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第15章 蒲生研究室へようこそ
「お、いたいた。ラッキー。…えーと、あんた。追浜さん、だよね?」
どかっ、と唐突に隣りの席に座ってきて大声を出してるその学生が、まさかわたしに話しかけてるとは思いもよらず。急に自分の苗字が呼ばれた事実もすぐには脳に沁みてこなかった。
この講義ってあんまりメジャーなキャパシティじゃないせいか、たまたま知り合いが誰も取ってない。だから誰かから名指しで声をかけられる可能性についてはほとんど心の準備ができていなかった。ましてや講義が無事終わって、教授も既に部屋から退出したあとなら。名前を呼ばれるような事態はほぼ考えられない、と思ってたのに。
わたしが佐藤とか鈴木だったら、直にこっち向いて声かけられてもしばらく気づかなかったかも。幸いというか不幸にもというか、『追浜』ってそんなに一般的な苗字じゃない。少なくともわたしは、これまで同じ学校に同名がいた試しがない。
…と、そんなことをつらつらと考えたのはもう少しあとになってから。その瞬間はえ、追浜ってわたし?…わたしか!とようやく気づいてびっくりして顔を上げ、即その人に目をやった。って反応が精一杯だった。
大学の教室の造り付けの狭い間隔で設置されたすぐ隣の椅子に座って、何だか楽しそうな顔つきでこっちを見てるのは多分同年代の男の子。ひとつ二つわたしより歳上か歳下か、その塩梅はよくわからない。大学は浪人も留年も可能性があるから、同期だとしても必ずしも同い年とは限らないし。
もっともわたしは現役で入ったから、もしこの人が歳下だとしたら一年生ってことになる。
何となく余裕あるこの態度からして、それはないかな…って気が。せいぜい同学年か多分三年、下手したら四年。そんなところだと思う。
「あの…、何か?」
向こうが名前を呼んで話しかけてきたんだから、用事があるのはそっちだろ。と思って一拍待ったが肘をついてにこにこしてるだけでなかなか話を切り出そうとしない。いや、ちょっと間があっただけなのかな。
けどわたしは結構せっかちなので。大した用じゃないのならさっさと済ませてよ、と思って待ちきれずに尋ねてしまった。
彼はやや突慳貪なわたしの対応を特に気にした風でもなく、明るく気さくな態度でそれに受け応えた。はなから他人を喰ったようなタイプに見えるが、これで第一印象の割に案外性格は悪くないのかもしれない。…まあ、ちょっと。調子がよさそうというか。端的に言うとチャラそうだけど。
「あ。…そっか、やっぱり。俺のこと、見覚えない?割と印象ある方だと思ってんだけど、そりゃ自惚れかぁ。…まあ、もうずいぶん経つもんね。前に顔合わせたときから」
「…申し訳ないですけど」
わたしの脳内にアラームが鳴り響き、ちょっと不穏な感じに動悸が強くなりかけた。そんな自分を制して、何とか動揺を押し隠して表面を繕う。
…落ち着け、大丈夫。別にまだこの人と以前にどこで会ったかって。話が決まったわけでもない。
こう見えてわたしは年齢の割にかなり頻繁に居場所を変えてるから。村以外にも、短期間で引っ越したり学校を変えたりでちゃんと覚えきれてない微妙な顔見知りの数がそもそも多い。大学に入ってからも、中途半端に出入りしてそれっきりになってる場所がそこそこあるし。
この人が、あの村から来た人物だって可能性は。…そんなに高くないと思う。だって、ここは。既に村と同じ県内ですらないんだし。
下手にパニックを起こした方がかえって怪しく見える。と何とか自身を奮い立たせ、背筋を伸ばし凛とした顔を作ってその人を見返した。
彼はにぱ、と破顔してちょっとわたしに迎合するように下から見上げるような仕草を見せた。
「しょうがないよね、確か最後に顔合わせたの去年だったと思うから。…あのさ、君サークル入ってるでしょ、一応。完全に幽霊だけど最近は」
「え。…入ってたっけ?」
ほっとするのと同時に、新たに投げかけられたその問いに思わず首を捻る。どうやらあの村関係の人ではなさそう。…ああ、よかった。それだけはまじでありがたい。
でもそれはそれとして。別にごまかしてるわけじゃなく素でぽかんとなる。今、わたしは二年生だから。去年、一年のときってことだよね。…サークル?
「ええと。…新歓のとき、いくつか友達の付き合いで顔出して回ったのは覚えてる。何だっけ、確かポケカ愛好家のサークルと。天文研究会と、それと。漫画愛好会」
「それ。…いや違う、いっこ前。天文のやつ」
彼はフレンドリーな態度は崩さないまま、ちょっとふざけた調子でびし。と指をわたしの眼前に突きつけた。…なるほど。あそこにいた人か。
言われてみれば、微妙に見覚えというか。こういうやたらとノリの元気な先輩が確かいたな、って記憶が微かにぼんやりとないこともない。きっと当時からそこでは何かと目立ってた人だったんだろう。と考えつつとりあえず弁解をしておくことにした。
「すいません、確かに入学してすぐ友達と一緒に見学に行ったし。新歓コンパも付き合いで行かせてもらったと思います。…けど、ほんとにただ付き添いってつもりだったので。正式に入部の手続きはしなかった、と思ったんだけど。…違ったのかな」
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