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加瀬の事務所に到着し、彼の車から降りると、章は頭を下げた。
「本当に。何とお礼を言ったらいいか」
「いやいや。頭を上げてくれ、章さん」
「御礼はします。好きな額をおっしゃってください」
章は、ちゃんと覚えていた。
志乃さえ無事なら、全財産投げ出してもいい、と言った自分の言葉を。
だが、加瀬は首を横に振った。
「あなたから、金をむしる気はないよ。気持ちだけ、受け取っておこう」
「えっ?」
なぜ? といった表情の、章だ。
そんな彼の顔を見て、加瀬は照れたように笑った。
「何というか、ね。章さんは、これまで出会って来た人間の中で、一番清々しい。気持ちのいい、男なんだ」
そんな人から、金を取る気にはなれない、と加瀬は言う。
「加瀬さん」
「揉め事があれば、また頼ってくれ。でも、あまり極道と仲良くしてたら、まずいかな?」
眠ってしまっている志乃を背負ったまま、章はもう一度深く頭を下げた。
そして、顔を上げた時には、加瀬の姿は無かった。
「……終わった。全て、片付いたんだ」
章はつぶやき、背中の志乃に向けて、微笑みかけた。
「じゃあ、帰ろうか。志乃くん」
愛車に向かう章と志乃を、すでに高く上がった円い月が照らしていた。
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