第16章 民俗学者は迷わない

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気立てはいいが後ろ盾や身寄りのない孤独な境遇の娘だったから、その縁談は実際いい話のように思われた。とにかく一度、水鳴に来て土地柄を見て、息子の人物をその目で確かめてみてほしい。と言われて、娘は女に連れられて村落を出て行った。 「それから一年半、二年経たないくらいだったかな。まるで音沙汰のないまま時が過ぎて、水鳴村から何の風聞も流れて来ない。一体あのあとどうしたのか、と噂されてる中その娘が裸足のままよれよれの様子で這うようにして戻ってきたそうだ。詳しくは語らなかったが、監視の目を潜り抜けて逃げ出したんじゃないか、と匂わせるような言動だったらしい」 追手が来るのを非常に怖がってる様子だったので、やむなく近所に住む余裕ある家で引き取ってしばらく面倒を見た。結局その家の次男坊だったか三男坊だったかと婚姻して元の村で生涯を終えたそうだが、水鳴の地で何があったかは頑なに他人には打ち明けずじまいだったという。 「後年、本人が死去した後に夫だった人が孫に伝えたところによると、向こうの村で待っていた結婚相手はその女性の息子じゃなかった。ってことと、そちらにいる間に実は男の子の双子を産んだ。とそれだけを生前打ち明けられたそうだ。まだ生まれて間もない赤ん坊を置いてまでして、あんなぼろぼろの状態で必死で逃げてきたくらいだから。よほどのことがあったんだろう、と思いやって夫はそれ以上妻を問い詰めなかったらしいが」 …ああ…。 何を呟いてもやばい気がして、表面上頷くでもなく無言で心の中でだけ呻くわたし。 その女性から生まれた双子から、現在の当主の二人まで今も連綿と血が繋がってるってことなんだろうな。産みの母親が息子たちを置いて取るものもとりあえず逃げ出したことも、やはり長い歴史の中では実際にあったってわけか。 まあ。…おそらく自分に胤を植えつけた当時の当主たちはもちろん、その先代の双子の義父たちもきっとその女性は目にしただろうし。話を聞いたときはそれでもまだ半信半疑だったとしても、現実に自身の腹の中から男児の双子が出てきちゃったら。 この村には何かある、ってはっきり見せつけられてぞっとなったのは想像に難くない。どうして必ず夜祭家の長子は男児の双子として生まれるのか。そしてみんな、母方の血はそれぞれ違うはずなのに。何故判で押したように全て同じ顔立ちなのか。 そこにはどうにも科学的な説明だけじゃどうにもならない、オカルト的としか思えない理由があるはずだ。…この人たちだって、実際に自分の目で見なきゃ。そんなことが本当にあり得るなんて、きっと信じてはくれないだろうな。 と考えつつ、ふと気がついた。…思えばわたしは、凪さんと漣さんには会ってるけど。 未来の義父になる予定だった人たちにも、自分のお腹から生まれるはずだった双子の姿も見てないから。必ず当主は男の子の双子っていうのも、実は話でだけしか聞いてないんだよな。それも村の内部の人、水底さんや当主たちの口からしか説明されてなかった。 もしかして地味にこれがわたしにとって初の客観的な、村の外の人が双子の当主について残した証言ってことになるのか。…ずいぶん時代を跨いでるけど。かえってそれが怖いっちゃ怖い。 なんか、小手先の小細工抜きで。あの村に積み重ねられた因習のずしんとした分厚さを目の当たりに突きつけられるようで。 まるで、自分が身近なところで受けたリアルなDV被害が歴史的文献から全く同じ形で発見された、みたいな感覚。…自分以外の歴代の名もない女性たちがずっと何人も続けて、あの土地で同じ目に遭ってきたんだなぁ。 しみじみ感慨に耽ってる余裕があるのは自分にとってはもうあれは過ぎ去ったことだ、終わったって考えていいって認識なのと。文献の中のその人もとりあえず村から逃げてその後は幸せな人生を送れたようなのでまあ結果としてはよかったのかな。…と。 わたしの反応を特に伺う風でもなく、蒲生先生は自身のグラスの中身に視線を落としたまま平静な態度で話の先を継いだ。 「はっきりと村で何かの被害に遭ったようだ、って人物が見つかったのはその件くらい。あとは、別の町で地元の有力者の庶子の娘がいい話がある、と近隣の村のお屋敷に嫁いだけどその後二度と里帰りしなかった、って話とか。どうやらその嫁入り先が水鳴らしいと長いことひそひそ囁かれていたらしいな。ちなみに父親はその村に嫁いだら娘はもうそこから出られない、ってことは最初から承知の上でその話を進めたと推測されてた。まあ、一種の厄介払いに近い扱いだったのかもな」 「…なるほど」 わたしはじっと考え込み、その情報を脳内で噛み砕いて分析した。 そういえば、『器』になる女性をどうやって外部から呼び込むか。ってやり口の中で、身寄りのない寄る辺ない女の人を連れてくる他に、むしろ周辺地域で名のある有力者を抱き込んでその娘を世話させる。って話もあったな。 たくさん娘のいる昔の人なら、商売や取引を有利に運ぶために政略結婚をさせるのはよくあることだったろうし。
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