千年夜の願い。

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「さあ、月が夜空の真上に昇るこの時に、魔法のランプを手にしたお前が此度の主だ。……我が主、ランプの魔人の名において、何でもひとつだけ願いを叶えよう」  半世紀年に一度、赤い三日月の嗤う夜に、主人となった者の願いを叶える魔法のランプ。  その中に住まう魔人たる私は、これまで数多の願いを叶えてきた。  多くは富や権力、不老不死や美しい容姿。或いは魔法の力を欲する者。人間の望みはいつだって欲深く、千年経ってもほとんど変わることはなかった。  だから、今回も似たようなものだろう。そう思いながら五十年ぶりにランプから出て来たは良いものの、煙の晴れた先に現れた今回の主人は、予想に反して何の欲もなさそうな幼い少女だった。  ランタンに照らされた薄暗い倉庫のような場所で、魔法のランプを手に立ち尽くした少女は、美しい色をした目を丸くして、言葉を失ったようにこちらを見上げる。 「え……」 「……え?」  魔法のランプを巡り争ったのであろう屍の山の中で、狂ったように願いを叫ぶ者。  長い間宝物庫に隠し持ち、満を持して取り出し野望を口にする者。  寸前で仲間を裏切り、その血で染まる手でランプを撫でる者。  そんな強欲な人間ばかり見てきた私としても、この反応は予想外だった。少女と同じく、思わず見慣れぬ光景に呆然とするように、お互いしばらく押し黙る。 「……」 「……、……ええと」  やけに長い沈黙の果てに、私は気を取り直して再度初めからやり直すことにした。 「こほん……我が主よ、ランプの魔人の名において、何でもひとつだけ願いを叶えよう」 「え、えっと、あの、急にそんなことを言われても……あなたは?」  ようやく会話が始まったものの、少女はそっと、棚の陰に隠れる。  どうやら魔法のランプのことを知らないらしい少女は、突然現れた見知らぬ男に警戒しているようだった。 「あー……私はそのランプの魔人だ。赤い月の昇る夜、ランプを手にした者の願いを叶え続けてきた」 「そう……不審者……と、言いたいところだけど……おじいちゃんから昔聞いたことがあるわ。あなたがそうなのね」  求められることが常だった私にとって、不審者扱いは大変心外である。  しかしながら、話が早くて助かった。少女の言うおじいちゃんとやらは、前の主人だろうか。 「そういえば、前の主は己の利よりも『平和な世』を望むような変わり者だったか……」 「平和な世……?」 「ああ。戦争を無くしたいと言うものだから、叶えてやった」 「えっ、じゃあ、五十年前の終戦は、あなたが……? 千年続いた戦争が、ある日急に終わったと聞いたわ」 「ふん。それくらい造作もない。私に不可能はないからな。このランプに宿る『ランプの魔人』は、今まで何千年も、お前たち人間の望みを叶えて来たんだ」  私は鼻高々に語るが、物陰から覗く少女の表情は芳しくない。人間の寿命とは規模が違いすぎて、想像もつかないのだろうか。 「……何千年も、ずっと?」 「ああ。そして、この先もずっとだ」 「そう……」  この世界が今も尚平和なら、今後は目覚める度に血の海を見ずに済むだろうか。  それとも、今回がたまたま静かな場所だっただけで、次の世代では新たな争いがあるのだろうか。  主の願いを叶えては、次の魔法のために半世紀の間ランプの中で力を蓄える。外に出られるのは、次の主が決まった時だけ。  そして魔法を使えば、またすぐにランプに戻される。だから、願いのその後を直接見届けることは出来なかった。  不老不死を願った者は、今もこの世界の何処かで生きているはずだ。しかし、ランプの願いを使う権利は人生で一度きり。その者がランプを所持し続ける意味はなく、血縁者に託されることもままあった。  けれどいつまでも歳を取らない異質な者が残したものを不気味がる人間も当然居たし、噂を聞きつけたならず者がランプを奪うために一家を惨殺、なんてこともあったのだ。  願いの先で、必ずしも幸せになれるとは限らなかった。 「さて、それで、お前の望みは何だ。富か権力か、長寿か……お前の年で不老となると不便だろうし、富も権力も持て余しそうだが……」  問われてようやく身体ごと出てきた少女を、改めて見詰めた。  私を見上げる彼女の無垢な瞳は、何処かで見覚えがある気がする。  前の主の面影か、それとも千年の間に、似たような少女と出会ったのだろうか。  考え込んでいると、少女も同じように何かを考えるようにして、僅かに首を傾げた。 「……ねえ、あなたは、生まれた時からランプの魔人なの?」 「……? おかしなことを聞くな。お前には生まれた時の記憶でもあるのか?」 「ないけど……」 「だろうな。私にもない。……まあ、もう千年も前のことだ、覚えていたとしても、忘れてしまった」 「……千年?」  少女はさらに考え込むように、口元に手を宛がった。  訳のわからない問答に、私は困惑してしまう。いつもならすぐに願いを叶えてランプに戻るのだ、こんなにも外の世界に居るのは新鮮で、何だか落ち着かない。  窓から見えるガラス越しの美しい夜空も、作物がよく育つのであろう広大な土地も、外から微かに聞こえる虫や鳥の声も、今まで見たことのないような平和な世界だ。  なんとなく、これ以上穏やかな世界を見たくはなかった。これまで当たり前だったランプの中に戻るのが、惜しくなってしまうような気がした。  赤い月の夜だけではなく、いつか見た気のする美しい青空の下を夢見てしまいそうになった。 「……ほら、話はもう良いだろう。早くランプを擦って、願いを告げろ」  再び催促すると、少女はようやく願いを決めたようで、その白い指先で、数多の血ですっかり錆び付いたランプを柔く撫でた。 「そうね……なら、ランプの魔人さん、あなたに『自由』を」 「……、……は?」  予想外の願い事に、思わず間の抜けた声が出た。けれど少女は気にせずに、言葉を続ける。 「だって、魔法を使えるこのランプを巡って醜い争いが起きるのも、ずっと中から見てきたんでしょう? それでも、そんな愚かな人間たちの願いを叶えてきた……そんなの、疲れちゃうわ。あなたは、自由になるべきよ」 「何を……」  他者のために願いを使う者は、居ないこともなかった。それでも、それは死にかけの家族や恋人なんかの、大切な者のためだ。  こんな初対面の、ましてや願いを叶える魔人に使う者など、今まで居やしなかった。 「それに、さっき言ったわね。『ランプの魔人』は何千年も願いを叶えてきたと。なのに、『あなた』が生まれたのは千年前なんでしょう?」 「え……? あ……」 「あなたは、きっと何代目かのランプの魔人なんだわ。それなら、もうそろそろ世代交代なり引退なりしてもいいはずよ」 「……」  開いた口が塞がらないとは、このことだ。そして自分でも無意識だった言葉を指摘され、ランプの底に閉じ込められていた、朧気だった過去の記憶が一気に蘇った。 「……ああ……なんだ、そういうことだったのか」 「……?」 「我が魂の自由を願う少女よ。その願い、叶えよう」  ランプを持つ少女の手にそっと掌を重ね、その美しい瞳を覗き込みながら、千年ぶりに微笑む。  そしてランプに溜め込んだ魔力で、私は最後の魔法を使った。 *****
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