特殊疼痛管理チーム

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【二章】 「入院して追加の検査を行ったうえで診断したいのですがよろしいですか?」  かかりつけの病院に紹介状を書いてもらい家から一番近い公立病院に受診すると、私より幾分か若いと思われる医師は検査入院を提案してきた。既にありとあらゆる検査は行われていたので必要ないと思うが、不思議な薬剤師に会うためには好都合だ。 「了解しました。いつから入院ですか?」 「できれば今日。今日が難しければ明日の午前中。とにかく病状は良くなさそうなので急いだほうがいと思います」 「そうなるかと思っていたので、入院の準備はしてあります」 「じゃあ、このまま入院でもいいですか? 「はい。ただ、個室をお願いします」  そのまま、病棟に連れていかれて入院となった。ここまでは順調に進んでいる。あとは運次第かもしれない。  入院病棟に案内されると担当の看護師は五十手前といった感じの丸い女性だった。もしかすると運がいいかもしれない。熟練の看護師は病院のありとあらゆる情報をしているかもしれない。 「この病棟の薬剤師ってどんな人?」 「どんな人って? 二十代の女性で優しい人かな?」  返答には若干の間があったが、何かを隠そうとするのではく、どちらかと言うと表現に困った感じだ。 「私の所にも来ますか?」 「さぁ? 声をかけておきましょうか?」 「いや、いいです」 「他になにか質問はありますか?」 「ないです」 「何がありましたら、呼んでくださいね」  そう話すと他にも仕事が沢山あるのだろうか、何かに追われるように慌ただしく病室から出て行ってしまった。 「慎重にな」  病室に一人残されると冷静さを取り戻す。焦りは禁物だ。全てを台無しにしてはならない。 「会えるといいが」 まず達成すべき課題は、その不思議な薬剤師に出会うこと。その為に私にできることは全てしてきた。 しかし、老人達の話では私と同じ四十代の男性でなかなかの気難しさを持っていると聞いている。今のところは全て順調だ。しかし、この病棟を担当する薬剤師は若い女性のようだ。この点が一番気になる。 この先、私に出来ることは静かに待つ。ただ、それだけ。高校や大学受験の合格発表ですら味わったことのない不安と期待が織り交じった不思議な感情で落ち着かない。 「こんな落ち着かない気持ちは久しぶりだな」  そう、先月余命を宣告されてから心は沈み良くも悪くも動くことはなかった。いや、動いてはいたかもしれない。ただ、釣り糸に結びつけられた鉛の重りのように、ゆっくりと着実に沈んでいく毎日だった。先程の看護師が繋げていった点滴を見ると一滴一滴落ちていくこの雫と共に私の死は近づいている。私に残された命は残り三週間しかない。その証拠に食事は徐々に摂れなくなってきている。代わりに全身を襲う激しい痛みは、私に死の恐怖を植え付けるかの如く日々増大してきている。今回の入院が最後だ。退院したら誰も居ない自宅での療養かホスピスに行かなければならない。 「これが最後のチャンス。何としても会いたい」 今日は昼過ぎから数々の検査等をこなしてから病室に入っている。残る予定は主治医の病状説明位しか残っていない。しかし、本音を言えば病状説明など必要ない。余命が多少前後したところで何も変わらないのだ。 強く願えば不思議な薬剤師に出会えるのか?とも思うがそうでもないらしい。そう、老夫婦は言っていた。 『不思議な薬剤師に巡り会うかは巡り会えるのは時の運。そして、治療を行うかは気分次第と…』  仮に不思議な薬剤師に出会えたとしても幸せになれるのではない。ただ、幸せな顔をして死ねるだけ。彼は決して病気を治すことはしない。ただ心を安らかに。穏やかにするだけらしい。しかし、今はもう、それで良いのだ。極楽浄土で両親に『生んでくれてありがとう』。そして、亡き妻に『充実した人生だった』と言える顔でいたい。ただ、それだけなのだ。会いたい。何としても会いたい。お金だろうが、何だろうが出せるものは全て出す。会うための努力など厭わない。何としても会いたいのだ。例え不思議な薬剤師の気分が向かなくても、まずは会いたい。 「はーい」 コンコンと扉をノックする音。この音に幾度となく期待しては失望してきた。午後五時五十分。夕飯の配膳に違いない。入院して四日も経てば入院生活の流れは把握できている。 「こんばんは。薬剤師の菊池です。薬の説明をしたいのですが宜しいでしょうか?」  入ってきた薬剤師は四十代男性。噂の薬剤師かもしれない。ようやく会えたのか? 萎んでいた期待が一気に膨れ上がる。 「どうぞ」 「ありがとうございます。本当はこの病棟を担当するのは別の薬剤師なのですが、一人では全ての患者さんを診きれないので代理で担当させていただきます」 「いつもは別の病棟を担当されているのですか?」 「いいえ。担当する病棟はありません。医師から直接依頼があった時や時間に余裕のある時だけ説明に伺っています。ざっくばらんに言ってしまうとバイトみたいな感じですかね?」 「そうなんですか。じゃあ、お願いいたします」 「最初に確認となりますが、副作用やアレルギーはお持ちですか?」 「いいえ」 「入院時に飲まれていたお薬は把握していますが、申し出るのを忘れている薬はありませんか?」  そうじゃない。私が期待しているのは! 私は幸せな顔で死にたい。その為の薬が欲しいのだ。普通の服薬指導を進められて苛立ちが募る。しかし、我慢をしなければならないと耐えに耐えている内に説明は終わってしまった。 「最後にお聞きします。入院中に困っていることはありますか?」  我慢の限界だ。数日後には退院する話も出ている。目の前にいる薬剤師が噂の不思議な薬剤師ではないかもしれないが、最初で最後のチャンスかもしれない。賭け事は嫌いだが、人生の最初で最後の賭けに出るしかない。ここでチャンスを逃したら二度と会えないかもしれない。 『心の処方箋』  老夫婦に教えてもらった合言葉を放つ。もし、彼が不思議な薬剤師でなければ全ては終わるかもしれないが、今が唯一許されたチャンスかもしれない。 「必要ないと思うけどな?」  菊池と名乗った薬剤師が首をひねりながら、胸ポケットに挿してある薬さじを取り出すと、下から『ノ』を描くように軽く振った。  すると、世界が一変する。無機質な病室から温かみのあるクリーム色を基調とした診察室へと世界が変わる。菊池と名乗った薬剤師は医師が診察するためにあるデスクの椅子に偉そうに座っている。 「まあ、これ飲んで」 「これは?」 「飲んで」  有無を言わせぬ感じに押されつつ、差し出されたカプセルを飲み込んだ。 「この世界のことは秘密です。決して口外してはいけません。もし、話した場合は先程の薬で苦しみながら死にます」 「ちょっと待って。聞いてないぞ」 「言ってませんからね。貴方が口外しなければ毒にも薬にもなりませんからご心配なく。そのくらいの覚悟は当然してきたのでしょう? だから、あの言葉を口にしてしまった」 「覚悟はしています。そして、失うものはもうない」 「じゃあ、問題ないですね」  一方的に進められる話に驚きは隠せない。今の時代の医療は、説明と同意。つまりインフォームドコンセントを基本とするはずだが、彼には関係ないのか? 「関係ないですね」 「えっ?!」  私の思考が読まれている? まさか? 「その、まさかですね。ここは特別な空間。治療のために患者さんが考えていることは全て筒抜けです」 「詐欺師か? それとも心理的に追い詰めるために当てずっぽうで話しているのか?」 「信じないのならば、終わりにしますよ。それでも良いのですか? 必死に探しても八年前の記事しか見つけられなかったようですが、検索方法を変えれば他に二件出てくるはずですよ」  検索して見つけた件数まで知っている! 本当に読まれていると認めざる得ない。 「わかりました。信じます」 「さて、始める前に説明します」 「説明とは?」 「規則を知らないでしょう。しかし、ここまで何も知らずに会いに来た患者さんは、貴方が初めてです。普通は基本的な規則くらいは把握してから会いに来るんですけどね」 「私には時間がなかったのだ」  私だってもっと調べたかった。十分に情報を得てから会うかを決めたかった。しかし、余命が… そして、悲鳴をあげる体がそれを許さなかったのだ。 「言わなくてもわかっていますから大丈夫。心配しないで下さい」  菊池の口調が急に柔らかな口調になる。 「説明はしますが、この部屋に入った時点で拒否権は既にないです。正確に言うと宣告に近いかもしれません」 「そんなことは、どうでもいい。早く進めてください」 「焦らず聴いてください。大切なことです」  菊池は机の引き出しから、同意書と書かれた用紙を取り出している。そして彼はゆっくりと簡略に説明を始めた。 ・当チームは、貴方の心が安らかになれるよう治療します。しかし、その結果は必ずしも保証されません。 ・期待する結果が得られなくても再治療は行えません。そして、被害の補償は行えません。 ・期待する効果が得られない確率は十%程度あります。 ・同意書にサインをしなければ治療を受けずに帰ることができます。ただし、再び治療を希望しても行えません。 ・同意書にサインをした後は、如何なる理由があっても撤回はできません。 ・当チームは治療を開始の決定をした後、必要に応じて患者さんの同意なく治療を中止することができます。この決定に不服があっても抗議は認められません。 ・如何なる理由があっても現実世界で公言したり、記録を一切残せません。万が一、行った場合はその時点で生命を失います。 ・現実世界での法的、金銭的、社会的等の一切の責任追及、補償等は行いません。 ・すべての事項を確認の上、同意し署名を行います。 随分と勝手な同意書だが、彼に依頼するしか道は残されていない。ここまで不思議な世界に足を踏み入れたのだ。道は前にしかない。そして、余命も残されていないのだ。静かにペンを取ると署名をして菊池に渡す。 「同意取得確認。只今より当チームの介入を決定しました。生まれてから現在までを順序立てて思い出してください」 菊池は、静かに私を見つめ始めた。
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