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紅葉と待ち合わせで会ったのは、あのニュースの日から2週間が経った頃だった。
まだ騒ぎは少し残っている。納得する者、不満をもらす者、それでも小説が最後まで読めたと喜ぶ者……さまざまな意見がネット上で飛び交う。藍の名前は特定されなかった。出版社から注意が言ったのだろう、中津川先生の息子、中津川幸人はこれ以上何も言わないと公言している。藍も家族にすら小説のことは言ってない。出版ももちろん名前は出さない。しかし、いつか名前は判明してしまうかもしれないという恐れはあった。藍はそのことを少し気にしながらも今後のことは考えてあるのだった……
藍の大学近くのカフェに紅葉が来てくれた。
「あ、垣根さん!こちらです」
藍が席を立って手を振ると紅葉はまっすぐこちらにやってきた。背の高い男性も一緒だった。
「この度は申し訳ありません!」
2人は席につく前、藍に深々と頭をさげた。
「と、とんでもない!頭をあげてください……」
藍は慌てた。
「すみません、名乗りもせず……私は出版社の編集長をやっております」
そういって男性は名刺を渡してくれた。
「は、はじめまして。春本藍です」
藍は深く頭を下げた。
挨拶も終わり、席に落ち着く。
「記者会見できちんと説明しました。『長くは生きられないと悟った中津川先生自らが、小説を書いてる青年に続きを書くように頼んだ』と。君は最初断ってたけどどうしてもと言われ、引き受けてもらったと言いました。こちらも了承したのであなたに責任はありませんよ、ご安心ください」
編集長が説明をしてくれる。
「垣根くんもごめんな。こんなことになってしまって」
「いえいえ……私はこれで良かったと思うようになりました。中津川先生じゃないとはいえ、物語が完結したのですから……きっと中津川先生も喜んでおられます」
紅葉がちょっとだけ微笑んだ。
「実は僕も……引き受けて良かったと思っております」
藍が言った。
「最初は、僕に務まるのかなと不安でした。いろいろ迷いました。先生の作品を汚してしまったらどうしよう、と。いろんな人の意見も聞きました。紅葉さんのアドバイスも……僕なりの物語がかけたと思います。小説が発売されてからたくさんの人に僕の文章を読んでいただきました。もちろん、中津川先生の小説だから手にとってもらえたのは知ってます。でも、それでも僕はこの経験が自信になったんです。いろんな意見を知ることができました。僕は後悔していません。前向きにこれからも小説を書いていこうと思ってます」
藍はにっこり笑った。紅葉も編集長も笑顔になった。
「そうですね。これはあなたの執筆活動の第一歩ですよね。うん、こちらとしても頼んでよかったと思えます。本当にありがとう」
編集長が片手を差し出した。藍はその手を握り、2人は握手をかわした。
「僕が書いたあの物語の結末のように、この先のことは分かりません。なので僕は自分の文章、ことばに自信をもっていきます!」
藍がいうと紅葉も編集長も大きく頷く。
「応援するわ」
「私も応援いたします。あなたの小説家としての物語には結末はないのですよ。これからも小説を書き続けてくださいね!」
春本藍の『ことば物語』は、まだ始まったばかりである。
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