第16章 民俗学者は迷わない

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どうやらだいぶやばいところらしい、ってことはうっすら知ってたとしても妾腹の子ならまあいいか。と扱いがぞんざいになることもあったのかも。 そこで庶子の娘がどんな目に遭うかは見て見ぬ振りで差し出してしまう畜生な父親だっていたんだろう。何と言っても相当昔の話だろうから、現代とはまた女性に対する人権の感覚も違ってたはず。 水鳴はだいぶ以前から裕福な土地柄だったようだし、何か商売上の融通を効かせてもらうとか。見返りが約束されてのことだったのかもしれない。 「…他にも、確たる証言や証拠はないけど。水鳴から来たって男と知り合って恋仲になり村に連れて行かれたあと消息を絶ったとか、お屋敷に住み込みの仕事があると誘われてその後戻ってこなかった貧しい家の子がいたとか。聴き取りで瀬山先生が収集した話はそんなところだな。わかった範囲では、村と関わってトラブルに巻き込まれたと思しき人物は全員見事に年若い女性だった。…その辺は追浜さんがさっき言ってた、由田はあの村に近づかない方がいい。って忠告と一致するな」 「…はい」 わたしはだいぶ氷が解けてすっかり薄まってしまったアイスコーヒーに口をつけ、黙って目まぐるしく頭を働かせた。…彼らが丁寧に、順を追って自分たちの知っていることを教えてくれたことを受けて。こちらの事情をどれだけの範囲で、どのように説明するべきだろうか。 ここまで来て、わたしは実は何も知らないんです。って言っても多分信用されないだろうな。 それでも嘘つくな、絶対何か知ってるはずだ。とぐいぐい押してわたしに無理やり白状させたりは、この人たちだって出来ないだろう。そこまでの強制力も関係性もわたしたちの間には存在してない。 それは重々承知の上で、あくまでしらばっくれて最後まで突っぱね通すのか。 表面にいっぱい水滴がついた冷たいグラスを半ば無意識に両手で握りしめ、わたしはしばし逡巡した。 …できればもうどんな形ででも、あの村とは関わりたくない。二度と関係ないでいてくれればこっちの受けた被害は忘れてやってもいい。そう割り切ってここまで来た。 なのにこんなルートで、またあの村との繋がりが出来てしまったら。これまで何とか身を遠ざけてきたわたしの努力が台無しじゃないのか。 そう考えたらここで知ってることを打ち明けて、この人たちをさらに水鳴村に結びつけるような真似はすべきじゃない。白々しいと見透かされようと、本当に何も知らないんです。と言い張ってこの場は切り抜ければいい。 …そう結論を出しかけたその一方で。頭の隅からごく小さく、それでいいのか?それが本当に唯一の正しい選択なのか、と問いかけてくるもう一人の自分の声がする。 思えば、自分から二度と近づきさえしなければこの先あの村と関わりができることはもう絶対にない。って保証は、実は何処にもないんだよな。 ほんとに節目に途切れとぎれにだけど、一応水底さんとだけはあの後も連絡を取り続けてる。それ自体は村に大きな変化があったときに知らずにいる方が怖いから、保険のためってこともあるし。彼女だけは村に住んでる人の中で唯一本当の友達だと思ってるから、この繋がりについては今後も切るつもりはない。 さすがに特にこちらの生活に変化がないときは知らせることもないし。気軽にどうでもいい雑談を交わすにはちょっと複雑な距離感ではあるから、ここ数ヶ月はやり取りしてないけど。 …でも、そんな中でもずっと胸の中にわだかまってちくちく引っかかってることは。どういうわけかあのときわたしが逃げ出してから今年でもう三年になるっていうのに未だあの二人が、次のターゲットを見つけ出さずにずっと誰とも結婚してないまま。って事実なんだよね…。 いや、それそのものは別に悪いことじゃないよ?とうっかりずしんと憂鬱に感じてしまった自分に慌てて心の中で言い訳する。 自分が無事逃げおおせておいて、誰かがその代わりに犠牲になったのを単純にほっとした。とか百パーセント諸手を挙げて歓迎するほど我ながら性格悪くはない。その人が悲惨な目に遭うのはわたしの代わりになったせいなんだよな…と思えば、すごく寝覚めが悪いだろうなって想像はつくし。 だけどやっぱり、それでとりあえず自身についてはこれでひと段落ついたって目安にはなるだろうし。あの村に何かのきっかけでうっかり戻ることになったら今度こそ二度とは出られないかも、ってひやひやする必要ももうなくなるのに。 それにしても、凪さんと漣さんにとっては器なんて誰でも別に構わないだろうに。相手の人格や考え方や自分たちとの相性なんて、わたしをターゲットに選んだときだって考慮した形跡全然ないし。 だからもう三年も経つのに彼らが未だ次の器候補を見つけられずにいるのは、別にわたしに執着する気持ちが残ってるとかじゃなく。シンプルに条件に該当する適当な女の子がなかなかいない、ってだけなんだろうなと思ってはいるんだけど…。うーん。
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