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想うのはあなたひとり
コポコポと珈琲メーカーの音がする。
ダイニングテーブルの上で新聞を広げる
楓の父親は楓に気が付くと言った。
「おはよう。楓、今日はいつもより早いな……散歩か?」
「父さん、おはようございます。昨日は眠れなかったので、目覚ましにシャワーを」と楓が言った。
「今日は卒業式だから、興奮して眠れなかったのか?」と父親が真顔で聞いた。
「違うよ。父さん……」と楓は笑うと珈琲を一口飲んだ。
卒業式は厳粛な雰囲気で執り行われた。
在校生から、見送りを受けた卒業生達は別れを惜しみつつ家路につく。
楓・仁・心春の三人が一緒に歩く最後の通学路。
「いや~でも、楓、思い切ったな~」と仁が言った。
「何が?」
「だって、大学の進学を辞退して、浪人して
来年音大を受験するんだろ?
俺、最初に聞いた時びっくりしたもん。でも、よかったな。楓が目指すものが見つかって」
「ああ、両親と青井先生が話をして、一年間青井先生の音楽教室に下宿して、これからピアノ漬けの毎日だよ」と楓が嬉しそうに言った。
「でも、お前……その、結月さんが使ってた部屋に住むんだよな? 大丈夫か?」
「何が? 大丈夫だよ。彼女の部屋だから……頑張れるんだよ」と楓が言った。
「そう言えば、仁の絵画、凄かったな」と楓が言った。
「そうそう! 真っ赤な『相思華』の群生。
迫力あるよね」
「そうか? だって、あの絵画は俺の『高校生活集大成』の作品だからな。
卒業なんだよ……俺もお前から……」と仁が呟いた。
「何か言ったか?」と楓が仁に聞いた。
「何でもないよ」と仁が笑う。
美術館の展示ルームに飾ってある仁の絵画。
題名: 卒業
と記され、真っ赤な『相思華』の群生の中に楓によく似た青年が相思華を見つめる姿が描かれていた。
「私も、新たな出会いがありますように」
心春が手を合わせる。
それを見て仁と楓はクスッと笑う。
「真剣なんだから、笑わないでよ~」と二人を軽く叩く心春。
「みんな暫く会えないね」と心春が言った。
「ああ、暫くは会えないな」仁が言った。
「また、すぐに会えるさ……」と楓が笑った。
通学路を歩く三人。いつもの場所にたどり
着いた。
楓が立ち止まった。
それを見た仁が「じゃあ、楓、また明日な」
と言った。
「楓、またね」と心春が言う。
二人は楓に言うと歩き始めた。
「ねえ……」と楓の声が聞こえた。
二人が振り返ると楓が立っていた。
「今日、カラオケ行かないか? プリクラも」と笑顔で二人に話掛けた。
驚く二人に楓が話しかける。
「大人になる前に……少しだけ寄り道しようかな……って思って……」
すこし照れた顔の楓。
それを聞いた仁が言った。「勿論、行くよ」
笑顔の心春も言った。「私も行きたい~」
「じゃあ、今から行くか」と楓は両手で二人の肩を組んで歩き出した。
結月の部屋に飾られた『相思華』の写真。
花言葉は『想うのはあなたひとり』
三月のまだ肌寒い日、楓と結月のそれぞれの
時間が動き出した。
~ 相思華 完 ~
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