アンチ・エモ

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「君ってさ、私のこと女として見てたんだね」 その一言が酩酊していた僕の胸の奥に深く突き刺さったのは、自らのグロテスクなイメージと、嫌悪しながらもその存在を認知していた男という名の加害性を思い出させたからに違いない。 ああ終わった、それが僕の最初の印象だったに違いない。 また人を無闇に傷つけ、自分の欲望に純粋に従って、社会を、他人との関係性を壊したのだろう。 後ろで流れる無作為なLo-Fiプレイリストも、食洗機の流水音も、その人の肌から直に感じる心臓の音も、その瞬間だけ止まってしまったかのような後悔と焦燥。 「...ごめん」 言い訳もできず、僕は情けなくただその人の見つめる目から目を逸らして、胸元を見つめるしかできなかった。いつか入れたと言ってたタトゥーの他に、整形していた胸をそんな罪悪感に苛まれながらも見つめていたのは、きっとお酒とそれに混ぜたあれのせいに違いない。 そうして混乱した頭の中で、僕は今が何時かを、そして今から始発までどれくらいの時間があるのかを調べようと思った。端的にいえば僕はパニックだったのだろう。泊まる予定で来てはいたが、流石に雑魚寝だと思っていたので今追い出されたら辛いななどと思いつつ、携帯を探そうと手を伸ばそうにも身体の自由が効かない。 ああ、僕の身体は今は誰のものなのだろう。 そうして少し前の出来事をもう一度回想する。板を直に感じるベッドマットの上で二人で寝っ転がって、テレビモニターでサイケデリックなアニメをみて、それからお互いに抱き合って、錯乱する理性の中でお互いの身体の暖かさを感じて...それから...それから... それから僕はどうしたんだろう、そうだ、僕はキスをその人にしたんだ。 理由なんて今ならいくらでも考えられる。 自分からフったとはいえつい一週間前に彼女と別れて寂しかったから。 ここまでお膳立てされてると勝手に都合のいいように解釈してしまったから。 酒とあれのせいで理性を失ってしまったから。 でもどれもこれも結局は加害者の言い訳でしかない。僕は自分の行動に責任を取らなければならない。 彼女は何を望むだろう、糾弾か、謝罪か、それとも誠意か。 だが意外にも帰ってきた答えは僕の予想を上回るものだった。 「いいよ全然、私もそういう関係になりたかったし」 ああ、やはりそうなのか。 思えばそんな気はしていた。そして少しホッとすると同時に、僕は最近なんで付き合っていた子と別れたのかを思い出した。 彼女は僕らの恋愛に純粋な「出来事」を当てはめて解釈しようとしていた。もっと簡単にいえば彼女は「理想」を僕らの現実に当てはめようとしていた。 だから重いと感じてしまったし、僕は彼女の理想通りに振る舞うことに疲れた。 だから僕は当分そうした恋愛的な生活から抜け出したかったのだ。それなのに、僕はまたそうした関係に巻き込まれていくのだろうか。 徐に辺りを見回して、僕は再度自分のおかれた状況を整理する。 散乱した洋服、コンビニの袋に入ったポテトチップス、換気扇の下においてある吸い殻いっぱいの灰皿、シャッフルで流れるゆったりした音楽、酒の空き缶、いくつか開けられた錠剤、電気の消された部屋、空いたコンドームの箱、そして抱き合う僕ら。 こんなもの、こんなもの糞食らえだ。 「エモ」などと人が形容してしまうような、こんな光景、こんなシチューエーション。 僕は「エモ」が大嫌いである。この言葉に本当に吐き気を催す。例えばとても綺麗な夕焼け、例えば高校生のカップルが手を繋いで歩く春の道、例えば清楚で綺麗なお姉さんがタバコを吸いながらアンリ・ミショーの詩集を読む場面。その景色ひとつひとつに美しい要素があって、写真で収めてしまったら台無しにしてしまう、しかし見返したいから取ってしまう衝動があって、言葉で表してしまったら消えてしまう、でも言葉で表さずにはいられない感動があって、そうして僕らがその風景の中に自らを投じて、心が激しく揺さぶられる時、無意識のうちに全身を使って表現したくなる欲求に駆られるのだ。それが写真でも文章でも絵でもパフォーマンスでも誰かにただ喋るのでも、それはさまざまな形をとる。その時私という存在はなく、ただその経験した体験が僕らの身体を借りて他人にそれを伝えようとしている、と言ったら正しいのだろうか。兎にも角にも「私」というエゴがその状況を発しているのではく、私はもはやただの媒介物、中間地点に過ぎないのだ。 それがどうだろう、そうした美しくてどうしようもなく爆発してしまうような光景を「エモい」の一言だけで片付けてしまったら、もうそれ以上の進展はない。たった一言で、夕焼けも、カップルも、タバコも殺されてしまうのだ。エモなどというしょうもない概念が全てを吸収してしまう。そし未来で遭遇するであろう心揺さぶられる場面や体験すらもそのたった二文字がカテゴリーにぶち込んで処理してしまう。 だから、という言い方は変だが、僕はここから恋人の関係になることがひどく憂鬱だった。さっきまではなんとも思っていなかったこの部屋の光景が「エモ」に回収されるようでひどく気持ち悪かった。 だがその人は、続けてこうも言った。 「私は君と恋人関係になりたくない。もしこのまま友人としていてくれるならセックスしよ」 そしてその一言で、僕はひどく救われたような気がした。 僕らは一線を越えたら俗にいうセフレになるだろうか?いや、我々は数年来の友人であり、お互いに恋愛的な「好き」という感情がない。 我々は都合の良い関係だろうか?確かにそうかもしれない。でもだからなんだというのだろうか。僕も彼女も恋人なんぞいないし、法律はもちろんモラルにも反していないではないか。 僕らは惨めだろうか?しかしそれを決めるのは当事者である僕らではないのだろうか? そうしてその時、この関係を了承することが、「エモ」という僕が最も嫌悪する概念を破壊することができることを確信した。 「待って、それって全然恋愛関係ないけど色んなことを一緒にできるってこと?」 僕はあまりの興奮につまらない質問をついしてしまった。しかし無理もないことをわかってほしい。我々は遊びも、飲むことも、そしてセックスをすることもできる。そしてそこにあるのは世間が無理やり解釈したがる「恋愛関係」ではない。どこまで行っても、どこまで考えても、我々は「友人関係」を結んでいるのだ。 「そう、よくない?」 そう言われた時、僕は大いなる幸福を確信した。 恋人との関係を保つことは非常に難しいし多くのエネルギーを心身共に要する。だが僕らはこの関係を保つのに、ほとんどエネルギーを必要としない。昔何かの新人賞で誰も受賞者がいなかった時、審査員のコメントが唯一受賞に近かった小説をこう評していたのを思い出す。 「恋愛描写は良かった。でもセックスが神聖視され過ぎていて、その相手とセックスをすることがその女性との関係性を結ぶという描写が男性性を強く前面に押し出していて気持ちが悪かった。全く不必要な描写」 大体こんな感じだっただろうか。兎にも角にも僕がこの言葉を思い出したのは、僕らのこの、そしてこの先の関係性に、一切そうしたものが必要ないからだ。 社会性のないセックス、もっと言ってしまえば社会的関係性を結ぶためのセックスではなく、ただ純粋な性の体験。後腐れもなければ「意味」のない、ただ身体を喜ばせるためだけの共同作業的運動。 その時僕は錯乱していた思考がひとつの意識としてひとまとまりになった気がした。 「アンチ・エモ」 それは安易に体験を娯楽として消費し感情を揺さぶられようとする輩に中指を立てるだけでなく、安住した「私」という存在を壊そうとする概念。 そうして「エモ」が内側から壊れていく時、僕らを取り巻く環境が一気に「アンチ・エモ」へと加速していく。 感動する感情が追いつかない、「エモ」という定義が取り逃してしまう、社会的に構築された僕らの身体と空間がそこから漏れ出る「何か」によって侵され、全く別様になるその瞬間。 彼女は女ではなく、永遠の友になった。恋愛感情のない、しかし確かな熱い友情を感じる、代替え可能で不安定で一瞬な、しかし、それでいて永遠の友。 僕らはこの関係性、社会や他人によって定義できない、カテゴリーから滲み出るその関係性によって「エモ」と呼ばれうる意味ありげな空間を「アンチ・エモ」という全てを否定する空間へと塗り替えていった。 もはや散乱しているものに意味なんて一つもない。下着は下着であり、酒は酒であり、コンドームはコンドームであり、Lo-FiはLo-Fiであり、そしてセックスはセックスである。この薄暗い部屋に置いてある全て物が、「エモ」という空間を構成することをやめて、それ自体の存在へとかえっていく。 物自体に、身体に僕らは還る。 「えっ、じゃあしようぜ」 「いいね、しよっか」 そうして僕らは「アンチ・エモ」の中でセックスをした。それはただの性への渇望であり、欲望を満たすためだけの行為だった。具体的に何をして何をされたのかを覚えていないけれども、それでも次の日起きた時に感じた解放感と、時間感覚の狂った頭で見つめた明るい窓の外も、私を大いなる祝福へと導いているように感じた。
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