第16章 民俗学者は迷わない

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子宝の泉はこちら、みたいな立て看板を掲げて。その周辺にお休み所やお土産屋さんを並べちゃったりしそう。村では絶対無理なのはわかるけど。 蒲生氏はからりと微かな氷の音を立ててグラスを置き、高く脚を組んでソファにふんぞり返りつつもの思わしげに背もたれに背中を埋めた。 「人里離れた孤立した村で、風光明媚な自然もいっぱいある、らしい。瀬山さんも話だけで現地に足を踏み入れてはいないから伝聞だけど。…でも、そういうところなら。普通は根拠があろうがなかろうが、大袈裟に湧き水の効能を言い立てて観光名所にしようと目論むのが村って場所の本能だろ?だから珍しいな、周囲に働きかけて人を呼び込もうとしないなんて。そういう特異な気風が成立した由来とかも何かあるのかな?くらいに思ってた」 村の本能…。生き物じゃないんだから。 由田さんはそれでもぴんと来ない様子で用心深く疑問を口にする。 「うーん、でも。そもそも外から人が入ってくるのを嫌う閉鎖的な土地って、全国の地方に別にいくらでもありそうじゃないですか。わたしたちが知らないだけで…。開放的じゃないし周りに自ら働きかけないからそもそも外の人間の視界に入らないってだけで。今回はたまたま、瀬山先生のセンサーに引っかかったけど。外部の注意はなるべく引きたくないって地域、それはそれなりに現代でもあると思いますよ?」 彼女の言うことはもっともに聞こえる。 偶然、わたしは水鳴村が周囲から人が入って来るのをシャットアウトしなきゃいけない理由を知ってるけど。そんな剣呑な事情がなくても、単純に排他的な気性のせいで外部の人間が移住してくるのを嫌う場所は他にもいくらでもあるだろう。 「俺もまあ、瀬山さんから最初にその話を聞いたときは。そんなもんかなと思わないでもなかった。…けど、そのあとも折に触れて情報が更新されていくたびに。ちょっとここは何かあるな、単純に排他的な土地柄っていうには異様な部分がある。って考えるようになったんだよ」 蒲生先生は一口コーヒーを飲んでおもむろにグラスをテーブルに戻すと、また背もたれに体重を預けて独り言めいた口調で先を続けた。 「村の方が自ら入り口を閉ざして外から人を入れないようにしてるのは、特に深いわけがあってのことじゃなくて単にそういう気風だからだろうって解釈するのが普通ならまあ、当たり前だとは思う。わざわざよそ者を呼び込まないでも充分人口は多くて栄えてるし。それなら気心も得体もしれない外部のやつを入れてせっかく上手く回ってる今の環境を乱したくない。…それにしてもちょっと極端な気もするけど、別に違法状態ってわけでもないし」 うん。 わたしは声に出さずに頷いた。常識的にはそう判断するって気持ちはわかる。だからこれまであの村の内実が人目を惹かずに済んでたんだろうと思う。 そこでふと蒲生氏は表情を全く変えることなく、微かに不審げな色を声に滲ませてみせた。 「けど、ここの場合は。村自体が自分の意思で閉じてるってだけの話じゃなくて、周囲からも腫れ物を扱うように触れずに見過ごされてるのが気にかかる。…普通、環境が良くて働き口もあって、学校も小中高と完備してていかにも住みやすそうな土地。ここに自分も移住したい、って希望する人が少しは出てきてもおかしくないだろ?村の方でよそ者を渋るって言っても。別に、ゲートや塀があるわけでもないし。転入手続きをして住み込むのは誰でも本気でやろうと思えばできるはずだ、法的には」 「それは。そうですね」 由田さんも素直に同意する。 「完全に隠れ里になってるわけではないし。名の通った高校や有名企業の工場もあって、外との交流が完全にゼロな土地でもないから。そこで縁ができた人が気に入って住み着くとかは普通にありそう。…え、それも全然ないってこと?確かに。極端は極端かも…」 彼女も考え込み始めてしまった。まあ、そうなんだよね。知れば知るほどここって何?と違和感に襲われるのは。仕方ないとしか…。事実、訳ありな場所なんだし。 「その時点で不審に思った瀬山先生は村の住民に直接当たるのをやめて、逆に周囲の地域に古くから住む人たちが村をどう把握してるのかって視点に調査をシフトした。…そしたら、ちょっと面白い事実がわかったんだ。とにかく共通してるのは、周りのいくつかの地域で。娘とか、若い女をとにかくあの村に絶対に近づけてはいけないって言い伝えられてるってこと」 …どくん、と不意打ちを受けたわたしの心臓の音が胸の内で大きく響いた。それでか。 案の定、そこで蒲生氏の無感情な眼がこちらにまっすぐ向けられた。そのガラス玉みたいな透き通った目の底に、僅かに面白がるような色が浮かんでいるのが感じられる。 「…これ、さっき君が由田に言ってたのと何か通じるものがあるだろ。それでお、と思ったんだ。…あ、いやいいんだ別に。君がそう言った理由を今ここで無理に聞き出そうとは思わない。けど君が村について何か知ってそうだな、って最初に感じた俺の勘はやっぱり当たってたって気がする」
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