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「お、開いた。お先に奥の方へどうぞ。…そんなことうっかり言われたらさ。じゃあ、なるべくその時間帯にバイト入れようとか。金曜だし、週末泊まりがけでひとっ走り海行くかとなるじゃん?だって今どき、出欠重視しない講義なんてさ。実際希少でしょ?」
「バイトはわかるけど。…何で、海?」
別にこの人の事情はどうでもいいんだけど。狭いがたぴしの動く密室で、ちょっとやば気な音を立てて上昇していく床の動作を感じながら一対一の状態で訴えられると。まるで反応を返さずにいるのは難しい。
それでうっかり問い返したら、曽根さんは質問が投げかけられたことを特に意外と思う風でもなくこともなげに返答した。
「俺のメインの活動ってダイビングのサークルだから。泊まりがけじゃないと近場にスポットもないし、常に時間も金もいくらあっても足りないんだよね。…だからさあ、気がつくとすっかり他の講義より後回しというか。蔑ろになっちゃってて。この前、久々に出席したらびしっと宣告されちゃったよ。このままじゃ単位はやれない、って」
「はあ。…まあ、仕方ない。…ですよね」
そりゃそうだろ、と思いっきり突っ込むわけにもいかず慎重に言葉を選んで同調する。
「多分、出欠重視しないってのはそれ以外の部分で評価するって意図だと思うから。テストか課題提出かがきちんとしてれば必ずしも全部出席しなくてもいい、ってくらいの意味じゃないかな。だから講義でやってる内容に対して、まるっきり知見がなくていいってわけじゃなくて…」
あんまり厳しく追い詰めてもしょうがないのでその辺で適当に濁しておくが。
逆に言えば真面目に出席さえしていれば全然中身を理解してなくても、まるで講師の話を聞いてなくても。それである程度の点はもらえる出席重視の講義の方がむしろ怠け者には優しいってことだってある。そんな、全てが自分にとって全面的に都合がいいなんてこと。世の中にはそうそうあるわけないんだよなぁ…。
「うん。…そうなんだよ。ま、同じようなこと考えてあの講義を取ったやつ、どうも俺だけじゃなかったみたいでさ」
なるほど。まあ、そうなるかな。いきなり初っ端から大々的に出欠はどうでもいい、ってかましちゃったら。
自分の都合のいいように即、解釈してそれ以外には受け取らない。ってこの人みたいな反応する学生、ひとり二人じゃ済まないかも。
曽根さんはパーカーのポケットにそれぞれ両手を突っ込む、という気合いゼロのスタイルで余裕たっぷりの様子で暗くて狭い廊下をすたすたと進む。
話の内容からするとそんなにその講師の先生とは仲良さそうな感じでもないけど。まるで何度もここには通い慣れててここは勝手知ったる自分の領分です、と言わんばかりの態度だ。
「俺含む何人かの名前呼ばれて。前期のテストの内容もやばいし、レポートも一度も提出されてないから後期のテストでよほど挽回しないとこれじゃ単位はやれないよ、ってきっぱり言われちゃってさ。まあレポートは。…やるつもりではいたんだよ、一応。でも忙しくて。気がついたらとっくに期限過ぎててさぁ」
「挽回しようと思えば。今からならまだ何とかなりそうですよね、人伝てにでもノートある人辿っていけたら。てか、この時期に言ってくれるのって。だからちゃんとしっかり準備しろってことだから。実はかなり温情なのでは…」
少なくとも、いきなり不可を無言で突きつけてくるよりは。事前に忠告があるだけいいように思うけどな。と思った気持ちが台詞の端々に滲んでいたのか。彼はしたり顔で頷き、わたしの言うことを素直に認めた。
「うんうん、もちろん。まあ当然そうなんだよね、そこは。だから今からでも一応そっちも何とかするつもりではあるよ。探せばノートとか、過去のテストとか課題とか。人伝て辿れば何とかなると思うし…。でも、先生が救済措置ありって言ってくれるんならさ。せっかくだからそっちも、保険として何とかしておきたいんだよね、やっぱり」
「…救済措置?」
わたしはわけのわからないなりにとりあえず鸚鵡返しで訊き返した。さすがに、ここまでの説明がわたしが今ここまで連れられて来たことと関係があるはず。っていうのは間違いないとは思う。
けど、まだちゃんとこれでなるほど…、って腑に落ちるとこまで話が進んでる気がしない。キーワードは出欠度外視の講義と単位救済措置と◎◎県出身者、か。…二番目と三番目のワードの間の飛躍が。ちょっとやそっとの想像力ではどうにも埋めがたい。
わたしは彼に釣られて自分も早足になりながら、素直に諸手を挙げて降参した。
「すいません、まだ理解不能で。…今の話とわたしが◎◎県出身だってことの間に。一体何の関係が」
「いやいや、単に◎◎出身てだけじゃ駄目なのよ。だってここ◎◎県の隣だよ?そりゃ、出身者そこそこ普通にいるってば。別に珍しくも何ともないじゃん?」
えぇ…。
わたしの足取りが思わず緩む。…てか、さっき教室でこの人が言ってたことと。全然違うじゃん…。
「◎◎出身の人がなかなか見つかんないから、一生懸命考えてようやくわたしのこと思い出したって。言ってませんでしたっけ?」
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