刻ノ夢の緒 Ⅰ

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刻ノ夢の緒 Ⅰ

 晩餐会は、龍帝は御出座しにはならなかったが、五宮家(いつみやけ)のうち青篁宮(あおたかむらのみや)赤篁宮(あかたかむらのみや)白篁宮(しろたかむらのみや)玄篁宮(くろたかむらのみや)が御出座しになり、卓を囲った。  これに九州侯、教皇、大賢者、元帥まで加わる__これが通常のことらしい。  広間も、叙勲と休息のためにと設けられた広間より調度品は控えめ。加えて四宮がいるということでか、晩餐会は和やかでありながらも静謐さが漂っていて、いくらか緊張感があった。  リュディガーら矢馳せ馬を担った者たちは、四宮の近くに席を設けられていて、リュディガーは、他の矢馳せ馬の担い手三名とともに、青篁宮を囲うような席次__彼の場合、隣りの席。  キルシェはビルネンベルクのお付きという地位でありながら、ビルネンベルクとともに四宮__赤篁宮の向かいに席を設けられていた。  改めて、自分の担当教官であるビルネンベルクが帝国で有数な貴族だと言うことを肌身で感じながら終えた晩餐会。  こうした場には、ビルネンベルクのお陰である程度慣らされていたとは言え、神事の始まりから今の今までの長丁場、いささか気疲れはあった。  それをビルネンベルクも察していて、人に掴まるだろうから、と先に車までいざなってくれて、どっ、とあふれる倦怠感を噛み締めているところだ。 「__あのぉ……」  この日は、一苑まで招待されている者は自前の馬車で踏み入ってよいことになっていて、この車はビルネンベルク所有の車。御者ともキルシェはよく知っている顔なじみである。  恐縮した声に、キルシェは体を弾ませるようにして我に返り扉を見れば、そこには御者だけでなくリュディガーもいたから、さらに驚かされて目を見開いた。 「えぇっと……」  戸惑っていれば、リュディガーが片眉を上げた。口元はしかし、どこか笑っている。 「__聞いてなかったな」 「えっ……」  リュディガーはくつり、と笑って御者を見、御者は苦笑を浮かべた。 「先生はまだかかるから、先に戻れと」 「あら、まぁ。そうなのね」 「私もついでに同乗していけ……と言われたが、いいか?」  言ってリュディガーは、大きな鞄を示す。それは彼が大学を出立した時持っていた鞄で、正装を一式入れていたはず。本来なら、それを纏っているはずだった。  龍騎士の第一礼装で、外套まで纏っている者が大きな鞄を持っているという様は、なんとも不釣り合いで違和感しかなく、思わず笑ってしまった。  車に乗り込もうとしている者たちの衆目から、好奇の目に晒されている。それを本人も自覚しているらしく、自嘲をした。 「ええ、どうぞ」  助かる、と言い、リュディガーが御者に振り返ると、御者は力強く頷いて荷物を受け取り車の背後へ回った。その間に、リュディガーは乗り込む。  ぎしり、と軋む車。  彼より上背があるビルネンベルクが乗り込む時よりもはっきりした軋みは、武人と文人の差をまさしく表している。  リュディガーは、キルシェの横へ並んで腰を据えた。  数瞬遅れて今一度軋むのは、御者が御者台に乗り込んだからだろう。こんこんこん、と三度前方の壁が軽くノックする音は、出立の合図。  ほどなく馬車は動き出した。  景色が滑る車窓の向こうに、魔石と篝火とで照らされた宮殿を、キルシェはじぃっと見つめた。 「ここがリュディガーの仕事場」 「ああ、仕事場の一部だな」  何の気なしにこぼれた言葉。それは、ほぼひとりごちるような強さの言葉だったが、リュディガーは拾って答えてくれた。  キルシェはリュディガーへと視線を向ける。彼の肩からゆったり、と胸元までを輝きが目に留まった。  金色と玉の連なりの、金色の方には、よくよく見れば国花である矢車菊の彫金と七宝が施され、頸飾の中央の飾りには、一頭の龍の紋。  __四爪の龍。  帝国には、龍の爪の数で格を分ける文化がある。最大で五爪。五爪の龍は龍帝にのみ許された意匠で、加えて言えば、蓬莱式の蛇のような体の龍は龍帝にのみ許されている。  蓬莱式、帝国式にかかわらず、四爪、三爪、それ以下は隠すように描いていく、というのが一般に広く許された意匠であり、爪が少なくなれば格は落ちる。  リュディガーのそれは、蓬莱式で四爪__一般人が許された最大の数の爪の意匠であった。 「__勲三等……これが、一頭龍大受賞の頸飾」  龍の彫金は、さすが細かい。ただ、それ以上にキルシェが引き込まれたのは、矢車菊の意匠の方。その七宝の色が、どうにも引っかかった。  帝国の国花である矢車菊は、いわゆる徒花(あだばな)である。山、畑、道端、広場、どこにでもある。乾燥にも強く、寒冷地でも生育できる強い花。  花の季節は、初夏に盛があるとはいえ、晩秋にも見られることから、大きく分けて二度__長い期間見ることができる。  特別手入れがいるわけでもないどこにでもある花で、ともすれば邪魔な花でもあるから、国花といえど取り除かれることもままある。  __まあ、嫌いだから、という人はいないと思うけれど。  取り除くことは、罪にはならない国花。  色は、白、桃、紫とあるが、国花では青紫を採用している。故に、帝国民にとって、矢車菊といえば、この青紫が真っ先に浮かぶ。  冬至の今、彩り少ない時期。冬場は、この花が咲く頃を思い描いて寒さに耐えるのだ。  初夏の、金色の麦畑の中、その色は特に映える景色を。 「この花だけは、あの空中庭園でも取り除かなかった」 「国花だから?」 「……見放されないで欲しかったから、かしら。もちろん好きでもあるわ」  __……よく見る色……誇らしい色。  とりわけ、キルシェは親しみを覚える色。一年、常に見られる色。  __待って、何故常に……? 何でかしらね……。 「……ぁっ」  ふとよぎった疑問に、すぐ答えが浮かんで思わず声が漏れてしまった。 「ん?」  怪訝に眉をひそめるリュディガー。その双眸。紫が差す深い蒼。それはあたかも__ 「__これ、この七宝の色、貴方の眼の色だわ」  ほう、とリュディガーは頸飾に視線を落とした。 「こんな色か」 「ええ」 「勲章だけならまだしも……今度から、式典によってはこれを着けねばならなくなった」 「そうでしょうね。でも似合っているからいいじゃない」 「意外とこれ、重いんだぞ。着けてみるか?」 「そんな恐れ多いわ」  くすくす、と笑うキルシェ。  彼と談笑していると、疲れは薄れるし、体が温まる。いつもそう。  車中、独りだったときよりも、筋肉質で大柄なリュディガーが加わったことで、少しばかり暖かくなってきたように思う。それは気のせいとはいえないほどで、キルシェは外套の首を寛げた。 「そういえば、その首飾りは?」  寛げた胸元に、ちらり、と見えたのだろう。  蒼玉の輝きの連なりが、キルシェの胸元と手首にある。 「ああ、これは、ビルネンベルク先生のお母様が貸してくださったの。私、大部分を処分してしまったでしょう? それでああした場への物がなかったので、ならつかいなさい、と」  彼は、宝飾品を処理したことも知っている。だからこそ聞かれたのだ。 「なるほど、それで。__寒くはないのか?」 「ええ。__これもありますし」  キルシェは手元のマフを示した。  これは特に今日、重宝した。 「ありがとう、とても助かりました」  この筒状の手元の防寒着は、リュディガーが贈ってくれたものだった。数年前、彼が冬至の矢馳せ馬を担った時、会場の様子を見て、手元は絶対に寒いから、と。 「やはり違うものか」 「ええ、全然違うの。試してみる?」  キルシェは片手を抜いて、筒の中みせる。  残された手と抜いた手では、明らかに後者のほうが冷えていくのがわかる。苦笑して、残された手を抜こうと手を添えた刹那、リュディガーの手が差し込まれた。  驚いて体を弾ませれば、無骨な手が残された手をマフの中で掴んでくる。  息を詰めるキルシェ。手袋越しでも__手袋越しだからこそ、じんわり、と伝わる彼の体温が生々しく感じられてならない。
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