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早春の候
2015年3月。
雨模様が続いた月の上旬を過ぎ、ようやく空に晴れ間が見え始めた。
職場の敷地内に植えられた桜は、そろそろと開花の準備を始めているようだった。少しずつ春めいてきた一方で朝方はまだ寒くて、そんな花冷えの季節を迎えると、畑野伊織は6年前のちょうどこの時期を思い出す。といっても当時、畑野は卒業旅行でバリ島にいた。
楽しかったな、と思う。
学生時代は遊びや勉強、それにいくつものバイトにも精を出していたけれど、就職してからは、ただただ仕事に追われるだけの日々を過ごしてきたような気がする。
そうして、駆け抜けた。
もう数週間で、7年目に入る。
畑野は毎朝、正面入り口から駐車場の脇を抜けると、桜の樹の下をかいくぐって、事務棟の裏手の通用口に入る。今年の開花予想は、例年通りの3月末。職場ではその枝ぶりや蕾の様子の話題が聞こえてきて、花見の予定を語り出す者までいた。
誰もが、浮き足立っていた。
確かにこの病院において、桜は特別な存在だ。例年、4月1日の辞令交付会場には看護師を始めとするフレッシュなメンツが集まって、そこに窓から見える桜の花が彩りを添える。
とにかく、窓の景色が良かった。はらはらと散る花吹雪を、木漏れ日が美しく照らし出す。ピンク色のキラキラをバックに緊張気味の新人たちが写真に納められ、それが翌月発刊される広報誌に載るのが通例だった。
畑野自身、採用の日のことをよく覚えている。
だが今は、新採用者を受け入れる側――人事課に属していた。
その準備に追われる中で、ふと考えることがある。
仕事を通じて知識や経験は確かに増えたが、じゃあ情緒の方はどうだろうか? 学生時代から成長したようには感じないし、もっと言えば、子どもの頃から何も変わっていない気すらした。
大小さまざまな失敗や後悔を積み重ねていくうち、そんな焦燥がどんどん大きくなっていく。
その一方で、確かに時間は過ぎているのだ。
例えばそれは、実家の書棚の奥で見つけた中学校時代のノートが驚くほど古びていたことや、その1ページに確かに自分の字で書かれていた詩のような走り書きの意味を、まるで思い出せなかったこと。
そんなときに、イヤでも実感する。
時間ばかりが過ぎて、だけど私は自分以外の誰かの心を、大切にできているだろうか。自分のことで回りが見えなくなって、見過ごしてきてはいないか。
舞い散る桜の花びらを見ながら、そんなふうに畑野は憂える。
いくつ春を迎えても、あるいは迎えるほどに、未熟な情緒の在り様を知る。
かつて大切にしていたそのノートには、こんな一文があった。
"世界は、滅びながら広がっていく――"
その意味を畑野は今、推し量ることすらできない。
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