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「迷っていらっしゃるようですね」
セーブポイントが言った。
「……ああ。俺がするべきことは、物語に縋ることではない気がしてきたんだ」
俯いたまま、こたえる。脳裏には、幸せそうな妻の横顔と、指先を握る小さな手のひらの感触が蘇っていた。俺の人生という物語に登場してくれた、かけがえのない存在を想う。
「妻と子供がいるんだ。俺はセーブポイントなんて裏技を使うのではなく、愛する人に自分の物語を肯定してもらえれば、それでいいのかもしれない」
ああ、そうだ。だから俺は、何よりも先に伝えるべきだったんだ。
二人のお陰で、俺の人生は幸せだったよ、って。とてもうつくしかったよ、って。
もちろん、幼すぎる息子には、うまく伝わらないだろう。だけどいつか、いつか想像してくれればそれでいい。父と子の絆は、言葉がなくとも成立することを、いくつもの物語が証明している。
「寂しくないのですか?」
セーブポイントが言った。
「寂しいに決まってるだろ……」
だけど、と俺は言った。
「だけど、俺は自分の物語を、小細工など無しに全うしたい」
セーブポイントが沈黙した。顔を上げると、クリスタルの表面に見慣れた主人公の顔が映りこんでいた。
「……人間とは、かくも不思議な存在ですね」
貴方だけじゃないんです、とセーブポイントが言った。
「ゲームの中にいた頃は、違いました。貴方がたは、私どもを重宝し、特別なものとして扱ってくれました。ですが、現実の物語に顕現してからは、誰も私どもを利用してくれないのです」
「そうなのか?」
「はい。だから、ずっと疑問だったのです。どうして人間は、そのように脆く儚い現実に、傷つきながらも拘泥するのだろうかと。ですが今回、少しだけわかった気がします。貴方がたは自らの物語を本当に愛しているのですね」
ああ、でもだからこそ、とセーブポイントは言った。
「私どもは貴方がた人間の物語に、寄り添いたいと考えてしまうのかもしれません」
セーブポイントは実在した。だけど、人間はそう簡単にセーブをしないらしい。それでもきっと、このクリスタルは何人もの主人公を映してきたのだろう。人生の尊さを回想するための、魔法の鏡のように。
「たとえセーブをしてもらえなくとも、君たちが存在する意味はあると思うよ」
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとう」
そう言って俺は、スマホをタップした。キラリ、と光が弾けるような音がした。
「どうか、よい旅を」
セーブポイントが言った。
青い光が強く瞬く。まるで世界に祝福されたような心持ちになった俺は、エンディングが迫る愛おしい日常へと踵を返した。
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