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これで恋じゃないんですか?!
「あ、イライザさん。東方支部から通信願いが出てます」
「はい?」
昼過ぎの炭鉱都市【カンナギ】の冒険者ギルドは比較的人が少ない。パーティを組んでいるスルトとイライザが炭鉱内の夜警と引き継ぎを終え、ギルドへ手続きにやってきた時、受付カウンターは窓口の数を絞っているほどだった。恐らく昼食を取っているのだろう。職員の数自体が少ない。
「えー、と。【ヤーハ】にいるルカさんが希望しているようですね。丁度昼過ぎなら直ぐに繋がるようですし、マジックフォン(遠くの人と音声通話ができる。冒険者ギルドには最低でも三つ専用の機器が置いてあり、試着室ほどの広さのスペースに分けられている)で、こちらのカードを使用してください。既に先方からマジックフォンの使用料金は支払われていますが、5分間だけですので必要なら追加で銅貨を入れてください」
「ルカが……? わかりました。ありがとうございます」
ルカはイライザの友人の一人だ。特殊な鉱石に魔力を流すことによって使えるようになる魔道具屋を営んでいる。複数の都市に小さな店舗を持っており、時には転送用魔法陣を贅沢に使って移動し暮らしているが、それ故に遠方からわざわざ連絡をする理由が思いつかず、イライザは首をかしげた。
受付の職員からマジックフォン用のカードを受け取り、スルトと目を合わせる。間髪入れずに首肯を返したスルトは、ギルド内に備え付けられたスペースを指さしながら答えた。
「手続きは終わったし、今行くといい。急ぎかも知れない」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて」
彼の申し出にイライザは微笑むと、受付横に併設されたスペースへ入った。ギルド内部ではまず事件は起こらないが、それでも外から中の様子が見えないとなると一部の者は『盛り上がる』こともあるため、スペースの入り口の扉は透明度の高いガラスが採用されている。
スルトがその扉を守るように立ち、イライザから背を向ける。腕を組んで軽く肩を扉にもたれさせるというラフな姿勢は何気ないものだが、様になっていた。
イライザはそんなスルトの後ろ姿を確認してから、マジックフォンの受話器を手に取る。本体にカードを差し込むと、受話器からりん、りん、りん……と待機音が鳴る。暫く続いたそれがぷつっと途切れると、耳に当てた受話器から元気な女性の声が響いた。
『やっほー! イライザ元気ぃ?』
「ルカ。どうしたの? その様子だと暗い話じゃなさそうだけど」
彼女はイライザが以前加わっていたパーティでの悩みを知っている数少ない人物でもある。同じように、イライザはルカの悩み事を知っている。
他愛のないことからデリケートな話までを共有していた二人は、今でも都合やタイミングが合えば会って食事をしたり、遊びに行ったりする気易い仲だ。
『やぁね! 話があるのはあたしじゃなくてあなたの方でしょ!』
「え?」
『聞いたわよ。スルトがついに一人の女に決めたって。イライザのことでしょ?』
「え?!」
イライザはぎょっとした。イライザ達が今いる【カンナギ】から【ヤーハ】まではかなり距離がある。徒歩なら半年はかかるだろう。そんな距離にいながらどうしてつい最近の話を知っているのか。
イライザとスルトがトレントの上でお互いの体を求め合ったのはこの一ヶ月の間の話だ。あれ以降二人は肉体関係を持つことを改めて承認し合ったのだが、それは『そういうこともある』という内容だった。にもかかわらず、スルトはぱったりと色街へ足を向けなくなったのだ。それはそれは話題になった。「おめでとう!」と声を掛けられることさえあったほどだ。
「ルカ、最近までこっちにいたの?」
『ううん。こっちで聞いたの』
「じゃあ、どうしてそう思ったの? 別の人かも知れないのに」
『あなたも大概だけど、スルトって一回寝た女に恋人面されるのが物凄く嫌で娼館通い始めたくらいだから』
「そうなの?!」
『あ、本人から聞いてなかった? ごめん、うっかりだわ』
「いや、そういうことが絡んだ人間関係にうんざりしたからっていうのは聞いたけど……」
『なーんだ、じゃあ知ってるじゃん!』
「いやでも、それがスルトが私を……選んだ? こととは繋がらないって言うか……」
『あれと3年パーティが続いてるのってイライザだけよ』
「そうなの……?」
『そうなの。で、今持ちきりの噂以前から、スルトがあなたを大事に思ってる話は有名だったわ』
「それはパーティとしての話でしょう?」
『だとしても、よ! スルトを知ってる昔の男連中は初恋だなんだって笑いながら話してるし、女の方も「そういう一途な男だったのね……」なんて言って微笑ましそうにあらあらうふふしてるくらいよ』
「ええ……」
その場にいないにもかかわらず、イライザは恥ずかしくなって片手で顔を覆った。
二者間での約束事を更新して以降、スルトがイライザとしか性交渉をしていないことはイライザ自身がよく知っている。今までふらりと出かけていた男がその時間をイライザに割き始めたのだから、なんとなく感じることはある。スルトは必ず許可を得て触れてくるし、決してイライザに無理を強いることもないため不平不満はないが、かと言ってスルトから恋慕のようなものを感じたこともなかった。
ここで「娼館に使うお金が馬鹿にならないって言われたしな……」とぼやくのは容易い。しかしどんな形であれスルトが自分を大切に扱ってくれる貴重な人間であることは変わらない以上、軽率で無責任な発言は憚られた。
確かに理由としてはそれもあるのだろう。だが、この流れでそれを言うのは「スルトはそこまで深く考えていない」と彼を軽んじることになりかねない。
実際スルトの行動は周囲からイライザと恋仲になったと思われてもおかしくないものだ。イライザが変わらず尊重されていることも事実である。恋仲であることを否定するならまだしも、それ以上言葉を重ねるのは過剰なのでは、とイライザは思い直した。
「スルトに大事にされているのは前からだし……、それに、身体の関係があること自体は冒険者的には珍しいことじゃないじゃない」
『ふーん? まあスルトがどう思ってるかはあたしには分かんないけどさ。まあ少なくともあなたの方は惚れた腫れたじゃないってことね。その発言で理解したわ』
「う……ん。人として尊敬してるよ。どれだけスルトが強くても、私の運動能力の低さは致命的だから……昔はそういう時、パーティ自体も上手く動けないことにイライラされて、段々居づらくなったけど、スルトからそういうのは感じたことがないし、声を掛けて貰って物凄く感謝してるの。冒険者としてどうしていきたいかって方向性も似てるし、これからもスルトと頑張りたいと思ってるよ」
『あたしもそれでいいと思うけど、前以上に周りからあることないこと言われるんだから二人はちゃんと足並み揃えなさいよ』
ルカの声に、イライザは素直に頷いた。スルトとイライザが今まで欠かしたことのない大切な事柄の一つだ。今回もそうしておくのは当然と言えた。
「あ、そろそろ時間が」
『本当だわ! じゃあ最後にこれだけ。イライザ、おめでとう!』
「……ありがとうって言っておくね」
イライザの言葉は最後までルカに届く前に、ぷつんと途切れた。受話器からは何も聞こえなくなり、イライザは受話器を戻して、吐き出されたカードを取る。
入り口を軽くノックしてスルトが前から退くのと同時に、扉を開ける。
「大丈夫か?」
「はい。その、大事ではなかったので……」
「そうか。とは言ってもマジックフォンを使うくらいだから何か急ぎの用だったんじゃないか? トレントの件はギルドマスターが上手くやってくれたし、別にここを離れても問題はないけど」
スルトはそう言ってイライザを見た。勿論パーティの今後としての話だ。メンバーが二人と言うこともあって、拠点を移すのは難しいことではない。
イライザは首を振って微笑んだ。
「お気遣いありがとうございます。でも、本当に大丈夫です。街を移動するのは、商人の護衛依頼を受けたときでも良いと思いますし……それに、ちょっと今は時期が悪くて」
「……そうだったな。ならそうしよう。すまない、気が利かなくて」
「とんでもない」
やや気まずそうにするスルトに、イライザは微笑んだ。
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