2.ピュアすぎる男

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「ホント、ごめんなさいねぇ。なおる?」 「あ、ハイ……おそらく。ちょっと、席失礼します」  おばちゃんの席に海野さんが座る。  ここにやって来る初めての機会がこのタイミングだなんて。  ほんっとに。  入社してから数えるほどの機会がなぜ今日。  私はこの再会劇で無駄に罪悪感を抱かせられる羽目になった。おばちゃん、恨むよ。海野さんも恨むなら、おばちゃんを恨みな。  コーヒーを入れに行ったおばちゃんがつまづいた線が原因のトラブルは、二、三時間の作業になるらしい。  おばちゃんのデスクに座って作業する海野さんとその隣に座る私。  針のむしろ。この半日で三キロくらい痩せそうだわ。  おばちゃんは何もできないから周りを散々うろうろした挙句、ついにはいらぬおせっかいを焼きだした。 「海野さんだっけ? ちょっとコーヒーでも飲んで休憩して」 「いえ、どうぞお構いなく」  うん。休憩なんかしてる場合じゃないし、そもそもOA機器周辺でコーヒーって、専門家にしてみればマジで嫌がられると思います。天ぷら鍋の傍に新聞紙置くようなもんだと思います。  そしてさらに、余計なことする人というのは本当に余計なことをする。  あろうことか、「ちょうどよかった、手作りクッキーいかが?」とか言いながら、あろうことか私が焼いておばちゃんにあげたチョコチップクッキーを出してきて、保存容器のふたを開けてお茶請けまで勧める始末。 「このクッキー絶品なのよー。この子の手作り! 料理も上手で、お弁当なんか毎日手作りしてきてねー。嫁にどう?」 「あの、そういうのセクハラですから……」  展開が恐ろしすぎてもう声が震えるわ。  セクハラ案件だけじゃない危険をはらんでるからね! 事情知らないからって許される発言じゃないんだから! ほんっとに今このタイミングでこの人にそれ言うのは、今世紀最大の余計なおせっかいです。 「いやいや、クッキーは手も汚れますし、ほら、作業していただてるのに、ねー。それに、見ず知らずの奴が作った手作りお菓子なんてキモチワルイ……」  止めに入った私に、海野さんは毅然と、 「いえ。気持ち悪くなんてないです。頂きます」  はっきりと大きな声で、誠実さと優しさが伝わってくる回答。  ……ですよね。  食べてくれますよね。 「頂けるなんて光栄です」  光栄と来た。  おばちゃんがご親切に差し出した除菌ウエットティッシュで手を拭いた海野さんは、私の焼いたクッキーを一枚掴んだ。  食んだときに唇から零れたクッキーのかけらを気にしながら咀嚼する。  なんだか、育ちも良さそうな食べ方。お坊ちゃんなのかもしれない。  海野さんはしばらくもぐもぐしてから目を見開く。もともと大きな目がビー玉みたいに輝いて、私を見てくる曇りなき瞳に告白事件の陰りは今は一切伺えない。   「あのこれ、チョコレートじゃないつぶつぶしたの入ってるの何ですか」 「あー、それはおそらくココナッツです」  ココナッツ……と呟いて、 「うまい! マジでおいしい」  結局、海野さんはそれからクッキーを三枚食べた。
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