第16章 民俗学者は迷わない

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「民俗学的アプローチで水鳴村の秘められた謎を探る、ってことですね?わかります、それは」 反語ともつかない蒲生氏の疑問形の問いかけをひとまず受け入れる由田さん。そうかなぁ、同じこと、それ? 古くから伝わる風習のルーツを探る、っていうには。あまりに生々しく、いまでも現役すぎる謎なんですけど…。 案の定、彼女はそこで何かに思い当たったようにふと眉根を曇らせた。 「けど。…これまで取り組んだ研究テーマでは、閉鎖的環境下での公に出来ない因習とか。そこまで難しいのは経験がないから…。追浜さん本人はもとより、他の研究室のみんなの安全にも気を配らなきゃいけないし。何より結果として論文にまとめられないで終わるかもしれないのに。予算出るかな…」 そっちか。まあ、ゼミの秘書的役割な立場としては確かに。重要な視点かも。 すっかりグラスの中のコーヒーを飲み終えてしまった先生は、手持ち無沙汰にストローで氷の塊をからから言わせながら素っ気なく言い放った。 「そこは瀬山先生の大学から共同研究を持ちかけられたってことにすりゃいい。事実そうだし。そしたら出張費くらい出るだろ。まあ現地近くに赴く場合女子たちの安全には相当気を配らなきゃならないけど。さすがに向こうの大学のキャンパスに足を踏み入れた途端攫われて何処かに連れ去られるってことはないよな、あそこは村の中じゃないし。普通の学生が問題なく大勢通ってる場所だもんな」 「それは。…さすがに大丈夫だと思いますが」 村の子が何人か毎年進学する、ってだけで水鳴の管轄下にはないから。女子学生がしょっちゅう行方不明になったりしたらさすがに騒ぎになってるだろう。 でも。 「皆さんお忙しいだろうし。結果が出るかどうかもわからないのに、そこまで貴重な時間と予算を使って協力していただくのは…。さすがに申し訳ない、かなと。そりゃ、わたしがどうしてあんな目に遭わなきゃならなかったのかとか。一体どういう成り立ちであんな風習があの土地に生まれたのかとか、知りたい気持ちはありますけど」 知ったら理解できて納得いくとは思えない。だけど自分を脅かしているものの正体がわかれば、今後多少は対処できるようになる気はする、精神的にも物理でも。 「それは結局わたし自身の問題なんで…。皆さんを巻き込むのは申し訳ないです。どうしてそこまでしてくれようって思えるんですか?あんな、わけわかんない曽根さんなんて人にいきなり連れて来られたばっかのぽっと出のほぼ初対面に近いやつだし。ちゃんと信用できる証人かどうかもわからないのに」 わたしが顔を上げて正面を見たせいで、そこで初めて蒲生先生の何の感情も浮かんでない澄んだ瞳と目が合った。 「…俺がこの件に関わろうと考えた理由はいくつかある。まず、君っていう信憑性のありそうな証言者が現れたこと」 無遠慮って言えば無遠慮な仕草だが、指を折り始めた手で軽くわたしの方を指した。 「こちらが多くを語る前から出てくる反応が、瀬山先生から聞いてた話としっくり符合してて腑に落ちる。根拠の薄い荒唐無稽な伝承だなと思ってたけど、あれは本当にあったことなのかもなと少しだけ信じられるようになった。それと、君の方にも。村で体験したことを消化しきれてない、きちんと決着をつけられなかったからまだその件は終わってない。って気配を感じたこと」 「…はい」 わたしは半ば諦めて肩を落とした。それは、…そう。かも。 「詳しいことはもちろん知らない。けど、数年前としたら高校生の頃だよな。非力な未成年で自分一人の力では大きな勢力に対抗しきれなくて這々の体で逃げてきたんだとしたらそのときはそれしかなかったんだし、仕方ないと思う。けど、大学含む大人の組織の力がバックについていれば。話は前回とは違ってくるだろ?」 「はい」 熱のない、相変わらずの淡々とした語り口だけど。その言葉に含まれている思いやりのニュアンスにわたしはやや感激してその目をひたと見返した。 「俺や瀬山先生や、由田含むゼミの連中の協力があれば。君に危険がないようにしっかり護衛した状態で調査を進めることができると思う。ていうか、安全が確保されてるって保証さえあるんなら。…本当はずっと、ちゃんと知りたい、解明したいって思いもあったんじゃないか?その村の真実というか。どうして自分が遭ったような、そういう因習がその土地に深く根付いたのかっていう真の理由を」 「…さっきから側で聞いてて、思うんですけど」 いい感じの会話の流れに水を差すように、わたしの隣で片肘をついてグラスを傾けていた由田さんがちょっと不信感を滲ませて先生に突っ込んできた。 「蒲生さんにも純粋な、学生のことを思いやる温かな気持ちがないとは考えてませんよ?けどその一方で。…本当はちょっとだけ、自分もその村のことを本腰入れて調査したいって思いもあるんじゃないの?だって、そもそも。水鳴村周辺の地域の出身者を連れてくれば単位やるって講義のときに広報したのは。追浜さんと知り合うより前の話でしょ?」 確かに。
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