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第8話.出資者
─組織が保有するこの施設には、いくつもの階層が存在する。
一つは、実際のデスゲームの会場である地下。
ゲームに直接関与しない、実験結果をもとに新たな研究に励む、一般研究員が出入りする一階。
デスゲームを管理する、成世たち運営人が活動する二階。
そして。
―衣織たち出資者の集う、ゲームで賭博をするための【賭場】が存在するここ、三階層だ。
「ねえ、衣織?」
「んー?」
微かに日当たりがいいせいだろうか。
ついさっきまでいた二階よりも僅かに明るく、真っ白な殺風景の廊下に、衣織の高くのんびりとした声が響き渡った。
その後ろには、紺色の着物をまとった雲竜の姿がある。
あれから二人は三階へと上がり、再び自分たちの持ち場である賭場に戻ろうと、廊下を歩いていたのだが。
「本当に良かったのかい?」
「え、何が?」
「成世くんのことだよ。彼、出ていく時顔真っ青だったでしょう。さすがに少し可哀想だったんじゃない?」
「あはは。大袈裟だよ、あんまりにも可愛いもんだから、ついいじわるしたくなっちゃって。ちょっとおどかしただけだって」
「よく言うよ。彼をゲームにまで売っておいて」
同情するかのような口ぶりの反面、雲竜は、ふふ、とどこかこの状況を楽しむ笑みを浮べると、衣織の背に目を向けながら言葉を漏らした。
「君に愛されすぎるってのも考えものだね」
「何言ってんの。君だって俺に愛されてる人間のうちの一人でしょ?」
「うーん……まあそうなんだけどねえ、」
「それとも。体だけの愛じゃ不満?」
ちらと後ろ目にそう言って笑う衣織に、雲竜は一瞬驚いたように目を見開く。
だがすぐにいつもの笑みを取り戻すと、彼は「……いいや?」とゆっくりと首を横に振った。
……実際彼らの間には、成世たちと同様、一定以上の感情は存在しない。
事の発端は三年前、二人がまだ出資者になったばかりの頃だった。
きっかけは雲竜。
だが、それに便乗し、二人の今の関係を確立させたのは、紛れもなく衣織だった。
しかし二人の関係性は複雑さを極める弟たちと比べて案外単純で、今のところは、特に大きな問題が起きることなく関係を維持できているのだが。
「……」
一方、雲竜の言葉に衣織はぴたりと足を止める。
前を歩いていた衣織の歩行が停止し、必然的に雲竜も足を止めた。
こくん、と不思議そうに雲竜は首を傾げる。
「衣織?」
「……んー、じゃあさ」
くす、と柔らかな笑みを浮かべて、衣織はくるりと雲竜の方を振り返る。
それと同時に、衣織の体からはα特有の濃く甘い香りが一気にふわりと広がった。
下手をしたら、同じαである雲竜さえも思わず惹き込まれてしまいそうなほど濃さだ。
その十センチ以上も高い長身の彼の顔を見上げながら、衣織は白い歯を覗かせる。
「……成世は、俺の何に対してそんな顔をしたんだと思う?」
「え?」
「俺がまともに会話に取り合わなかったから?俺があの子を襲いかけたから?それとも、」
その時。
衣織はつま先を伸ばし、するりと雲竜の首に手を回して、ぶら下がるようにして一気に自身の体重を預けると、ちゅ、と一瞬だけ彼と唇を触れ合わせた。
雲竜の前で、淫魔のような衣織がふふ、と小さく微笑む。
「それとも。……俺が、俺たちの家族を一家心中に追い込んだ、蓮水家の人間である雲竜と関係を持っていたから?」
「……」
衣織の言葉に、雲竜は大して反応する様子もなく、ただただいつも通り薄い笑みを浮かべる。
底のない、少しでも気を抜いたら吸い込まれてしまいそうなほどに紅く、濃い衣織の瞳が、雲竜をじっと見据えていた。
「……ま、別にどっちでもいいんだけどね」
だがすぐに飽きてしまったのか、衣織はそう言ってぱっと雲竜の首から手を離すと、再び廊下の先へと歩き出してしまった。
先ほどの妖艶な微笑とは一変、今度はにこっと子供のような無邪気な笑顔をつくりながら、彼はこちらに目を向ける雲竜を横目に見ながら続ける。
「あぁでも。今後雲十くんに対する当たりは強くなっちゃうかもね。成世、もともと復讐目的で雲十くんに近づいたみたいだから」
「そうだろうねえ……うちの雲十は、それに気がついてないみたいだけど」
「ほっといていいの?雲十くん、このままじゃどうなるかわからないよ。最悪、成世に壊されちゃうかも」
「……私にとって雲十は可愛い弟だけど。私とあの子がそういう関係じゃないの、衣織知ってるでしょ」
「あー……そういえば言ってたね、そんなこと」
「あくまで家督争いで利用し合う関係だよ。私に反抗しない代わりに、私はあの子をなるべく家の面倒事には巻き込まない。従順な子で助かってるよ」
「もう、冷たいなぁ。もっと優しくしたげたっていいのに」
くすくすと笑いながら、それでも衣織は雲竜と一度も目を合わせることなく、先へ先へと進んで行ってしまう。
衣織の絹のような、美しい金髪が雲竜の目の前で揺れる。
そんな彼の背に向かって、雲竜はふとおもむろに口を開いた。
「……ねえ、衣織」
「うん?」
相変わらず、この陰気臭い施設の雰囲気にはまったく似合わない、衣織の高く緩慢とした声が前から返ってくる。
上機嫌に鼻歌を口ずさむ衣織に、雲竜は純粋な疑問を彼に投げかけた。
「君は、私を恨んではいないの?」
ぴく、と。
雲竜の言葉に、衣織の体が一瞬だけ僅かに反応する。
それと同時に、前を歩いていた衣織の足が再びぴたりと止まった。
「……」
だが、数秒の間のあと。
くるりと衣織は軽やかな動きで雲竜の方を振り返ると、ふふ、と小さく微笑む。
その笑顔は、四年前。
雲竜が初めて衣織に出会った、あの時と同じ。
何を考えているのかわからない、相も変わらず優艶な笑みをしていた。
「─恨んでないよ。たぶんね」
「……」
衣織はそういうと、にこ、と最後は子供っぽい笑顔を浮かべ、前を向いて歩きだした。
少し後ろではそんな彼を雲竜が黙って見つめる一方、衣織は呑気にぐっと伸びをし、改めて言葉を発する。
「……さて、と。可愛い弟にも会えたことだし、今日はいつもより頑張っちゃおうかな」
気づくと二人は、三階の中央にある、やけに厳重に施錠された、両開きの黒い大きな扉の前まで早くも辿り着いていた。
ガチャン、とそのあまりに仰々しい金属製の取っ手に掴み、重々しいドアをゆっくりと押し開けながら、衣織はその向こう側にいる人物たちに向かってふわりと柔く微笑む。
「―ただいま、みんな」
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