第16章 民俗学者は迷わない

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その場に居合わせてる蒲生先生と由田さんが特にわたしを急かさないのをいいことに長いこと黙り込んでしまってるな。って自覚はあったけど、やはり次の言葉を選ぶのには慎重になる。わたしは腕を組んで視線を落とし、じっと深く考え込んだ。 これだけ時間も経ったし、あの人たちは当然わたしのことなんて忘れてる。と考えたいしおそらくそうなんだろうと思う。けど、信じられないことに今でもまだうちの父親。あの村でつつがなく駐在として勤め続けてるんだよなぁ…。 完全にわたしの存在を脳から追い出し完了したから。その父親のことももうどうでもよくてわざわざ外へ異動させるほどのことでもないのかもしれない、もちろん。 でも、警官とか公務員の異動は新しく家族を連れて村に入ってくる『鴨』を呼び寄せるための数少ない貴重な機会のはずだ。確か水底さんもそんな風に言ってた。 だったら、もうどうせ戻ってくる当てもなさそうな裏切り者のわたしの縁者なんてぽいと外に放り出して。代わりにもっと可能性のある、若い娘のいる家族をそこに赴任させてもらう方が村にとっては有益だろうと思う。 ずっとそう考えて様子見てもらってるんだけど。水底さんの伝えるところによると、あの人たちは一向にわたしの後の器候補を探すでもなく、相変わらずマイペースにのんびり過ごしてるらしいのが何とも不気味なんだよ。 そういうわけで、わたしの方は絶対にあの地に近づかないつもりだから村の件はこれで終わり。と自分に言い聞かせてはいるのだが。本当に決着がついてるのか、先方の狙いはもうこっちに焦点当ててないと確実に言い切れるのかどうか。 どうせ考えても答えは出ない、仕方ない。で割り切って目を逸らして、それ以上の可能性を頭から追い出して有耶無耶にして済ませてる。って言えばそれはそう…。 「見たところ、どうやらあの村に対して思うところはいろいろありそうだけど」 そのまま放っといたらいつまで経ってもわたしが喋り出さないと判断したのか、蒲生先生がゆっくりと慎重に言葉を選びながらって様子で口を開いた。 「もし知ってることがあって一人でずっと内に溜め込んでるなら、出来たら話した方がいいと思う。俺たちを信用できるかどうかって理由で躊躇ってるならそれは心配する必要ない。君の許可なしでは誰にも絶対に他言はしないし。勝手に先走ってその村のことを論文にまとめて学会で大々的に発表したりもしない」 「…でも、先生。そうは言っても」 由田さんがわたしの方を気にしつつ、恐るおそるといった声色で彼の淡々とした台詞を遮って止めた。 「無遠慮な推測かもですけど。…何となく、若い女性だけが巻き込まれるってところを見ても。これって結構センシティブな話なのでは…。何があったか誰にも話したくない、自分だけの中のことにしておきたいって追浜さんが感じてるなら、やはりこちらから無理強いはできないですよ。場合によっては警察案件ってこともあり得るわけだし。わたしたちみたいな素人の手には負えないことかもしれません」 真摯な顔つきでそう言ってくれるのは、真剣にわたしの気持ちを慮ってくれてるんだ。それはわかるけど。 「警察。…それは、多分。さすがに無理かな…。時間もだいぶ経っちゃってるし」 反射的に引いてしまい口ごもる。確かに。本気であの村で被害に遭う女性が今後出ないように、と考えたら。本当はそこまで徹底的にやらないと意味がないんだってのは事実なんだと思う。 でも。 「あの、細かいところまで説明するのは正直どうかと思うんで。納得してもらえるかわからないんですが…。何ていうか、すごく難しいんです。理解してもらえるとは思えない…。あの村のことを知らない人には」 当時のことを久しぶりにありありと思い返す。村の外の人、家族にしろ昔の友達にしろ。誰か信用できそうな相手にあの土地であったことを訴えて何とかわかってもらおうと努力するよりも、さっさと逃げ出して全て忘れてわたしの中でなかったことにしてしまう方が早いと思った。 だって、あんなの。…正直に何もかも、恥を忍んで勇気を振り絞って誰かに打ち明けたとしても。 「何ていうか。…わたしの身に本当に起こったことを、もしも正直にありのままに言葉にしてみたら。奇想天外というか非現実的というか、普通じゃ考えられないことのオンパレード過ぎて…。とにかく、何もかもが非科学的なんです。オカルトの域に入ってるとしか思えない」 そう、一番懸念してたことは実はこれ。 わたしは顔を上げて二人の反応を見るのが怖くて、自分のグラスに目線をロックオンしたまま当時のことを思い返して痛感した。 例えばあのとき、わたしが村の勢力が及ぶ外の世界まで何とか逃れたあと。遠く離れた場所の警察にでも駆け込んで、こんな目に遭わされました。と必死で何もかもぶちまけてストレートに訴えたとして。…その内容は側から見て、どんな風に感じられるだろう? 村の当主の家では長子は必ず男児の双子しか生まれないとか。百パーセント妊娠するための湧き水と避妊のための水があるとか。
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