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二階の中央に位置する、おもに運営人たちが月に一度、定例会をするために使用する会議室。
あれから長い廊下を渡り、なんとかその部屋の前までたどり着いた成世は、コンコン、と軽く扉をノックし、取手を回して会議室のドアを押し開いた。
「失礼しまーす……真堂さん、急に呼び出すとか、いったい俺に何の用で…」
成世が部屋へ足を踏み入れた、その時。
─がばり、と。
突然、得体の知れない、何か大きなものが成世に覆いかぶさった。
「なーるせ!」
「は─……っ!?」
ドンッという強い衝撃と共に、ぐらりと視界が大きく傾く。
足がもつれ、倒れる……と思った瞬間、咄嗟にぐいっと誰かに背中を支えられた。
成世の背に腕を伸ばしたその人物は、そのまま勢いよく成世に抱きつくと、ぎゅうぅぅぅっと彼を目一杯力強く抱き締める。
「久しぶり、成世!会えなくて寂しかったよー」
「兄貴……!?」
耳元で響いたその聞き覚えのある少し高い声色に、成世の脳内は一瞬、真っ白になる。
それは真堂でも、見知らぬ赤の他人でもなくて。
忘れるはずもない。
あの日、あの時。
成世と姉をゲームに売り。
こっちにおいで、と。
自分を向こう側から手招いた、実の兄。
─出資者の一人、不破衣織の声だった。
「……ッ!!」
「わわ、っと」
成世は自身に抱きつく体を無理やり引き剥がすと、その人物と目を合わす。
自分と同じ紅い瞳に、丁寧に整えられた金髪。
僅かに成世より背の高い、大人びた雰囲気を持つその青年は、確かに成世の兄、不破衣織の姿だった。
二年ぶり会う兄を前に、成世は愕然とした表情のまま、信じられない、といった表情でつぶやく。
「……………………なん、で…兄貴が、ここに」
「久しぶりに成世の顔見たくてさ。会いに来ちゃった」
「…………は、?」
「監視役の子にちょーっとお金渡したら、案外簡単に見逃してくれてさ。思い切って来ちゃった」
衣織はそう言ってくしゃりと破顔すると、ころころと楽しげに笑ってみせた。
衣織の無邪気な笑い声が、広い会議室に大きく響き渡る。
その一方、成世は未だにこの状況を飲み込めずにいた。
「……」
―出資者と運営人の間には、上層部より接触禁止命令が下っている。
理由は簡単。
出資者による、賭博の公平性を保つためだ。
出資者は、ゲームで賭博をすることで資金を循環させている。
そんな彼らが万が一ゲームの進行を管理する運営人と手を組み、システムに支障を来すようなことがあれば、ゲームは成り立たなくなってしまう。
よって組織の上層部は、施設の至る所に監視カメラを設置し、監視役に見張らせることで、両者の均衡を保っていた。
しかし。
……どうやらこの組織の人間は、思った以上に腐っていたらしい。
衣織はその規則を、いとも簡単に買収という形でかわしてしまった。
嫌悪感に強く唇を嚙み締めていた成世は、さらにとあることに気づき、はっと息を飲みこむ。
「……じゃあ、俺をここに呼び出したのも」
「そうそう。あの子……桜ちゃんだっけ?に頼んでさ。真堂ちゃんが呼んでるよって、上手いこと成世を連れて来てくんない?って」
「……」
……桜は、他人から命じられた行動以外とることができない。
たとえそれが、組織の規定違反に加担するような形であってもだ。
彼には、そもそも意思がない。
善悪の判断を、自分自身で下すことができないのだ。
そして。
そのことを利用され、まんまと成世はこの部屋に来てしまった。
……つまり最初から、すべて衣織の思惑通りだったというわけだ。
ぎり、と成世の奥歯から鈍く掠れた音が鳴る。
「…………ふざ、けんな」
「ん?」
気づいたら、声に出ていた。
怒りで体が震え、手が痺れる。
俯く成世の顔を、心底不思議そうに、衣織がひょっこりと覗き込んだ。
「成世?急にどうし、」
「ふざけんなっつってんだよ!!!!!!」
途端。
喉が切り裂けるほどの怒りに満ちた怒声が、会議室に響き渡った。
ダンッ!!と思い切り兄の体を突き飛ばし、衣織を鋭く睨みつける。
兄弟ともども似通ったその顔は、今までにないほど凄まじい形相をしていた。
「今更なんのつもりだ!?会いに来たって……俺はあんたと話すことなんか一つもない!!」
「成世……?」
「なんで俺を売った!?なんで姉ちゃんをこんなところに売りつけた!?なんで姉ちゃんを殺したんだよ!!」
肩を揺らし、体を力ませ、ただひたすらに畳み掛けるようにして、衣織に罵声を浴びせ続ける。
もっと聞きたいことや、言ってやりたいことがたくさんあったはずなのに。
実際こうして本人を目の前にしてしまうと、ほとんど何も浮かんでこなかった。
悔しくて、じんわりと目尻に涙が浮かぶ。
「……っ、」
……二年前の、あの日。
─衣織がデスゲームに売ったのは、成世だけではなかった。
それは、成世の一つ年上の姉の。
そして、衣織の妹でもある、不破麗奈も同様だった。
だが彼女は運営人となった弟とは違い、売られた先のゲームで生き残ることはなく、最期には成世を庇って死んだ。
成世が今生きているのは彼女のおかげであり、そして何より、間違いなく衣織はあの日実の妹を殺したのだ。
ぐっと強く唇を噛み締め、成世は揺らぐ瞳を必死に押さえつけて、兄を睨みつける。
そんな弟を、衣織はしばらくきょとんとした表情で眺めていたが。
「………ねえ。やっぱりあれのせいなの」
「……………え?」
突如勢いを失った成世の問いに、ぱっと衣織の視線が上がる。
一方成世は再び地面に目線を落とすと、強く握りしめた拳を微かに震わせた。
その弱々しい、どこか懇願するようなか細い声のまま、成世は続ける。
「あの時、兄貴が俺たちを庇ったから……父さんが、あんなことしたから……兄貴は、変わっちゃったの」
「………」
成世の問いかけにも、衣織は答えない。
……実際、何故衣織が自分たちをゲームに売ったのか、その理由は未だにわからないままだった。
兄の衣織も、姉の麗奈も、そしてもちろん弟の成世も。
不破家の兄弟はどの家庭よりも仲が良かったし、何よりも衣織は、誰よりも家族を一番に考えている人物だった。
それこそ成世たちを過保護にするあまり、周囲に呆れられていたほどに。
加えて成世たちは、衣織が出資者になってから自分たちを売るまで、少なくとも約一年以上は普通に生活を共にしていたはずだが、何の前兆もなかった。
ただ、本当にある日、デスゲームに売られた。
……だから、もしかしたら、と思っていた。
兄も、自分と同じなのではないかと。
だって出資者の中には、雲十と同じ。
成世たちが憎む、あの家の人間がいるから。
「………」
……成世も、ただ手放しに衣織を憎みたかったわけじゃない。
確かに成世は衣織に恨みを持ってはいるし、姉を殺したことを許した訳ではないが、運営人になったのは、何も彼を殺すためではない。
自分たちをゲームに売った、その真意を知りたかったからだ。
何かちゃんとした理由があって、そうせざるを得ない原因があって。
話し合って、和解できるのなら和解したい。
またもとの関係に戻りたい。
兄と一緒に、普通の生活に戻りたい。
だってここに来る前の成世は、誰よりも衣織のことが大好きで、慕っていて。
……その背中に、いつもついて回るような子だったから。
「……ねえ、兄貴…っ」
「………」
縋るように、兄の名前を呼ぶ。
……が、しかし。
次の瞬間。
─そんな希望は、跡形もなく砕け散ってしまった。
「……んー」
「兄貴……?」
「ね、そんなことよりもさ」
突如、ぐい、と。
腰を抱かれ、腕を掴まれ、体を引き寄せられ。
その綺麗な目が、鼻が、口が、眉が。
衣織の顔が、間近に迫る。
「─成世は、俺との再会を喜んでくれないの?」
「………え…?」
「それに。もう前みたいに呼んでくれないの?兄ちゃん、って」
─ぞく、と。
直後、衣織に薄く微笑まれ、凄まじい寒気が成世を襲った。
背筋が凍り、全身が強ばり。
恐怖で、体が動かない。
その間にも衣織は成世の頬にすり、と手を擦り寄せ、顔を近づけると、小さく笑みを浮かべる。
「それよりも成世、もしかして背伸びた?超されるのも時間の問題だなぁ」
「え……?」
「麗奈超すのも早かったもんねえ。確か、中学の時だったっけ。成世に超されたーって、あの時も麗奈、大騒ぎして」
……あれ?と思った。
何かがおかしい。
明らかに、どこかが間違っている。
……まるで、話が通じない。
「でもさ。やっぱりちょっと嬉しそうだったよね」
話が、噛み合わない。
「父さんと母さんもさ。生きてたら、きっと喜んでくれたはずだよ。大きくなったねって。成世が、生きててくれてよかったって」
─これじゃあ、まるで。
「ん……っ」
「!」
途端、ぴく、と。
不意に抱かれている腰に衣織の指があたり、成世は上半身を跳ね上がらせてしまった。
そこは普段執拗に雲十に触れられる箇所であるせいか、ほぼ反射的に口から変な声が漏れ出る。
かっと羞恥で顔が赤くなり、咄嗟に手で口を強く押さえつけた。
……しかし、既に遅かったらしい。
「……ふぅん?」
衣織は意味ありげにそう低く呟くと、どこか面白がるようにすっと目を細めた。
口では笑っているのに、目の奥はまるで笑っていない。
まさに、貼り付けたような笑みだった。
異変を感じた成世は、後ずさり、逃げるように腰を引くが。
「……あぁそういえば。成世、セフレいたんだっけ?」
「ちょ、…っ」
「雲十くん、だったかな。ほら、雲竜の弟の」
「兄貴っ……ちょ、やめ、」
「可愛いよね、あの子。背ちっちゃいし。ちょっと不愛想だけど、そこもなんか可愛いっていうかさ。成世ってああいう子がタイプなの?」
「……っ?」
さわさわ、すりすり、と。
衣織が、成世の体を愛おしげに撫で回す。
それと同時に、くすぐったさが体と連動し、成世はびくんと無意識に上半身を飛び上がらせてしまう。
兄弟間の、衣織による一方的なスキンシップ……といえばそうなのだろうが。
……何か、違う。
成世の頬に触れるその手が、脇を、腹を、腰を、ゆっくりと撫でる、その指が。
成世を見つめる、妙に熱っぽいその瞳が。
そして何より、それに反応してしまう、どこまでも素直な自分の体が。
「…やめ、て、……って、ば…ッ!」
まさか、と思った。
咄嗟にぐ、と衣織の腕を手で押さえつけるも、彼が成世を愛撫する手は止まらない。
それどころか、早くも背中にトンッと壁がぶつかり、逃げ場を失ってしまった。
「……っ」
危ない、と脳が強く危険信号を出していた。
衣織が今自分に何をしようとしているのか、自分をどんな目で見ているのか。
察した成世の体から、さっと一気に血の気がひいていく。
この危機感を、成世はよく知っている。
だって、この感覚は、この雰囲気は。
二年前の、あの時と同じ。
成世が、雲十に襲われた時の─……。
「─もう、酷いなぁ衣織。私以外の男に手を出すなんて」
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