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 じわりと広がる不安に押し潰されそうになりながら、ヒースはシュイの両手をぎゅっと握りしめると、決意を込めた目で幼なじみの少年を見た。 「シュイ、お前はどうしたい? お前をずっと探していたという両親に会いたいか? 村長が言っていたことなんて気にするな。お前は、お前のしたいようにすればいい。後は俺が何とでもする」  シュイを王都へなんかいかせたくない。シュイがそれを望むなら、ヒースはたとえこの先何があろうと、シュイを守る覚悟だった。  ヒースの言葉に、シュイはうれしそうに笑った。だけどその瞳がどこか悲しげな色をしていることに気づいたとき、ヒースの中であふれるような不安がこみ上げた。 「シュイ……?」  雲が流れ、月明かりが木々に囲まれた湖面を静かに照らしている。ヒースはようやく自分たちがいまいる場所に気がついた。 「……昔、子どものとき、よくこの場所にきたの、ヒース、覚えている?」  月明かりに照らされたシュイの薄い肩は、まるで小さな子どものように頼りなく思えた。 「……覚えているよ。お前、小さいときよく泣いていたもんな」  忘れられるはずがなかった。シュイが泣きたいとき、ヒースはよくこっそりとこの場所にシュイを連れてきた。理由は村から離れた場所にあって普段あまり人が訪れないことと、その澄んだ湖の底には龍神が眠っているいう言い伝えがあって、神聖な場所として祀られているからだ。おそらくは好奇心旺盛な子どもが足を滑らせて湖に落ちないよう、禁じた意味もあるのだろう。タイシなどは怖がって近づくのを嫌がったが、ヒースはなぜだかこの場所にくると心が落ち着いた。  この湖面の底にはヒースとシュイの秘密が沈んでいる。その秘密を、ヒースはこれまで誰にも話したことはなかった。おそらくはこの先も変わらないだろう。 「ヒース」  自分の名前を呼ぶシュイの瞳を見た瞬間、ヒースは気づいてしまった。シュイはもう決めたのだ――。  やり切れないほどの思いが募る。ヒースは、何もできないもどかしさと悔しさを堪えながら、これまでずっと長い間一緒にいた幼なじみの少年を見た。 「おれいくよ。あの人たちと一緒に、王都へいく」  決意を滲ませた顔で、シュイはヒースをまっすぐに見た。冬の空のようだとヒースがいつも思っていた瞳は透明な膜を張り、満天の星空のようにきらめいている。けれどその目から涙が零れることは決してない。  本当にそれでいいのか、という言葉をヒースは必死に呑み込んだ。  明日になれば、シュイは迎えにきた客人たちと一緒にこの村を出ていく。王都までは遠い。一度村を出たら、そう簡単には戻ってこられないだろう。シュイに接する男たちの態度から見ても、この村での生活とは大きく変わるに違いない。きっとヒースには想像もできないような未来がシュイを待ち受けているのだろう。  ずっと兄弟のように暮らしてきた。これからも互いに成長していつかはそれぞれの家族をつくりながら、変わらず側にいることを疑いもしていなかった。いま向かい合っている自分たちの道がとてつもなく分かれてしまったことを、ヒースはひしひしと感じていた。  これが永遠の別れになるかもしれないことを、おそらくは二人ともがわかっていた。  ――嫌だ……!  ふいに刺すような激しさで、ヒースの胸を衝動が突き抜けた。  ――嫌だ、嫌だ、嫌だ……!  そのとき、シュイがヒースの手に小石ほどの丸いかたまりを握らせた。指の先に触れる滑らかでひやりとした水のような気配に、ヒースははっと息を呑んだ。 「シュイ……?」 「この村でヒースたちと一緒に育って、おれは幸せだった」  シュイはヒースの手をぎゅっとつかむと、にこりと微笑んだ。 「ヒースは、どうかずっとそのままでいて……!」  このときシュイを止められなかったことを、ヒースはこの先ずっと後悔し続けることになる。
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