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「係長、中埜さんの件で、相談があるんですが」
ある昼下がり、畑野のデスクまでやってきて、青野が言った。
それまでPC端末の画面を睨んでキーボードを叩いていた畑野は、ふっと顔を上げた。そうした瞬間に、カレンダーを見やる癖がついている。今日は3月18日だ。やることは多いのに遅々として進まず、1日1日と過ぎていく日々の恐ろしさを感じてばかりだった。
「中埜さんって、視能訓練士の?」
「そうです、勤務時間の件で申し入れがあって」
「また何か無茶な要求?」
面倒だなと思った。
非常勤の視能訓練士である中埜晴子は、もともと勤務時間が変則的だった。眼科医である楠本の紹介で採用となった経緯があり、当時からそれが認められていた。同じ職種のスタッフがいれば均衡の観点から却下もされただろうが、中埜の前任の視能訓練士はすでに辞めていたし、ただ1人だけの職場だったので、特例がOKとされてしまった。
「ええと、彼女が言うには」
青野が丸イスを引きずって、畑野の隣まで来た。長くなるのかなと思い、自然と眉間にしわが寄った。
彼はメモ帳をデスクの上に置いて、何やら書き始める。
「中埜さんは今、水曜日だけがほぼ全日勤務の日勤で、9:00出勤の16:50退勤。休憩時間45分を除くと、7時間5分勤務です」
「そうだったね」
畑野は記憶を辿った。
7時間5分。何とも中途半端な勤務である。しかし水曜日はまだマシなほうで、他の曜日は午前だけだったり午後だけだったりと、非常に自由な形で勤務している。
中埜本人の言いぶりでは、働かないクズ夫が約1名いて、それに加えて育児、介護を抱えており、生活のためにこの病院以外でもダブルワークをしているという。どこまで本当か分からないが、分刻みの生活だと彼女は言ってのけた。
人事課としては、できる限り、職員の実情に合わせた勤務を組みたい気持ちはある。
だが楠本医師の「特別な配慮」というところが、畑野としては不本意だった。当時は敗北したような、何ともイヤな気持ちで労働条件通知書を作成したものである。
「彼女は何て言ってるの?」
「退勤をあと1時間うしろにズラしたいそうなんです」
「理由は?」
「水曜の夕方が眼科の手術日で、最近いつも延長するからだそうです。だったら最初から勤務を延ばして、ほかの日を短くしたいって言ってます」
「そっか。でも楠本先生が了承してて、トータルの勤務時間も変えないんだよね。じゃあ、問題ないじゃん」
中埜はガンコで絶対に折れないと分かっていたので、さっさと受け入れたほうが早いと判断した。
「だけど――」
青野は、言いよどんだ。
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