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畑野が会議室に戻ると、明日の辞令交付式の設営はすっかり終わっていたので事務室に帰った。人事課では、小菅と相本が黙々と仕事をしている。
「青野さんは、もう帰りましたよ」
小菅が教えてくれたので、「そう」とだけ答えた。
人事課は年度末、最終日でもやることは無限にあって、新採用者の労働条件通知書の確認もしなきゃならなかったし、雇用保険や離職票の準備だって途中のものがいくつもあった。
青野の担当していた業務は、こないだ決めたばかりの分担に戻づいて、三人で手分けした。
「きりのいいところで帰ろう」
畑野は二人に声をかけた。明日は新人たちを迎えるために、いつもより1時間は早く来て、受付をしなければならない。
「寝坊したら大変だしさ」
「そうですね、じゃあ相本さんも適当なところで」
「はあい」
自分から言い出したけど、畑野はまだきりの良いところまでたどり着いてなかったので、先に帰る二人を見送った。
一人きりになって、目頭をぎゅっと抑えてから、再び端末の画面に見入る。同じフロアの財務経理課や総務課も人はいなくなっていて、蛍光灯は自分の頭の上だけで光っていた。
それから1時間ほどした頃、誰かが事務室に入ってくる音がした。大きな声で「あれー、まだ誰かいるの?」と男の声がする。騒々しくて、酔っ払っているのはすぐに分かった。
「竹脇さん。戻ったんですか」
「おお、畑野かあ。遅くまでお疲れちゃん!」
「ずいぶん楽しそうですね」
忙しいときに、酔っ払いの相手はイヤだなと思った。だが竹脇は同じ係長とは言ってもかなり年配で、あまり無下にもできない。
「青野くんは帰りました?」
「帰ったよー、でも大変だったんだ。あいつ、飲みながら泣き出して」
そう言うと、はす向かいの相本の席にどかっと座った。
「嘘でしょ。青野くん、泣いたんですか?」
「よく分からんけど、最後の最後で嫌われたって、いきなり泣き出したぞ! 畑野のこと、めちゃくちゃ尊敬してるんだな。プレッシャーだよ俺、明日からあいつの上司になるの」
一瞬、その意味が分からずに畑野は呼吸が止まった。
めちゃくちゃ尊敬?
そんなことないだろう、と思った。だってあたしは、ここ数週間ずっと、彼が去った後の人事課のことしか考えていなかった。これから連携室に赴く彼の不安な気持ちに、ほんの少しだって思いを馳せたことはなかった。
畑野がそう言うと、竹脇は呆れたような顔を見せた。
「もっと長い時間、一緒に働いてたんだろ?」
「そうだけど――」
「あいつが畑野に守られてたのがよく分かる。甘やかしたな」
それから竹脇は大きな声で笑うと、ふらふらと立ち上がって事務室を出て行った。
畑野はしばらく呆けていたが、やがて仕事に向き直り、でも集中なんてできないことがわかると、仕方なく帰ることにした。
2014年度が終わってしまう、一番最後の日のことである。
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