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「大学のある町や、周辺の市についての興味深い話はいろいろと集まって来るんだけど。ある一地域だけ、どうしても直接その場所を知る人物の証言が一つも集まらないんだ。じゃあ人口が極端に少ない超過疎地とか、言うほど特色もなくて誰の注目も集めない、まるで面白味のない無個性な土地なのか?って言えばどうもそういうわけでもない」
店主の方はどうやらわたしたちの話題が専門的な方向へと梶を切った、と判断してテーブルから去りカウンターの内へと戻っていった。蒲生先生は変わらないテンションの低い声で、童顔気味の顔に何の感情も浮かべず淡々と説明を続ける。余計なことと知りつつ、わたしはそこで思わず口を開いてしまった。
「周辺に住んでる人たちからはずっとうっすらとあそこは何かある。って思われてるんですよね、多分?ひそひそ囁かれてる噂や憶測はあるけど。これまで証拠もはっきりした証言もなくて、何となくもやもや不審の目で見られてるとか。そんな感じ?」
「そう。でも、形として残る証拠や確かな証言があるかないかは置くとして。そうやって疑いの目を向けられるのもまるで根拠なしで、ってわけでもないらしい」
わたしにどうしてそう思ったんだ?と鋭く追及してくることもなく(おそらくこちらが何か知ってるらしい、ってことはもう憶測じゃなく自明の理だから。こうして情報交換してるうちに本人が自ら打ち明ける気になるのを待とうと方針を切り替えたんだろう。まあ,妥当だ)、蒲生先生は低めのテンションのまま訥々と言葉を続けた。
そもそも、瀬山教授は民俗学者だから。何が何でも今のこの段階で村に直に足を踏み入れないと何の調査もできない。とまで切羽詰まってるわけでもない。
まずはその村が周囲から見てどういう地域だと位置づけられているのか。村にまつわるどんな伝承が伝わっているのか。
民俗学的に言えばむしろそっちが興味深いとさえ言えるわけで。周辺地域に残る水鳴村についての言い伝えを収集できれば、ある意味現実の村が実際にどんな場所なのかはとりあえず後回しでもいい。
隣接してる地域同士がお互いを意識し過ぎて、あることないことひそひそと吹聴し合うのは田舎ではよくあること。そうやって成立してきた昔語りを集めて分析して、そこにパターンや生じてきた遠因を見出せれば。その内容が真実かどうかはさておき、学問としては充分に意義があると考えてまずは聞き取りを始めたのだが。
「村に霊験灼かな子宝を授かれる泉がある、って言い伝えられてる話はしたよな?まあ、そういう伝承は全国的に様々な地域で割とある。湧水地で有名なところは大抵何かしら具体的な効能を謳うから。その中で子宝は割とよくあるパターンかも。…ただ、少しこの件が特異なのは。今の時代になった現実の村でも、実は一戸あたり平均の子どもの数がかなり多いらしくて」
「ああ、はい」
下校時刻になると村の路地にランドセルの小学生が溢れて、どこの家でも夕方には窓に暖かい光と子どもたちのはしゃぎ声が響いてたあの光景を思い出す。…そうだったな、実際。
その幸せの裏に潜んでるものは何か。知っちゃうとやっぱり、複雑な気持ちにならざるを得ないんだけど…。
蒲生先生は特に価値判断や憶測をそこで混じえる気はないらしく、無感情に事実を告げるって口調でおまけみたいにただ付け足した。
「そういう紛れもない事実があるから。周囲の市町村では密かにあの村の湧き水には迷信とかじゃない本物の効果があるんじゃないのか、と今でもそれなりに信じられてるんだそうだ」
そうでしょうね。
一方で由田さんはあまり本気でその真実性を論議する気にはなれないらしく、小首を傾げて真っ当な疑念を吐露した。
「どうかなぁ?それで本当にその湧き水に効果があるって証明には。さすがにならないでしょう?多分だけど、村では今でも子沢山の家庭が普通なんだとしても。それにはもっと合理的な、無理のない説明がいくらでも可能だと思うけど」
まあ。そう考えるのがまともな、普通の感覚だと思う。
「例えば村では子どもが大切にされてて、両親だけでなく地域全体で手を差し伸べて育てる文化があるとか。育てやすい土壌があって、その上でどの家庭でも三人とか四人くらい子どもがいるのが普通って感覚があるんなら。自然と子沢山になっていくでしょう?村の中に経済的に安定した生業があれば尚更。…単にそういう風土なのを、原因はどこにあるんだろう。きっと水がいいせいだ、って後からこじつけただけなんじゃないかな」
「さすがに俺もその水に本物の効用があるだろう、とか考えてるわけじゃない」
蒲生先生はにべもなくそう宣言した。
「でも、当の湧き水を採取して人体にどのような影響をもたらすのかを科学的に分析するとか。それは民俗学の範疇じゃないから。水が信仰の対象になった経緯やそれにまつわるエピソードが収集できればそれでいいんだ。けど珍しいなと思うのは。…普通そこまで周囲の土地で評判になってたら。せっかくだからその湧き水を活かして、村に人を呼び込んだり。積極的にアピールして観光資源にしたりするんじゃないか?と思うだろ?」
「まあ。…よくある話ですよね」
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