なすの天ぷら

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なすの天ぷら

 このそわそわ感。今まで何度も味わってきたけど、やっぱり、まだ慣れない。緊張に包まれたクラスを軽く見回しながら、席を立つ。 「青葉悠真です。一年間よろしくお願いします」  出席番号一番の立場をがっしりと噛み締めながら、無事に名前を言い終えた。軽めの自己紹介ならこれで終わりだけど、今回の自己紹介はこれだけでは終わらない。  まだ、言わなければならない事が残っている。  担任の土流先生は、自己紹介が始まる前に「そうだ。自己紹介の最後に好きな食べ物を発表してくれ」という注文を言い放った。ざわざわとするクラス。土流先生は「好きな食べ物ってさ、なんとなく人となりが分かる気がしない?」と笑いながら説明をしていた。  席を立った僕の頭の中には、まだどの食べ物も浮かんでいなかった。みんなが疑問をちょうど持ち始めるくらいの間が空きそうになり、僕は慌てて、最初に頭に浮かんだその料理を口走っていた。 「なすの天ぷらです」  顔が、かっと熱くなるのが分かる。天ぷらの"ぷら"という恥ずかしい響きが、ふんわりと、クラス中に撒かれた気がした。 「なす天か。お前なかなか大人だな」  土流先生は、好きな食べ物を聞けて満足そうな表情をしている。これで僕の人となりが分かるはずはないけど、あんなにいい顔をしている先生を見て、嫌な気はしなかった。改めて「よろしくお願いします」と言った後、席に座った。まだ、顔が熱い。  僕の後ろの出席番号二番、井草さん。細くて大人しい雰囲気の井草さんから発せられた好きな食べ物は、なんと「骨付きステーキ」だった。これは予想外。びっくりした。クラスからも「意外」という声が飛び交っている。 「骨付きというこだわり。いいぞ」  なんで先生は、人の好きな食べ物で、こんなに嬉しそうな顔ができるのだろうか。食べ物が、とっても大好きな人なのかもしれない。  次は、太田くん。日焼けした肌。短髪。明るい雰囲気。そんな太田くんからは「からあげ」が飛び出した。まったく予想を裏切らない、ど真ん中のからあげ。  僕の「なすの天ぷら」で幕を開け、井草さんの「骨付きステーキ」と続いていたところに、王道と言ってもいい太田くんの「からあげ」が来た。クラス全体が、なんとなくホッとしたように感じた。この好きな食べ物自己紹介が、本来の道筋に戻った感。  そこからは順当に「ハンバーグ」「餃子」「たこ焼き」「ピザ」と王道な食べ物が並んでいった。  次は、誠一の番だ。席を立つ前に僕を見て、にやりと笑った。何かを企んだに違いない。そんな僕の不安は、残念ながら的中することになった。 「蒲田誠一です。好きな食べ物は…えびの天ぷらでーす!よろしくお願いします!」  誠一が、歯を見せて笑っている。僕のなすの天ぷらが早くもいじられた。中学校に上がって、大人しくなるかと思ったのに。むしろ加速していた。  けど、今の僕の中には、いじられた恥ずかしさよりも、幼馴染の誠一と同じクラスになれたという喜びの方が、大きく広がっていた。  そこからはまた、落ち着いた食べ物が続いていく。「焼肉」「フランクフルト」「マグロ」「ハンバーグ」「ポテト」「うどん」「ラーメン」「お寿司」という、バランスの良い、堂々のラインナップ。  ここで、ひとつの波が起きた。 「富田麻美です。モンブランが好きです」  この富田さんの「モンブラン」発言で、デザート系・スイーツ系という、なぜか忘れていた発想が残りの人たちに植え付けられた。僕の頭の中にも「みたらし団子」が思い浮かんだ。そこからは「チョコレート」「ショートケーキ」「シュークリーム」と、見事にデザートが続いていった。土流先生の顔が、デザート系の時はいつもより柔らかい感じに見えた。なんとなくだけど。  「うな重」「ハンバーガー」「ソフトクリーム」「お好み焼き」と、甘いとしょっぱいが絡み合い、素敵に仕上がっていく。  しかしその仕上がりは、次に現れる彼女によって、あっけなく崩れた。 「長尾凛です。今は、大根の葉っぱです。うちのドロボーちゃんがとっても美味しそうに食べてたので、気になって私も食べてみたら美味しかったんです。だから、みんなもぜひ食べてみてください」  引っかかる所が多すぎて、口が開いてしまった。まさに、ぽかん。まず、好きな食べ物が「大根の葉っぱ」ということ自体が引っかかる。美味しくなさそうだし、葉っぱって食べていいんだっけとかも気になる。生で?とかも。  土流先生は相変わらず満足そうに「苦いけど良さがあるんだよな」と共感していた。おかげで、食べるのは大丈夫なんだ、と僕の数ある疑問の内のひとつが消えた。僕の頭の中には、途中で言っていた"ドロボーちゃん"が強く残っていた。  クラスの皆が、長尾さんの方をチラチラ見ている。僕も皆の流れに紛れて、長尾さんをちらりと見た。  長尾さんは、堂々と前を向いていた。綺麗な顔をしている、と思った。顔くらいの長さのショートヘアが真っ直ぐと垂れている。それはそれは真っ直ぐに、ぴしっと。なんだか長尾さんが、何をしてもダメージの入らない、無敵状態に見えた。  長尾さんは、多分、すごく強い。  すると、急に長尾さんが僕の方を向いた。ばちっと、目が合う。長尾さんはニコリと微笑んで、すぐ元に戻った。一瞬だったはずだけど、僕にはとても長いように感じた。心臓をいきなり掴まれて、すぐにぶん投げられた気分。  少し荒れた自己紹介も「フライドチキン」から元に戻り始め、「蕎麦」「グラタン」「カレー」の並びで安定を取り戻した。  次の番の子が席を立つ。男子にしては長い髪の毛がふわりと揺れ、その隙間から白い肌が見えた。その姿に、女子はすでにざわざわし始めていた。  僕は、その子をどこかで見た事があるような気がした。思い出そうとするけど、頭にもやがかかったようで、うまく思い出せない。 「星楓です。よろしくお願いします。えっと、お饅頭です」  格好良くて、髪の毛が長くてサラサラで、声も落ち着いている。そんな星くんから出たのは「お饅頭」だった。きっと、これがギャップだ。  「ソーセージ」「桃」「麻婆豆腐」「カルビ」「チーズインハンバーグ」と続き、自己紹介はあっという間に終わりへと近づいていく。  気づけば、残りは三人になっていた。 「森川悟です。焼き鳥です」 「山本翔です。プリンです」  最後の1人が来た。心なしか、自己紹介の締めくくりである最後の食べ物に、クラス全体の期待がやけに膨らんでいた気がした。謎の圧だ。 「和田春香です。えっと…」  クラス全員の視線が和田さんに集まる。土流先生も、前屈みで待っている。教室は、静寂に包まれていた。和田さんも、まさかの状態に緊張しているみたいだ。和田さんはゆっくり息を吸うと、覚悟を決めたように目を開いた。  そして、和田さんの口が動き出した。 「ナポリタンです」  少しの沈黙の後、土流先生が拍手をした。僕たちも同じように拍手を重ねた。和田さんの「ナポリタン」に対して、教室中から拍手喝采が送られた。和田さんは、困惑と安堵の混ざり合った表情をしている。最後にふさわしい、見事な食べ物だった。和田さんは、完璧に仕事を全うした。  土流先生が「よし」と小さく呟いて、言葉を続ける。 「これで自己紹介は終わりだな。和田、最高の締めくくりをありがとう」 「私、ナポリタンが好きで、良かったです」  和田さんは、うっすら涙ぐんでいた。たしかに和田さんがあそこで他の食べ物を言っていたら、この空気にはなっていなかったと思う。もし僕が最後で「なすの天ぷら」を言っていたとしたら……想像するのはやめよう。あの圧に比べたら、出席番号一番のそわそわ感なんて、屁でもない。  ありがとう和田さん。そして、ナポリタン。  今日一番の山場を乗り越えて、そこから時間はあっという間に過ぎていった。大量のプリント、大量の教科書類が配られていく。ネームペンで名前を書いたり、詳しい説明を受けたりで、二時間目は終わった。ちなみに一時間目は始業式で終わっている。今日は午前中だけなので、もうほとんど終わりだ。  休み時間になり、誠一が僕の席に近づいてきた。 「よっ、なすの天ぷら」 「やめてってば!何も浮かばなくて、咄嗟に言っちゃったんだよ」 「そんな事だろうと思ってたよ。にしても、よりによってなすの天ぷらって。いつの記憶だよ」  誠一にそう言われて考えてみるけど、何も思い当たらない。なすの天ぷらは、いつの食卓だろう。 「長尾ってやつ、面白かったな」  誠一もやっぱり記憶に残っているようだ。きっとクラスの皆の頭の中も一緒だと思う。もちろん僕も。 「大根の葉っぱ、絶対おいしくないよね」 「いや、まずくはないぞ。前にごま油で炒めたやつ食べたことあるけど、まあ食えた」 「食べたことあるんだ。もしかして、意外と変じゃないのかな?」 「一旦落ち着け。好きな食べ物で大根の葉っぱなんて言うか?変だよ変。明らかに変なやつだよ」 「まあ、そっか」  笑いながらそう返すと、ふと誠一の奥にひとりで教科書をめくっている星くんが見えた。教室の後ろに固まっている女子のグループは、星くんを見ながら盛り上がっている。きっと、あの「お饅頭」のギャップにやられたんだ。  それにしても、僕の星くんに対する既視感はなんなのだろう。ただの既視感じゃないような気もしてきた。  一応、誠一にも聞いてみよう。 「誠一さ、星くんって子分かる?」 「あの髪の長い?」 「そうそう。星くんのことさ、どっかで見たことない?」 「ないね。悠真あんの?」 「どっかで見たことあるような気がするんだけど、思い出せなくてさ」 「似たようなイケメンと勘違いしてんじゃねえの」 「やっぱり、そうなのかな」 「てかさ、国語の教科書に俺と同じ名前のやついたんだけど。めっちゃヒゲ長い」  目処が立たないので、星くんの記憶探しは早々にやめた。誠一と新しい教科書の面白ページ合戦をしていると、すぐに休み時間が終わった。  三時間目は同じようにプリントが配られた後に、委員会を決めることになった。委員会は男女で組むルール。このクラスは女子よりも男子の人数の方が二人多い。なので、一組だけ、男同士の組み合わせが生まれる。男子達の動きは、もちろんその枠の争奪戦になった。  時間がかかるなと見越していた土流先生は、くじ引きBOXを二つ持ってきていた。男子用と女子用。青と赤。全ての運命はくじに委ねられることになった。 「図書委員が…青葉と長尾」  咄嗟に「わっ」と声が出てしまった。斜め後ろでは誠一が手を叩いて笑っている。まさか、長尾さんとだなんて。後ろを振り向くと、長尾さんがこちらを見ていた。長尾さんの口が「よ・ろ・し・く」とゆっくり動いた。僕はぎこちなく笑いながら頷いて、顔を前に戻した。こうなったら、大根の葉っぱ、食べてみようかな。  テンポ良くくじが引かれていき、委員会決めは何事もなく終わった。誠一は保健委員会で、星くんは放送委員会だった。「私、ヘビーリスナーになっちゃう」とか言って、女子たちが騒いでいる。星くんは、爽やかに前を向いていた。クラスの学級委員は「ナポリタン」の和田さんになった。満場一致の大賛成だった。  そのまま三時間目が終わり、四時間目の身体測定へとスムーズに進んだ。小学校までは、誠一とは同じくらいの背だったのに、今では顔一個分くらいの差がある。いつ間にか、抜かされていた。  牛乳をいっぱい飲んだんだよ、と誠一はいつも言っている。そんなの嘘に決まってるだろ、と馬鹿にしそうなのに、誠一はなぜか信じ切っている。それを聞くたびに、まだまだ子供だなと思って安心する。その話を聞くと、毎回悔しくなって、僕は牛乳をがぶ飲みしている。だから今日も、牛乳をがぶ飲みしようと思う。  体重、座高、視力、聴力を測り終えて教室に戻る。それぞれの身体トークで盛り上がっていると、土流先生が戻ってきた。 「今日はこれで終わりだ。改めて、この一年二組の担任を務めます、土流です。これから楽しい中学校生活にしていきましょう。じゃあ和田、号令」  早速、学級委員として和田さんが号令をかける。「起立」で皆が立ち上がる。和田さんが「礼」と言おうとしたところで、土流先生が手を挙げてみんなを止めた。 「おっと。俺の好きな食べ物、言ってなかったよな?」  土流先生は、自信満々な顔をしている。和田さんの「ナポリタン」で綺麗に締まっていたのに、それを無理やりこじ開けるような事をして大丈夫だろうか。あの自信満々すぎる顔が、逆に不安な気持ちにさせる。 「それでは発表する。俺の好きな食べ物は…」  クラスの皆が息を呑み、先生に注目する。結構な高さにまで上がったこのハードルを、先生は越えられるのか。変な緊張感がクラスに漂う中、先生の口がゆっくりと動き出した。 「サバの塩焼きだ!」  教室中が、失笑に包まれた。クスクスと乾いた音が聞こえる。「サバ?」「ひとつも締まらない」「せっかくナポリタンが良かったのに」「何の根拠があったの」「せめて味噌煮」とたくさんの不満で溢れている。先生は、ハードルを越えられなかった。このホームルームを、綺麗に締めることができなかった。「なすの天ぷら」の僕には、先生の気持ちが、ちょっと分かった。 「先生。和田ちゃんとナポリタンが可哀想です」  長尾さんのその発言で、クラス全体が大きな笑いに包まれた。「そうだよ先生」「たしかに可哀想」「謝ってほしい」と盛り上がっていく。先生は「和田、ナポリタン。せっかく締めてくれたのにすまなかった」と謝り、不本意な形ながら、好きな食べ物自己紹介は、ついに幕を閉じた。  先生の言っていた"人となり"は、我が道を進む長尾さんと、大事な所で転んでしまう土流先生の2人だけは、掴めたような気がする。  ここから、新しい中学校生活が始まる。少し気を引き締めながら「礼」の掛け声に合わせて頭を下げる。春の生温い空気が袖の中に入り込んできて、少し体がぶるっとした。
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