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「あ、すみません、すっかり話し込んでしまって……」
と藍が我に返って言った。窓から夕日がさしている。
「おーもうこんな時間か。いやー楽しかったよ。ありがとう」
幸治は満足気に頷いた。
「では失礼しますね。今日は本当にありがとうございました!」
藍が帰ろうとすると、幸治が呼び止めた。
「ちょっと待ってくれ」
そしてベッド横の机の引き出しから巾着袋を取り出した。
藍は不思議そうにそれを眺める。
「先生、それは最新作のデータが入ったメモリ……一体何を」
紅葉が警戒して言った。
幸治は巾着袋の中からUSBメモリーを取り出して藍にみせた。
「これをきみに。最終章を私の代わりに書いてほしい」
と幸治が寂しそうに笑いながら言った。
「……え?ん?え、えええ!」
藍は一瞬固まり、理解が追いついた。
「せ、先生!?本気で!?」
と紅葉も慌てている。
「いま上巻が発売されている恋愛小説『時と猫とあなたと』あるだろう。それの下巻を途中まで書いてたんだが、最終章がまだ書けていないんだ。急に体調が悪くなって入院してしまったからね」
幸治は紅葉に構わず話を続ける。
「な、なんで僕にそんな大事なことを……」
「わかるんだよね、もう私はそんなに長くないなって。執筆する気力もないんだ。完成させられそうにないんだよ……押し付けるみたいで申し訳ないんだが、きみにならって思えたんだ。私の小説を全部読み、自身も小説も書いている。しかも会いに来てくれるなんて嬉しかった」
幸治はUSBメモリを巾着袋にもどすと、藍に手渡した。
「だめです!」
と紅葉の手がわってはいる。
「先生が書きあげないと!他人が書くなんて!他の読者も許しませんよ!」
「お願いだよ垣根くん。彼に頼みたいんだ。私にはもう書けない……」
「だめです!」
「頼むよ」
「編集長も認めませんよ」
「私から頼んでみるよ」
藍が2人のやり取りを気まずそうに眺めている。それに気づいた紅葉は、はっとした後、大きなため息をついて言った。
「……編集長が許すなら……私も文句はないです……」
幸治は今度こそ巾着袋を藍に手渡した。藍は思わず受け取ってしまった。
「ぼ、僕に務まるでしょうか……」
彼は自信なさげにつぶやく。
「信じてるよ。私の小説を全部読んだんだろう。この小説も最終章前まで読んでみてから、書いてほしい。君のアイディアもいれてくれても構わない、むしろ君の考えが必要だと思ってる」
幸治が説明するが、尚も藍は自信なさげである。
「垣根くん、彼のことは頼んでいいかい?」
「任せてください。サポートします。が、まだ決まってませんからね。編集長次第ですから。」
紅葉が厳しく言う。
そして、藍と紅葉は連絡先を交換した。
「やってみます……できたら読んでください。僕はこれで失礼します……」
藍は自信ないまま病室をあとにした。幸治は安心したようにベッドにもたれかかった。
「どうしようかなぁ……小説を書いてるといっても、自信ないんだよなぁ……」
藍はその夜、なかなか寝付けなかった。
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