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次の日、今日は藍の手術の日だ。昼からの手術までちょっと時間がある。藍はまたパソコンをつけて文字を見つめる。
書いては消し、書いては消しを繰り返して最終章はできてきた。話の内容として、サクラは治療を受けて生き延び、ミノルのお墓参りをしていた。しかしやはりミノルに会いたくなって走り出し、車の多い道路に飛び出した……という悲しい終わりを迎えた。
「これでいのかな……」
なんだか納得がいかない気がする。
「最終章、書いてるの?ノックの音にも反応しないほど集中してくれてるのね」
声がした。驚いてちょっと飛び上がった藍は慌てて姿勢を正す。垣根紅葉だ。中津川先生の担当編集者。
「あ、垣根さん。すみません、集中してました……」
「いいのいいの。朝からごめんなさいね。順調かしら?」
「はい、できたような……なんか違うような」
「ちょっと様子を見に来たの。中津川先生が亡くなったことがニュースに出てたわ……本当にもう先生はいないのね……」
凛としているようにみえる紅葉でも、まだ実感は持ててなかったのだろう。
「最後に先生に会えて良かったです……」
涙が出てきてしばらく藍と紅葉は黙ったままでいた。
「中津川先生の納得がいく最終章がかけたかなぁ……いろんな人の意見も参考にしてみたけど……」
藍がふとつぶやくと紅葉はキッ!と厳しい編集者の顔になって藍をにらむ。
「あなた、ちゃんと自分の言葉で書いた?周りの意見を聞くのも大事だけど、あなたの言葉が1番大事なのよ。本来は作家の先生に合わせて書くものだけど、今回先生はあなたにあなたの言葉で書くように頼んだのよ、分かった!?」
「は、はいぃ……」
藍は剣幕に驚いた。確かに曽良と父親の意見を聞いてなるほどねと、どちらの意見も書いてしまっていた。藍自身の考えは書いていなかった。無意識に読者の望むストーリーにしようとしてしまっていた。
「僕、自分の考えを書いていませんでした……」
「あなたはこの話を読んでどう感じた?主人公サクラにどうなってほしい?」
「僕は……」
「春本さん、手術のお時間です……あらお話中でしたか、すみません」
看護師が部屋の入り口で困ったようにしている。
「あら、今日手術だったの?じゃあ私はもう失礼するわ。締切は特に決まってないからゆっくりね……手術頑張って」
紅葉は看護師に一礼すると部屋から出ていった。
「手術ですよね、行きましょう」
藍はパソコンを閉じてベッドから降りた。
「寝てたらあっという間ですよ」
麻酔がでてくる筒に繋がれたマスクを渡された。口に当てているとだんだん眠くなってくる……少し不安になった。このまま手術が成功しなかったら僕は死ぬのかな……もう曽良や両親とは会えないのかな……あの小説は未完成のままなのかな……
先のことは分からない。そうだ、分からないからこそいろいろ考えることができていいのかもしれない……
いつの間にか眠っていたようで、目が覚めると手術は終わっていた。
「もうちょっとしたらお部屋に戻りましょうね」
医師のそんな言葉がぼんやりと聞こえた。
「……はぁい、ありがとうございまぁす……」
寝ぼけた声が出た。そして話すとお腹がズキズキ痛む。思わず顔をしかめる。
「お腹に力が入ると痛むよ。安静にしとかないと」
医師はそう言って立ち去っていった。
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