3.眩しすぎる男

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 ラッシュの時間は過ぎ、今はすっかり平和な風が吹き抜けるホームに並んで立つ。 「くるみさんの電車、もうすぐ来ますね」  海野さんは会社に行く方面の案内表示板を見上げて言った。 「遅刻になってしまいましたが大丈夫ですか」 「連絡したのでご心配なく。海野さんはもうこっち方面じゃないですよね」 「ええ、無職なので。家に帰ります」  歯並びのいい白い歯を見せて笑い、頭をかいた。  ああ、無職。  私より若いってことはなさそう。会社辞めてこの先どうするのだろう。  無職の人間に告られたって、その時点でまず付き合うとかはないからね。好みであろうとなかろうと。 「これ以上、フラれた人間が付きまとうのは気持ち悪いと思うので、くるみさんを会社まで送りませんが大丈夫ですか?」 「気持ち悪いとかはないですけど、一人で大丈夫ですから」  私たちが朝、乗って来る方面へ行く電車が先にやってくるとアナウンスが告げている。つまり、無職の海野さんが帰る方面だ。  海野さんはかぶっていた帽子を脱いだ。 「巻き込んでしまってすみませんでした」  頭を下げる。やっぱり野球部みたい。  それはこちらのセリフでしょ。どこまでいい人なの。  ちなみに私は野球よりサッカー派なんです。 「では。……お元気で」  さわやかにそう言うと、踵を返してホームの反対側の乗り場へ向かう。 「あの!」  私は声を発していた。  海野さんが振り返る。 「海野さんって全然私のタイプじゃないんです。だから好きになる可能性はないです」  何を言ってるんだろう。こんな善人の傷に塩塗って、最低じゃん。 「だから……、でも、だけど……」  でもちょっとだけ、この『行動予想は簡単にできるけど理解はまったくできない男』を知りたいと思ってしまったのがいけなかった。  男は予想を超えて来た。  反対側のホームに入線してきた緑色の車両が起こした風に、長くも短くもない髪を舞わせながら、 「くるみさん、僕とキスできますか?」 「は!?」と発する先に、私はその腕のなかに抱きしめられていた。 「ち、ちょっと!? 何してるんですか!」  案外、抱擁は力強く、抵抗して身じろぎする。  こいつ、ほんとに何考えてんの!?  この人の常識というかすべての基準が理解不能。 「キスはしません」 「あたり前でしょッ! ちょっと! 公衆の! 面前! 放してください!」    拳で胸板を叩くこと十数回、ようやく解放される。  海野さんは一歩退き、ようやく普通の距離感になった。 「何考えてるんですか!? これじゃホントに痴漢ですよ!?」 「今、この状況でくるみさんは咄嗟に僕を突き飛ばしませんでした。それって本能レベルでは僕を恋愛対象として見れるということです。もっと言うと、子孫を残してもいいかどうか、つまりはキスできるかできないか」 「あまりに突然だったから反応できなかったんですけど!?」 「生理的な嫌悪は咄嗟の方が反応として出やすいです。少なくとも十秒は僕に抱かれてくるみさんはされるがままでした」 「それは海野さんの力が強くて……!」 「生理的な拒否でなければ、くるみさんが言う趣味嗜好は先入観と思い込みにすぎません。そもそも体臭で相性ってわかるんですよ。絶対無理な臭いがしましたか?」  私はしぶしぶ首を振る。  海野さんの言ってる臭い云々はちょっとわかる。体のニオイがダメな人は確かにいる。家のニオイもしかり。 「……海野さんって、理屈っぽくもあるんですね」  だんだん冷静になってきて、見る目が冷たくなってきた。 「えっ、そういうわけじゃ! それに雑学とか全然知らないです。『お前はものを知らない』って周りからもよく馬鹿にされて」  馬鹿にされてとしょげてる場合じゃないよ! 「そういうところも苦手です。理屈っぽくなく、さらっと雑学を披露してくれる男性が好みなんです、私」  思わず素で言ってしまった。  やだ。全然かわいくない、私! なんでこんなキャラになってんの!  海野さんは焦りを前面に押し出した様子で、 「努力します! もっと知識量を増やして、雑学をさらっと披露できるように……なります!」  必死になっちゃって。  必死(しかも女に)な男なんて、一番ダサイのに! 「……じゃあ、お茶でもしますか」  あーあ。なんでかな。言っちゃったよ。  海野さんは驚いて、みるみる大きくなった瞳をきらきら輝かせて、笑う。 「は、はい! 是非! よろしくお願いしますッ!」  帽子を取って頭を下げる。  ぜったい野球部だ。  初めて見る満面の笑みに、私は『きゅん』じゃなくて『くらっ』と眩暈。  ああ、どうしよう。よくない意味で、この人私には眩しすぎる。 終  
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