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忘却の罪 Ⅲ
記憶をなくす以前の自分は、何を考えていたのだ。ちっとも彼らの偏見を糺す役に立っていなかったかもしれないし、それどころか倒すべき敵と見なしていたのか__それさえも分からないとは。
ただただ、後者であってほしくないと願うばかりだ。
「貴方は……そう……ケルビムであるのに、龍帝の意思の具現ともいわれる龍帝従騎士団で、中隊長をされている。それも次代の大隊長候補として、最初に名を挙げられるほどの実力者」
「それって、どのぐらいすごい地位なんだ?」
「詳しい内情は知りえませんから、分かる範囲で。__龍帝従騎士団の団長が1人。その次が大隊長で、これは3人。それぞれの大隊長には3人ずつ、計9人が中隊長として配されます。さらに中隊長にはそれぞれ3人ずつの小隊長が配下にあり、その下に4人1班として、3人の班長となります。この三大三中三小三班四騎の編成は、内外を問わず知られています」
そこまで言った彼は、仕切りなおすように咳払いをする。
「現在の左右中の大隊長は、人間族のシュトラウス・エノミア卿、有翼族のレンディル=ホズ卿、人間族のホルスト・トラディア卿」
「有翼族っていうのは?」
翼というのであれば、近しい一族なのだろうか。
「有翼族は、両の翼を生まれながらにしてもっている種族だ。我々と異なって双子で生まれる方が稀で、双子であろうがなかろうが、寿命は人間の3倍もある。翼も半透明の、まるで輝く絹のようで、我々の翼とは異なる」
リュングは視線を森の方へ向け、その上方をみやる。彼の視線は、重なり合った枝葉の先の空を見ているようにロンフォールには見えた。
「彼らは我々に対して友好的だ。その昔、飛べぬ我々に変わって、空からの目となってくれていた」
独り言のようにも聞こえたその声に、子響はやや視線を落とした。言葉を捜すように視線を泳がせてから彼は続ける。
「……そして、彼ら3人の大隊長の上司に当たる団長がガブリエラ・リョンロート卿。__リョンロート卿は、片翼族の方です」
「え……じゃあ、俺と同じ?」
子響もリュングも頷くので、少なからず、心細さが和らいだ。
同胞がいる。独りきりではなかったのだ。
「私の知る限り、龍帝従騎士団ではあなたと団長殿だけが片翼族のはずです。どうであったかはわかりませんが、同族ということで団長が目をかけていた可能性は否定できません。ですから__」
そこで急に子響の表情は暗くなり、言葉を濁すので、ロンフォールは怪訝にして先を促す。
「……もしかしたら、謀略に嵌って、あなたは記憶をなくし、現在に至るのかもしれません」
「そんなこと……」
「団長が大隊長を決める権利があるわけではないですが、それでも推挙は許されています。もっとも、龍帝従騎士団の団長は代々、実力以上に為人を具えた方が叙されるはずですから、種族で選り好みをするとは思えません。しかしながら、実力もあり、団長と同族であれば、面白く思わない輩もいるはずです。人間族が6割以上を占めている龍帝従騎士団では」
「たとえそうだとしても、まったく短慮に走って……」
呆れた声のリュングは、一つため息をこぼした。
「放っておいても、25年しかない命__あと、1年足らずなのだから、待てばよいものを」
ロンフォールは、リュングの言葉が指し示すことが最初わからなかった。だが、すぐにハッと息を詰めるほどの事実に驚愕した。
「……じゃあ、俺……あと……」
2人の男は顔を見合わせ、子響が険しい表情で答えた。
「レーヴェンベルガー卿は片翼なのだと思います。そうしたことでも知られていますし、導師も、片翼の同胞を、と仰っていらっしゃいましたから。もし片翼でないのならば、片破(かたわれ)を、と申すはずですし……まず間違いないと」
ロンフォールは開きかけた口を閉じ、奥歯をかみ締めて俯いた。
記憶も無い。ただでさえ心許ないのに、余命もわずか。
鼻を鳴らして体を摺り寄せるシーザーの背中を撫でる。それに応じるように、彼は密着して座った。
自分が誰であるかを知っていて証だてられる命あるものは、この言葉を交わせない彼しかいない。
記憶がない上、1年もない命の主人を、彼は身を挺して守ろうとしてくれた。
「我々は、あなたを連れてくるように、という指示の下に動いている。もちろん、貴殿が望まないのであれば、無理強いはしない。それは導師の望むところではないからな。だが、色々と考えてみると、保護の色が強いのだと思う。導師の目的は」
顔を上げると、リュングの顔が滲んで見えた。
彼もまた片翼なのだろう。
「ともに来るか?」
自分は彼らにとって敵ではないのか。敵でないとしても、害にはならないだろうか。
「もちろん、我らと生活を共にするのが嫌になったり、不都合がでてきたのなら、出て行けばいい」
さあ、と促されるようにリュングから差し出される手。それをしばらく見つめ、ロンフォールは口を開いた。
「もし、俺が……ノヴァ・ケルビム派の害になるようなら__」
そこで言葉を一度切ったロンフォールは、ひとつ呼吸をおいて、キッ、とリュングと子響の目を見つめた。
「迷わず、殺してくれ」
2人は僅かに驚いた表情をして、互いの顔を見合わせた。
謀略に嵌っているのだとしたら、自分は戻るわけにはいかない。生きていたということで、次は命がなくなる可能性は否定しきれない。これは記憶がない頭でも、なんとなくわかる。
「……戻っても殺されるかもしれない可能性がある。戻らなくてもあと1年もない。だけど、俺には、どうしようにも情報が少ないから、判断できない……」
彼らに従ってともに生活していれば、今後の身の振り方を決める手助けをしてくれそうな、そんな淡い期待を抱いているのも事実だ。そして、あまりにも情報がなさすぎる。
「都合よく、利用させてもらうから__」
「……見返り__いえ、保険、ということですか?」
「……よくわからないけど、俺がそうしてくれたほうが、気分が楽だ……」
自分自身、気持ちが悪い。得体の知れない自分という存在が。
やがて、リュングが微かに笑い、穏やかな気配になる。
「わかった」
頷いたのをみて、ロンフォールはリュングの手を取った。
リュングはそれを合図に立ち上がり、ロンフォールの手を引き上げて立たせる。子響も遅れて立ち上がり、リュングと顔を見合わせて頷きあった。
「では、我らの里へご案内しよう」
言いながらリュングが歩みを進めた先は、大岩でできた空間の奥。そこは行き止まりであるが、彼は迷うことなく最奥の岩肌の目の前まで進む。
子響はロンフォールを招き、リュングの背がみえるようにとその背後に下がった。
リュングが背後のやり取りを横目で確認してから、目の前の岩肌に触れる。途端、その岩が目の前から消え、真っ暗な口がぽっかりと開いている。その口からは、生暖かく湿っぽい風が柔らかく漏れ出てきた。
その風がまるで、さっきの魔物の吐息のようで、ロンフォールは思わず半歩下がった。
「大丈夫です」
優しく子響が背中に手を添える。
恐る恐る中を覗く。暗闇の中に岩でできた階段がずっと下に続いているのが見えた。不思議なことに、明るいがぼんやりとした薄い緑の光が点々とついているのが見えた。
「滑るほどではないが、暗いので転げ落ちやすい。気をつけるように」
そう言ったリュングは続いてくるように促して、先に一歩踏み出したのだが、彼はそこで動きを止めた。
ロンフォールは首をかしげ、子響に振り返ると、彼もまたわからないと言いたげに首をかしげた。
「レーヴェンベルガー卿が、もし、我らの害になったとしたら__」
唐突な話題にロンフォールはドキリ、としてリュングへ顔を向ければ、ちょうど彼も一段上になっているロンフォールを見上げるところだった。
「それも甘んじて受けるだろうな、我々は」
え、と言葉を失っているロンフォールに、くつり、と笑った彼は、歩みを再開して下を目指した。
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