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絶望がヒースの胸を満たす。それは虫けらのように簡単に命を奪われようとしている恐怖と怒りであり、よくわからない相手に大切な幼なじみの少年を任せてしまったという後悔でもあった。シュイを見つめる男たちの目には畏敬の念が浮かんでいた。あれが作ったものや嘘だとはヒースはいまでも思えない。それなのに――。
ガラガラと足下が崩れ落ちるほどの絶望に襲われる。大切にしてもらえると思ったのに。だから信じて任せたのに。――いや、それは果たして自分の本心だろうか。
おれ、いくよ、と告げた言葉がシュイの本心ではなかったことに、ヒースは心のどこかで気づいていた。シュイは村の人たちや老婆のために、自分がそうしたほうがいいと思って決めたのだ。何よりも雄弁なその瞳は、王都になんかいきたくないと告げていた。
もし仮に、あのときシュイが王都からの使いを断っていたらどうなっていただろう。王都はシュイの返答を素直に受け入れただろうか。いや、きっとそうはならない。遅かれ早かれ、今度は武力でもってしてシュイを連れ戻していたことだろう。
ヒースはたとえこの先何があろうとも、シュイを守ることに後悔はない。だが、果たして村の人はどうだろうか。ただ一人の少年の命と村の運命を天秤にかけても、王都からの命令を断ることができただろうか。聡明なシュイはそのことに気づいていた。だから、あのとき自らの運命を受け入れた。シュイ自身に選択肢なんてものはなかったのだ。止められるとしたら、きっとヒース以外にはいなかった。それなのにヒースはシュイを送り出してしまった。それはなぜだ? ヒースも心のどこかでは村の人たちと一緒に恐れる気持ちがあったからではないのか。
シュイ……っ! 俺……っ、ごめん……っ!
男が再び剣を構え直す。月明かりに照らされて、男の剣がきらりときらめいた。その剣が自分に向かって振り下ろされる瞬間、ヒースは地面の土をつかむと、男の顔に向かって投げた。土が目に入ったのだろう、自らの顔を庇う男の服の縫い目のひとつひとつまでが、なぜだかはっきりと見える気がした。不思議なくらい、ヒースの鼓動は静かだった。まるでときが止まっているかのように、ヒースの目にはすべてがゆっくりと見えた。ヒースが目の前の男に立ち向かおうとしたとき、空から飛んできた弓矢がヒースの左肩を貫いた。
――あ……っ!
衝撃がヒースを襲う。体勢が崩れた自分に向かって振り下ろされる白銀のきらめきを、ヒースの瞳ははっきりと捉えた。次の瞬間、これまで感じたことのない激しい痛みが、ヒースの腹部を襲った。
母さん……っ! じいちゃん……っ! マナ……っ!
薄れゆく意識の片隅で、ヒースの瞳が襲撃者に襲われる母や祖父、幼い妹の姿を捉えていた。
どうして……っ!
涙があふれる。それは大切な者を無惨にも目の前で奪われる怒りでもあり、やるせなさでもあった。ヒースは全身で死を意識した。そのときだった。懐に隠していた小袋がぼうっと熱を帯びた気がした。
シュイ……?
別れるときにシュイがくれた石が、諦めるな、生きろとヒースに告げるように、はっきりと熱を帯びている。
いったい何が起きているんだ?
ヒースは無意識のうちにシュイの石が入った小袋を握りしめた。その間にも、襲撃者はヒースに止めを刺そうとしていた。
ピューイと鋭い威嚇の声と共に、突然、一羽の鷹がヒースに止めを刺そうとしていた男を襲った。
「わっ、なんだ……っ! 急に鷹が……っ! やめろ……っ! やめてくれ……っ!」
「アズール!」
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