ソメイヨシノは死んだ

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 総司さんとお別れしてからの毎日は、夢中で家の手伝いをしていた。余計なことを考えてしまうより先に手を動かしていれば、どうにか一日をやり過ごすことができた。  そんなある日、井戸のそばで薄曇りの空を見上げていると、胸騒ぎがした。そんなこと滅多に起こらないものだから、首をひねっていると、風に運ばれてきた先走りの一粒がおでこを濡らした。そこから一気に雨が降り出し、夕立のような大粒の雨は、通りにあっという間に大小の水たまりを作り出した。時折雷鳴が聞こえるけれど、たぶんこちらまでは来ないだろう。  ──意外にも雨はすぐに止んだ。  湿気を含んだ後れ毛が、首の後ろに張り付いているのを手で取りながら、それらしく髪の毛を直す。  家の手伝いが一段落したところで、気分転換に少しだけ散歩に出かけることにした。すぐに消えてなくなると思っていた胸の内のざわつきが、まだそこにあったからだ。  いつもは通らない道を選んで歩いていると、少しは気分が紛れているような気がした。だいぶ大回りをして三条大橋を東へ渡り、川端通りを下がって四条通りにぶつかる手前で咄嗟に足を止めた。  ああ、これのことだったのかと納得した。  目の前に、総司さんとくれはさんが一緒にいただけならまだしも、二人が手を繋いでいる姿に目を疑った。激しい動揺に、体が強ばる。  ──私、馬鹿みたいだ。  くれはさんから、目を離せなかった。この人は、私の気持ちも、総司さんの気持ちも知っていながら、あの日、どんな気持ちで私の話を聞いていたのだろう。大人しいふりをして、腹の内では嘲笑っていたのだろうか。  頭の中がぐちゃぐちゃで、涙がこぼれそうだった。あれだけ泣いたのに、泣くことを避けられそうにないと確信すると、自分に抗うのをやめた。  うつむきながら踵を返そうとした時、何も言わずに総司さんに腕をつかまれた。そのまま、どこへともなく歩き出すけれど、決して私のためではないことくらい理解できた。  名前もないような細い路地に入るなり、急に立ち止まるから、彼にぶつかりながら足を止めた。甘い香りがふわりと鼻をかすめた。この香りを、私は知っている。知っているから、混乱した。 「……この香り、どうして?」  気付けばそう口走っていた。次の瞬間、総司さんの表情が一変した。そんなにも分かりやすく顔に出されては、嫌でも気付いてしまう。これはきっと、くれはさんにもらったものなのだろう。言葉を濁すのは、そうだと言っているも同じことだ。  可笑しくもないのに口元が緩む。その刹那、私の中の何かがぷつりと切れた気がした。  ゆっくり一呼吸置いたあと、瞬く間に感情の波が高まり、行き場を失っていたその全てを総司さんに向けた。  自棄(やけ)だった。  想いが溢れて止まらない。そんな可愛いものではなかった。  拒まれて、傷付いて、それでも好きだと気持ちを押し付ける。また、傷付いて、溢れて、傷付いて、傷付いて……  総司さんのため息を、聞こえなかったことにするには無理があるけれど、口にしてしまったことを今さらどうすることもできない。  ──しばらく沈黙が続いたあと、泣き顔を真っ直ぐに見つめられ、くれはさんのことが好きだとはっきり告げられた。さらには、今後私が総司さんの隣にいる可能性が微塵もないことを改めて突き付けられ、もう、何も言えなかった……
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