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拘束時間が8時間50分の職員に、何分の休憩を与えれば良いか?
青野が提示したこの問題は、ある種のパラドックスを含んでいて、確かに興味深くはある。だが帰りの車を運転しながら何気なく思考を巡らせているうちに、畑野は答えにたどり着いた。
「何だ、単純なことじゃん」
冷静になれば答えはシンプルだった。だけれども、青野がそれを見つけ出せるかというと、その確証はない。仮に見つけたとして、中埜にそれを説明し、正しい勤務割を組むことができるか。
そんなことを考えながら、畑野は帰路を突っ走った。
普段の通勤に使っている経路には、桜通りと呼ばれる道があって、朝方などは一日一日と変化する桜たちの様子を、イヤでも目にすることになる。
しかし帰りはもうすっかり暗くなっていて、街灯が樹々をやけに青白く照らし出す光景が常だった。
頭をもたげるのは、青野の担当している業務を、どのように処理するかということ。
彼にはこないだ引継書の初稿を見せてもらったが、全然ダメだと思った。
「ねえこれ、知らない人が見たら全然わからないよ。何のために、何を、どうやって、いつまでにするのか」
畑野が言うと、青野は「えっ」と言って自分の作ったそれをまじまじと読み返す。どこがダメか、分かっていないのだ。
「でも、僕は転勤するわけじゃなくて同じ病院内にいるんだから、分からなければ聞いてもらえばいいと思うのですが」
「それで適当に作ったの? ダメだよ、引継書は自分が死んだ場合を想定して作るの。自分が死んで、残された人が誰にも質問できなくなって、それでも引継書さえあれば業務に支障が出ないように」
ちょっと大げさな言い方になったが、畑野も昔、上司にそう言われたことがある。
「それに青野くんだって、連携室の仕事が忙しくて、他人の面倒なんて見られないでしょ」
「確かにそうかもしれませんが――。そういう意味では、引き継ぐ方だけに時間をかけたくないっていう気持ちもあります、僕も連携室の仕事を覚えないと不安で仕方なくて」
その言葉に畑野は驚き、彼をぎらっと睨んだ。なんて自分勝手な言い草だろう! 4月以降の人事課の状況を、彼はまるでわかってない。
今の自分の仕事を全うできないなら、どこに行ったって大した結果が出るわけない――。さすがにそこまでは言わなかったが、この瞬間に、忌々しい気持ちが生まれたのは事実だ。
そんなことを考えながら、桜通りを抜けると、やがて一人暮らしのマンションが見えてきた。
そうして、畑野は決めた。
中埜の件は、手を出さない。答えもアドバイスも与えない。自分で考えて処理するのだ。でなければ、次に連携室へ移ったってまともな仕事などできないだろう。
畑野は、そう決めた。
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