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第3話.とあるαたちの日常
―デスゲームの運営人。
それが、この二人が携わる仕事の内容を表すのに、最もふさわしい言葉だった。
もっと一般的な職種で言い表すならば、いわば脳科学研究施設の研究員。
彼らのいるこの古びた巨大施設はとある組織によって統括されており、主に人間の感情についての研究が執り行われていた。
彼らが欲しているのは、通常の生活では得られない、人の死による極限状態の感情と脳のはたらき、行動心理について。
それらのデータを採取するため、実験と称し実施されているのが、まさにデスゲームと呼ばれるものだった。
デスゲームの開催には出資者、運営人、プレイヤーと大きく分けて三つの役割が存在するが、二人の就く運営人は、まさにゲームの管理、運行、データの取得を担っている。
何故そんな研究をする必要があるのか、組織は何を目的にしているのかは不明だが、それは施設でもそれなりの地位にいる雲十たちでさえも同様のことだった。
自身の背後に潜む大きなものには無理に目を向けず、ただ実体のない何かの部品として機械的に生きていく。
それが雲十と成世を含む、不運にも運営人となってしまった人間の末路だった。
雲十たちはあれから部屋を去り、招集命令の下った二階の管理室に向かって、施設の薄暗い廊下を歩いていたのだが。
「うげぇ……待ってやば、超腰痛い…」
「……」
「優しくしてって……俺、昨日もちゃんと言ったのにぃぃぃ…」
そう言って腰を押さえ、突如床にしゃがみこんだのは隣にいる成世。
口を尖らせ、遠回しに昨夜の行為の激しさに文句を言う彼は、雲十と同様、やはり容姿にも優秀な遺伝子を持つα性の持ち主なのだろう。
認めたくはないが、やはりその不貞腐れた顔も、どこか様になっているような気がした。
「……」
─この世界には、男女を区別する一次性別に加え、思春期以降に発現する性別として、二次性別と呼ばれるものが存在する。
二次性別が持つ性は、おもに三つ。
すべてにおいて優秀な遺伝子を持ち、社会的地位が高い者が多いとされているα。成世と雲十は、これに該当する。
次に、人口の大半を占め、ごく一般的な性別とされているβ。
そして。最も人口が少なく、社会的地位の低いΩ。
だがこのΩ性と呼ばれる性には非常に厄介な特徴があり、Ωの人間は男女問わず妊娠可能な体を持つだけでなく、数ヶ月に一度酷い発情期に陥り、αとβを誘惑するフェロモンを放出するのだ。
このフェロモンにあてられたβ……特に発情状態になったαは理性が飛び、強い性的衝動のもと、Ωを求めるようになってしまうのだが。
「……はぁ」
「え、何そのため息。ため息吐きたいのは俺の方なんですけど…」
「違う、そうじゃなくて。……いいから行くよ。早くしないと遅れる」
雲十はそう言うと、未だうずくまる成世をおいて、すたすたと先に廊下の奥へと歩き出してしまう。
予想以上に淡白な反応を返され、成世がぽかんとする一方、雲十は思い出してしまった今朝の夢に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
……そう。
二年前、雲十が成世を襲ってしまったのも、彼がラットになったことが原因だった。
あれは二人がまだ運営人になったばかりの頃。
監視を担当していたゲームでΩのプレイヤーの一人が発情し、処理に追われた雲十は、不覚にもそのフェロモンに強くあてられてしまった。
施設ではΩのヒートやαのラットを制御するための抑制剤も配布されているのだが、その日は運悪く持ち合わせておらず、回らない頭でふらふらと廊下を歩いていた矢先に鉢合わせてしまったのが、当時まだ十七歳の成世だった。
通常、αが同性の、しかも男のαを求めることなんてことはまずありえない。
しかし、その時抗えない強い性欲に脳を支配されていた雲十は、湧き上がる衝動に身を任せるまま、目の前の成世を襲ってしまった。
……そして、今に至る。
あの我を失い、淫欲に思考をぐちゃぐちゃに犯されるような感覚はとても快いものとは思えず、今思い返すとと僅かに鳥肌がたってくる。
「─ねぇ、待ってよ」
その時。
いつの間に追いついて来たのだろうか。
成世が、背後から雲十にふわりと大きく抱きついた。
成世の少し長い金髪が頬をかすめ、ふんわりとした彼の甘い香りが、雲十の鼻をくすぐる。
ぐっと左腕で雲十の腰を引き寄せ、右手で指を絡ませながら、成世はすりすりと肩に額を擦り付ける。
「……何」
「んー……雲十さ、もうちょっと俺のこと心配してくれてもよくない?」
「……は?」
「せっかく俺が勇気出して甘えてんだからさぁ……気遣うふりくらいしてくれてもいーじゃん」
拗ねているのか、成世は雲十の左肩に顔を埋めたまま、大きく息をつく。
どうやら先ほどまでの態度は、彼なりのアピールだったらしい。
かまってほしい、とでも言うようにいつまでもすりすりと擦り寄ってくる成世に、雲十は鬱陶しげに顔をしかめる。
「……やめて。時間ないって言ってるでしょ」
「じゃ、キスして?」
「は?」
「雲十がしてくれたら俺、頑張って歩くから。それまで放してやんない」
「……」
「……ね、お願い雲十。1回だけ」
ぞく、と。
耳元で囁かれ、背筋が震える。
それと同時に、なんとか成世の腕の中から抜け出そうと、彼の左腕に手をかけていた雲十の手は、思わずぴたりと止まってしまった。
そんな雲十の反応にますます調子に乗ったのか、その隙にも成世はするりと服の下に手を忍ばすと、耳元に唇を近づけてくる。
「……雲十、好き…だいすき」
「……っ…」
「好きだよ、雲十」
成世のあだっぽい声が……昨夜もそうやって自分を呼んだ彼の甘い声音が、じんわりと耳の中で柔らかく響く。
……成世はいつもこうだ。
二人は体だけの関係で、好意なんてあるはずがないのに。
頻繁にこうやって、雲十の耳元で愛を囁く。
それも何度も何度も、しつこいほどに。
下手をしたら、絆されて。
それこそ、堕ちてしまいそうなほどに。
しかし。
「……………やめて」
「わふっ!?」
ぐいっと、雲十の手が成世の顔を押し上げ、成世は勢いよく彼の体から引き離される。
彼の顔に目をやると、その表情は精一杯の甘い声で口説いた反面、赤面するどころか微動だにしておらず、そこにはいつもの無表情があるだけだった。
雲十は呆れたように小さく息を吐くと、成世の顔からそっと手を離しながら言う。
「……これから仕事でしょ。くだらない事しないで」
雲十は淡々とそう吐き捨てると、今度は完全に成世を待たず、さっさと管理室に向かって歩き去ってしまった。
ぽつん…と。
施設の廊下に、成世が一人取り残される。
「……」
またいつものように根気強く雲十の後を追うものかと思われたが、どういうわけか、今の彼にはそんな様子はなかった。
それどころか、成世は雲十に拒絶されたのが余程ショックだったのか、通路の奥に消えていく雲十の背中をいつまでも眺めていた。
しかし。
「………ふぅん…」
先ほどまでとは一変、彼の口から漏れ出したのは、値踏みするような、それでいて低く粘着質な声。
雲十の前では子犬のように輝かせていた目も、今は凍りつくほど冷たく、まるで獣が獲物を狙うかのような鋭い視線を雲十に向けていた。
鈍く輝く紅い目を細めながら、成世は感情の消えた声で低く呟く。
「………………………もうちょっとかな」
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