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談話室に着くまでなんてことない世間話をしていた2人だが、談話室のソファーに腰掛けると中津川幸人はすぐ本題を話し始めた。
「藍くん、父から小説の最終章を書いてほしいって頼まれたそうだね」
彼は身を乗り出して藍に顔を近づける。この人が本当に父から頼まれたのか?とでも言いたげな顔だ。
「は、はい……頼まれました」
「ふーん……その役目、俺に譲ってくれないか?」
「……え?」
藍は俯いていたが、驚いて顔をあげた。
「自信なさそうにみえるよ。そんなんじゃ父も頼めないと思うなぁ。それにほら、僕は息子だしさ。父と一緒にいた期間も長い。考えそうなことはだいたい分かるよ。僕が書くべきだと思うんだよねぇ」
幸人はソファーに座り直すともたれかかった。
「それは……」
藍はまた俯いてしまった。ひざに置いた自分の手を見つめる。長い間入院するため、手を動かせるよう腕ではなく、手の甲にさされた点滴の針。ちょっと痛々しい。針をさす時にちょっと涙が出てしまったことを思い出した。でもささってしまえば痛さはもう気にならなくなった。
少しドキドキした。決意がかたまったのだ。
「僕は自分に自信がもてません。書ききれるか不安です……でもこの物語は僕が書かないといけない……そんな気がするんです。なのでその、ごめんなさい。ゆずれません」
この話は点滴の針のように自分にささっている。今はまだ必須な点滴。小説の続きを書くことはこの点滴のように、自分のためになるのではないだろうか。
「……そうか、うん。そうだな、藍くんが頼まれたもんな、うん」
幸人はそう返事したもののら納得してなさそうにみえる。笑顔がちょっと引きつっていた。
「まぁ気が変わったり無理ってなったりしたら教えてくれよ」
幸人はメモ用紙に連絡先を書くと藍に渡して席を立った。
「じゃ、俺は行くよ。時間とってごめんなー」
軽く手を振ると彼は行ってしまった。まだ少し動悸がする。言ってしまった。やるしかない。
「あ、おかえり〜。ねぇさっきの人だれ?ちょっとかっこよかった!」
曽良がにこにこしながら言った。
「えーっと僕の好きな小説家の息子さん。昨日その小説家さんと会ったから僕のこと知ってたみたいで……レ、レポートの続きやらなきゃ。ははは……」
藍はごまかしてベッドに腰かけた。
「そういえばバイトはどう?」
藍は話題を変えようと曽良に話しかける。
「楽しいよ!もうオーダーとれるようになった!」
曽良は春休みに入ってカフェでバイトを始めたのだ。元気な彼女は自らホールスタッフ、つまりウェイターになった。
「働いてみて分かったけどデートにもってこいのカフェらしくてねー、カップルがいっぱいくるの。ちょっと羨ましいけど幸せ分けてもらってる感じ!」
曽良はうっとりした表情で言った。
「いいね。うーん、やっぱり恋人とはずっといたいもんなのかな?」
「そりゃそうでしょ!」
「……相手が亡くなったら自分も追いかけて天国に行こう、とか思うのかな……」
「は?……まぁ、好きな人とはずっと一緒にいたいからそう思う人はいるんじゃないかな。大丈夫?手術不安なの?」
戸惑って曽良は答えた。
「あ、いや!なんでもない!はははー」
藍は小説の参考にと思ったのだが、これは不自然だった。
「まぁいいけど。じゃあ明後日の手術頑張ってね!また来るよ」
曽良は藍に手を振ると病室を出ていった。
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