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 *** 「石さま、食欲はありませんか」  ぼんやりと窓の外を眺めていたシュイは、室内で控えていた男の声に、いまはじめて気がついたといったようすで顔を向けた。男はあの日、シュイを村まで迎えにきた男、フレデリックだ。当時騎士団長だった彼は、いまはシュイの専属護衛として、片時も傍を離れることはない。  テーブルの上には、美しい前菜やサンドウィッチなどの軽食が並んでいる。自分がいるこの部屋だって、身につけている衣装もそうだ。村にいたころには想像もできないような贅沢品に囲まれて、そのどれもがシュイの心には響かなかった。  シュイが何も反応を示さないことに男は顔色ひとつ変えず、「石さまに果物を」と侍女に皿を下げるよう命じた。まだ料理が残っている皿を侍女が下げるのを見て、シュイはわずかに申し訳なく思うが、おそらく自分の顔には何の変化も表れていないに違いない。なぜなら、人々に”石さま”として崇められながらも、そこにわずかな畏怖の念が混じっていることにシュイは気づいていた。  シュイは赤ん坊のときに、モンド村のはずれに捨てられた。本当の親もわからず、自分がなぜ捨てられたのかもわからなかったシュイがこれまで生きてこられたのは、赤ん坊だった自分を老婆が拾い、育ててくれたからだ。そして村で一人役立たずの自分の側に、いつもヒースがいてくれたから。  あの日王都から迎えがきたとき、シュイは村から離れたくなかった。自分にも幼なじみの少年たちと同じようにどこかに両親がいて、ずっとその行方を探していたという話に心が揺れたのは事実だったが、シュイにとってすべてはそこにあった。山のどこにいけばその薬草が生えているか手に取るようにわかり、自分が少しでも人々の役に立てていると実感できた。貧しくとも豊かな老婆との生活も、感謝こそすれ一度も不満に思ったことはなかった。石さまと敬われ、頭を下げられても、シュイにはそれが自分のことだとは思えず困惑するばかりで、ヒースたちと共にこの先もずっとあの村にいたかった。だけど、それは無理なことだとわかっていた。  物々しい装備に身を包んだ客人たちに頭を下げる村長たちの姿を見たとき、シュイは嫌だとは言えなかった。自分がそう言ったら、きっと育ててくれた老婆や幼なじみの少年を困らせることになる。だからシュイは自分で王都へいくと決めた。たとえ二度と会えなくても、自分にとって命よりも大切なものを守りたかったから。  王都へきたばかりのころ、シュイは必死に自分の務めを果たそうとした。自分の行方を探していたという両親の話が嘘だとわかっても、がっかりこそすれ、責めようとは思わなかった。むしろ思惑が外れて焦ったのは、王都側の方に違いない。  貴石を生み出せないシュイを、はじめ王都側は信じなかった。シュイがわざと貴石を生み出さないと考えたのだ。次第に苛立ちと焦燥を募らせる人々の前に、シュイは何とか貴石を生み出そうとしたが、どうしても涙を流すことができなかった。  次に、彼らは実力行使に出た。しかしいくら痛みや恐怖を与えられても、シュイは涙を流すことができなかった。そうまでして石としての役割を果たそうとさせる彼らの期待に応えられない自分を、シュイは心から申し訳なく思った。  ――あのお方は本当に石さまなのか。何かの間違いではなくて。
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