第7話.望まぬ再会

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 二階の中央に位置する、おもに運営人たちが月に一度、定例会をするために使用する会議室。  あれから長い廊下を渡り、なんとかその部屋の前までたどり着いた成世は、コンコン、と軽く扉をノックし、取手を回して会議室のドアを押し開いた。 「失礼しまーす……真堂さん、急に呼び出すとか、いったい俺に何の用で…」  成世が部屋へ足を踏み入れた、その時。  ─がばり、と。  突然、得体の知れない、何か大きなものが成世に覆いかぶさった。 「なーるせ!」 「は─……っ!?」  ドンッという強い衝撃と共に、ぐらりと視界が大きく傾く。  足がもつれ、倒れる……と思った瞬間、咄嗟にぐいっと誰かに背中を支えられた。  成世の背に腕を伸ばしたその人物は、そのまま勢いよく成世に抱きつくと、ぎゅうぅぅぅっと彼を目一杯力強く抱き締める。 「久しぶり、成世!会えなくて寂しかったよー」 「兄貴……!?」    耳元で響いたその聞き覚えのある少し高い声色に、成世の脳内は一瞬、真っ白になる。  それは真堂でも、見知らぬ赤の他人でもなくて。  忘れるはずもない。  あの日、あの時。  成世と姉をゲームに売り。  こっちにおいで、と。  自分を向こう側から手招いた、実の兄。  ─出資者の一人、不破衣織の声だった。     「……ッ!!」 「わわ、っと」  成世は自身に抱きつく体を無理やり引き剥がすと、その人物と目を合わす。  自分と同じ紅い瞳に、丁寧に整えられた金髪。  僅かに成世より背の高い、大人びた雰囲気を持つその青年は、確かに成世の兄、不破衣織の姿だった。  二年ぶり会う兄を前に、成世は愕然とした表情のまま、信じられない、といった表情でつぶやく。 「……………………なん、で…兄貴が、ここに」 「久しぶりに成世の顔見たくてさ。会いに来ちゃった」 「…………は、?」 「監視役の子にちょーっとお金渡したら、案外簡単に見逃してくれてさ。思い切って来ちゃった」  衣織はそう言ってくしゃりと破顔すると、ころころと楽しげに笑ってみせた。  衣織の無邪気な笑い声が、広い会議室に大きく響き渡る。  その一方、成世は未だにこの状況を飲み込めずにいた。 「……」  ―出資者と運営人の間には、上層部よりが下っている。  理由は簡単。  出資者による、賭博の公平性を保つためだ。  出資者は、ゲームで賭博をすることで資金を循環させている。  そんな彼らが万が一ゲームの進行を管理する運営人と手を組み、システムに支障を来すようなことがあれば、ゲームは成り立たなくなってしまう。  よって組織の上層部は、施設の至る所に監視カメラを設置し、監視役に見張らせることで、両者の均衡を保っていた。  しかし。  ……どうやらこの組織の人間は、思った以上に腐っていたらしい。  衣織はその規則を、いとも簡単にという形でかわしてしまった。  嫌悪感に強く唇を嚙み締めていた成世は、さらにとあることに気づき、はっと息を飲みこむ。 「……じゃあ、俺をここに呼び出したのも」 「そうそう。あの子……桜ちゃんだっけ?に頼んでさ。真堂ちゃんが呼んでるよって、上手いこと成世を連れて来てくんない?って」 「……」  ……桜は、他人から命じられた行動以外とることができない。  たとえそれが、組織の規定違反に加担するような形であってもだ。  彼には、そもそも。  善悪の判断を、自分自身で下すことができないのだ。  そして。  そのことを利用され、まんまと成世はこの部屋に来てしまった。  ……つまり最初から、すべて衣織の思惑通りだったというわけだ。  ぎり、と成世の奥歯から鈍く掠れた音が鳴る。 「…………ふざ、けんな」 「ん?」    気づいたら、声に出ていた。  怒りで体が震え、手が痺れる。  俯く成世の顔を、心底不思議そうに、衣織がひょっこりと覗き込んだ。 「成世?急にどうし、」 「ふざけんなっつってんだよ!!!!!!」  途端。  喉が切り裂けるほどの怒りに満ちた怒声が、会議室に響き渡った。  ダンッ!!と思い切り兄の体を突き飛ばし、衣織を鋭く睨みつける。  兄弟ともども似通ったその顔は、今までにないほど凄まじい形相をしていた。 「今更なんのつもりだ!?会いに来たって……俺はあんたと話すことなんか一つもない!!」 「成世……?」 「なんで俺を売った!?なんで姉ちゃんをこんなところに売りつけた!?なんで姉ちゃんを殺したんだよ!!」  肩を揺らし、体を力ませ、ただひたすらに畳み掛けるようにして、衣織に罵声を浴びせ続ける。  もっと聞きたいことや、言ってやりたいことがたくさんあったはずなのに。  実際こうして本人を目の前にしてしまうと、ほとんど何も浮かんでこなかった。  悔しくて、じんわりと目尻に涙が浮かぶ。 「……っ、」  ……二年前の、あの日。    ─衣織がデスゲームに売ったのは、成世だけではなかった。    それは、成世の一つ年上の姉の。  そして、衣織の妹でもある、不破麗奈(れいな)も同様だった。  だが彼女は運営人となった弟とは違い、売られた先のゲームで生き残ることはなく、最期には成世を庇って死んだ。  成世が今生きているのは彼女のおかげであり、そして何より、間違いなく衣織はあの日実の妹を殺したのだ。  ぐっと強く唇を噛み締め、成世は揺らぐ瞳を必死に押さえつけて、兄を睨みつける。  そんな弟を、衣織はしばらくきょとんとした表情で眺めていたが。 「………ねえ。やっぱりのせいなの」 「……………え?」  突如勢いを失った成世の問いに、ぱっと衣織の視線が上がる。  一方成世は再び地面に目線を落とすと、強く握りしめた拳を微かに震わせた。  その弱々しい、どこか懇願するようなか細い声のまま、成世は続ける。 「あの時、兄貴が俺たちを庇ったから……父さんが、あんなことしたから……兄貴は、変わっちゃったの」 「………」  成世の問いかけにも、衣織は答えない。  ……実際、何故衣織が自分たちをゲームに売ったのか、その理由は未だにわからないままだった。  兄の衣織も、姉の麗奈も、そしてもちろん弟の成世も。  不破家の兄弟はどの家庭よりも仲が良かったし、何よりも衣織は、誰よりも家族を一番に考えている人物だった。  それこそ成世たちを過保護にするあまり、周囲に呆れられていたほどに。  加えて成世たちは、衣織が出資者になってから自分たちを売るまで、少なくとも約一年以上は普通に生活を共にしていたはずだが、何の前兆もなかった。  ただ、本当にある日、デスゲームに売られた。  ……だから、もしかしたら、と思っていた。  兄も、自分と同じなのではないかと。  だって出資者の中には、雲十と同じ。  成世たちが憎む、がいるから。 「………」  ……成世も、ただ手放しに衣織を憎みたかったわけじゃない。  確かに成世は衣織に恨みを持ってはいるし、姉を殺したことを許した訳ではないが、運営人になったのは、何も彼を殺すためではない。  自分たちをゲームに売った、その真意を知りたかったからだ。  何かちゃんとした理由があって、そうせざるを得ない原因があって。  話し合って、和解できるのなら和解したい。  またもとの関係に戻りたい。  兄と一緒に、普通の生活に戻りたい。  だってここに来る前の成世は、誰よりも衣織のことが大好きで、慕っていて。  ……その背中に、いつもついて回るような子だったから。 「……ねえ、兄貴…っ」 「………」  縋るように、兄の名前を呼ぶ。  ……が、しかし。  次の瞬間。  ─そんな希望は、跡形もなく砕け散ってしまった。 「……んー」 「兄貴……?」 「ね、そんなことよりもさ」  突如、ぐい、と。  腰を抱かれ、腕を掴まれ、体を引き寄せられ。  その綺麗な目が、鼻が、口が、眉が。  衣織の顔が、間近に迫る。 「─成世は、俺との再会を喜んでくれないの?」 「………え…?」 「それに。もう前みたいに呼んでくれないの?、って」  ─ぞく、と。    直後、衣織に薄く微笑まれ、凄まじい寒気が成世を襲った。  背筋が凍り、全身が強ばり。  恐怖で、体が動かない。  その間にも衣織は成世の頬にすり、と手を擦り寄せ、顔を近づけると、小さく笑みを浮かべる。   「それよりも成世、もしかして背伸びた?超されるのも時間の問題だなぁ」 「え……?」 「麗奈超すのも早かったもんねえ。確か、中学の時だったっけ。成世に超されたーって、あの時も麗奈、大騒ぎして」  ……あれ?と思った。  何かがおかしい。  明らかに、どこかが間違っている。  ……まるで、話が通じない。   「でもさ。やっぱりちょっと嬉しそうだったよね」    話が、噛み合わない。 「父さんと母さんもさ。生きてたら、きっと喜んでくれたはずだよ。大きくなったねって。成世が、生きててくれてよかったって」  ─これじゃあ、まるで。   「ん……っ」 「!」    途端、ぴく、と。  不意に抱かれている腰に衣織の指があたり、成世は上半身を跳ね上がらせてしまった。  そこは普段執拗に雲十に触れられる箇所であるせいか、ほぼ反射的に口から変な声が漏れ出る。  かっと羞恥で顔が赤くなり、咄嗟に手で口を強く押さえつけた。  ……しかし、既に遅かったらしい。 「……ふぅん?」  衣織は意味ありげにそう低く呟くと、どこか面白がるようにすっと目を細めた。  口では笑っているのに、目の奥はまるで笑っていない。  まさに、貼り付けたような笑みだった。  異変を感じた成世は、後ずさり、逃げるように腰を引くが。 「……あぁそういえば。成世、セフレいたんだっけ?」 「ちょ、…っ」 「雲十くん、だったかな。ほら、雲竜(うんりゅう)の弟の」 「兄貴っ……ちょ、やめ、」 「可愛いよね、あの子。背ちっちゃいし。ちょっと不愛想だけど、そこもなんか可愛いっていうかさ。成世ってああいう子がタイプなの?」 「……っ?」  さわさわ、すりすり、と。  衣織が、成世の体を愛おしげに撫で回す。  それと同時に、くすぐったさが体と連動し、成世はびくんと無意識に上半身を飛び上がらせてしまう。  兄弟間の、衣織による一方的なスキンシップ……といえばそうなのだろうが。  ……何か、違う。  成世の頬に触れるその手が、脇を、腹を、腰を、ゆっくりと撫でる、その指が。  成世を見つめる、妙に熱っぽいその瞳が。  そして何より、それに反応してしまう、どこまでも素直な自分の体が。 「…やめ、て、……って、ば…ッ!」    まさか、と思った。  咄嗟にぐ、と衣織の腕を手で押さえつけるも、彼が成世を愛撫する手は止まらない。  それどころか、早くも背中にトンッと壁がぶつかり、逃げ場を失ってしまった。 「……っ」  危ない、と脳が強く危険信号を出していた。  衣織が今自分に何をしようとしているのか、自分をどんな目で見ているのか。  察した成世の体から、さっと一気に血の気がひいていく。  この危機感を、成世はよく知っている。  だって、この感覚は、この雰囲気は。  二年前の、あの時と同じ。  成世が、雲十に襲われた時の─……。 「─もう、酷いなぁ衣織。私以外の男に手を出すなんて」
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