならないの。かといって立ち向かう勇気もない。実際、振り返る勇気さえない。声も出ない。触られっぱなしで泣き寝入りするしかない無力な自分が情けなくて嫌になる。  悔しさに涙が零れそうになった時、 「いっ、ててててて! 痛い!」  無言の車内に響く叫び声に心臓が飛び上がる。しかもすぐ真後ろでその声は聞こえて、またその瞬間、私のお尻をまさぐっていた手の感触がなくなった。  周囲がどよめき、密接状態だったところにどこから生まれたかすき間ができる。  私は振り返った。  黒いキャップに黒いサングラス。若い男だ。  いかにも怪しいこいつが憎き犯人か! と思ったら、その人はその前にいた小太りの禿げたおやじの片手をひねりあげていた。 「このスマホで動画に撮った。言い逃れはできないから」  そう言って、グラサン男がさらに拘束をきつくした。 「くそっ! いででででで!」  周りの目なんてものともしていない。  おやじの腕がさらに妙な方向に捻られ、うめきながら満員の中で膝をついた。ざわざわして辺りの人が割れる。 「気分、大丈夫ですか?」  グラサン男は犯人を拘束しつつ、私を向いて、 「あ。は、はい。……ありがとうございます」  この声って。  私服だし、サングラスで瞳は見えないけど。 「すげぇな」 「勇気ある」 「すごーい」 「かっこいい」  みんな大きな声で言わないけど、どこからともなくそんなつぶやきが聞こえてきて、殺伐としていた事内にちらほら拍手まで聞こえた時、電車は次の停車駅に着いた。  ドアが開いて、中から人が吐き出される。  その急流に巻き込まれながら、私もホームにまろびでた。 「さあ、行くぞ」  通勤客の注目をもろに浴びながら、ずんずん、おやじを引っ張っていく。 「いたいいたい……! 兄ちゃんってば痛いよォ。普通に歩かせてよ。俺、逃げないからさぁ」 「信用できるか」  おやじが引きずられるようにして行く、その後を追う。  こういう場合、私が証言しないといけないんだよね。面倒だなんて言ってられない。
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