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翌年の六月、京の街はいつになく騒然としていた。
三条木屋町にある旅籠で起きた事件は、瞬く間に人から人へ言い広められ、それは、新選組のことも同じだった。
久しぶりに総司さんの名前を耳にし、人知れず胸が苦しくなった。もう、一年近くが経とうとしているのに、簡単にあの時の気持ちがよみがえるものだから、そんな自分を疑いたくなった。
──会いたくて、会いたくて、会いたくて。気が付けば、歩き出していた。
とは言え、さすがに彼を訪ねて屯所に顔を出すほどの度胸はない。ほんの少しだけ、遠目でもいいのでその姿を見られたらそれで十分だ。
──松原通りから坊城通りへ入り、左手奥に壬生寺を確認すると、道の端に寄って足を止めた。もうすぐ会えるかもしれないと思うと、次第に会いたいだけの気持ちに不安や期待が入り混じり、本当にこれでいいのかと思い始めた。
会いたいのは、私だけだ……
家を出た時の勢いが、どんどん萎んでいく。
先へ進もうか、戻ろうか。立ち往生していると、全く別の場所のことを思い出した。昔、総司さんに連れて行ってもらった桜が綺麗な場所だ。悩んで、悩んで会いに行くよりも、彼と訪れた場所で、彼に思いを馳せている方が、誰にも迷惑をかけずにすむ。今の時期に桜を見ることはできないけれど、あの日の記憶なら、簡単に思い出すことができる……
両脇には背の高い木々が立ち並び、本当にこんなところに桜があるのだろうかと疑ったのを覚えている。なだらかな上り坂を登り、草木が生い茂る一画にソメイヨシノが二本。寄り添うようにして植わっている。根元が近すぎるせいか、見上げると、まるで一本の桜の木のように見える。
そっと目を閉じ、風の音に耳を傾けていると、聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。
「サヨと一緒に行きたい場所があるんだ」
はっとなり、勢いよくまぶたを開けた。その刹那、ぶわっと風が吹いたかと思うと、大きな葉擦れの音と共に辺りの空気が一変した。まるで、知らない場所に来てしまったかのような錯覚に陥る。
今のは本当に総司さんの声だったのではと思ってすぐ、そんなはずがないと苦笑する。
辺りを見回したところで、始めから私ひとりだ。
彼は、もういない──私を好きだと言ってくれた彼は、今は別の誰かを大切に想っている。
もう、疲れてしまった……
懐刀をすっと取り出し、流れるように鞘から抜いた。
桜の木を見上げ、あの日の満開の桜を想像した。
左手を前に突き出し、思い切り右手を振りかざした。
血しぶきが舞い、二本のソメイヨシノを赤く染めた……
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