「あ、しまった」

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「あ、しまった」

 自室の窓から夕日が差し込み、僕の手を茜色に染める。手元にある学校指定のくたびれたスクールバッグの中身は空っぽだった。教科書も、筆記用具も、体操服も、財布も、携帯も無い。全て学校に置き去りにしてしまったようだ。普段であればそんなことおくびにも出さない僕でも、今回ばかりはそうはいかない。なぜなら今日からゴールデンウィークなのだ。せっかくの休みだっていうのに、学校に行って教師を視界に入れるなんてたまったもんじゃない。  善は急げと僕はだされた宿題たちを救出するために部屋を後にした。  僕の家から学校には電車一本で通うことが出来るのだが、何を思ったのか、愚かな僕は自転車をこいで学校に行くことにした。途中で迷子の子どもに付き添い、おばあさんに道案内をし、交番へ行って、ようやく学校についた時には、既に辺りに人影はなく、街灯の光が僕一人の影をくっきり写し出していた。 ふと校門を見る。本来誰もいないはずのそこには制服姿の女生徒がいた。今まで顔を見た事がないので、恐らく先輩であろうことは予想出来た。夜空に溶け込むような濡羽色の艶のある髪を風に遊ばせるその人はこちらの存在を目に止めるとふわりと微笑んだ。 「こんばんわ、先輩」 「こんばんわ、悪い子クン」  挨拶を交わした先輩は「さて後輩クン」と一言。困ったように眉を八の字にした。 「どうしてこんな時間に正門じゃなく裏門から学校に侵入しようとしているのかな?」  そう、僕らが今いるのは学校の正門ではなく裏門だ。どちらから入っても良いのでは無いかと思われるかもしれないが、僕のそれには明確な理由がある。 「そりゃあもちろん、正門には桜が咲いているからですよ」  僕の通っている学校には一本のしだれ桜が植えられている。そいつは正門の近くに立って通学する生徒に垂れかかり触れ合ってくる。ひとたびし正門を通りがかれば桜の餌食となり、身体中に桜の花弁がくっつき虫のようにくっつけることになるのだ。  先輩はそのようなことを気にしたことがないらしく、僕の言葉にかわいらしく小首を傾げた。 「んん? よくわからないけれど、まあいっか。じゃあ後輩クン、どうして君はこんな時間に学校に無断で侵入しているのかな?」  先輩は左手首を返すようにしてずいっと小さめの腕時計を見せる。既に時刻は9時を過ぎている。未成年はいい加減警察に補導されてもおかしくない時間帯だ。 「ゴールデンウィーク中の宿題を取りに来たんです。来る途中にトラブルに巻き込まれて、気づいたらこんな時間に。そういう先輩はどうしてこんな時間に学校に?」  僕の問いに先輩は視線をさ迷わせた。両手を合わせて指遊びをして、言いづらそうに吐露した。 「実は、学校で大事なものを無くしちゃってね。どうしても見つからなくて」 「へぇ、それは大変だ。ちなみに何を落としたんですか?」 僕の如何にも感情込めていない質問にも先輩は律儀に答えを返した。 「お守り…ただのお守りじゃないの。手作りでね。桜の柄のちいさな…」  そこまで話して先輩は顔を真っ赤に染め、手で小さく自分の顔をあおいだ。 「ご、ごめんね。熱く語っちゃって」 「じゃあ探しましょうか」  校舎に向かって歩き出す僕に先輩は驚きの声を上げた。まるで今の言葉が信じられないとでもいわんばかりの声。 「手伝いますよ。僕の忘れ物は僕の机の中にある。先輩のそれはどこにあるかもよく分かっていないんですから、一人より二人で探した方が効率がいい」  僕の言葉にしばし固まっていたが、すぐにふわりとスカートを揺らしながらこちらに駆け寄ってきた。
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