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龍の褒章 Ⅲ
__そういえば、叙勲されるという話があったわ。
それはまだだったのか。
勲三等の一頭龍大綬章は、リュディガーから聞いたところによれば、特殊な任務についた者に下賜されるものだという。
ビルネンベルクを見れば、彼は肩を竦めるばかり。その表情からは、初耳だということが伺い知れた。どうやら、いつものことではないらしい。
__異例、ということ……。
元帥が漆黒の箱を大賢者へ譲り渡し、受け取った大賢者がその箱を恭しく開ける。そこから教皇が取り出したのは、頸飾。
__一頭龍大綬章には、頸飾がつく。
それを恭しく手に持って、教皇は階を一段降り、リュディガーと御簾の前の間に立った。
「近う、ナハトリンデン卿」
当代教皇は女だ。
雰囲気はどこかレナーテル学長のそれに近いものがある。
はっ、と声を発したリュディガーは立ち上がり、教皇の前まで進み出た。その前で一度礼を取れば、教皇が頸飾を掲げて示すので、彼はやや頭を下げて待つ。
その首に頸飾が掛けられ、リュディガーは今一度礼を取る。
教皇と入れ替わるようにして元帥が立ち、元帥によって胸に勲章がつけられるのだが、その時、彼らの目が交わったらしいのをキルシェは見た。
彼ら__キルシェから見えるのはこちらを向いている状態の元帥だけだが、元帥はリュディガーへ笑みを向けていた。
教皇、元帥、大賢者が下がるに合わせ、リュディガーはその場に跪礼をとり頭を垂れた。
その頭に向けて、今度は地麟が口を開く。
「加えて、ナハトリンデン卿には、男爵位を授ける」
ぴくり、と大柄な体が反応したように見えたが、リュディガーは顔をあげそうになるのを押し留めたらしい。
「__以後、リュディガー・フォン・ナハトリンデン男爵と号すように」
「……ありがとう存じます」
わずかに戸惑いが滲んでいて、少しばかり硬い口調。
気心が知れたキルシェだからこそわかるそれ。ふと、横のビルネンベルクを見れば、彼もやはりそれを察したらしく、くつくつ、と喉の奥で笑っている。
「ナハトリンデン卿、面を」
地麟に従い、リュディガーは顔を上げる。
「他にも、いくつか報奨を用意しました。陛下は、よく龍勅に従い果たした、と。そなたの忠義を決して忘れない、と仰せです。今後も、国民のために研鑽を積むことを望みます」
「御意」
龍帝は御簾の向こうから、ただの一度も顔を出さない。声すらも掛けない。常に階の下の臣下に言の葉伝える君なのだ。
__それを目の当たりにしてる、私。
この場にいる誰しもが、こんな場面に出くわすことは夢にも思わなかったことだろう。
光栄の極み。感涙する者もいる。
天麒と地麟が、ふいに背後を肩越しに見、次いで体を向き直して一礼を取った。そして、彼らは今一度広間の方へと体を向ける。
「__では諸君、このままどうぞごゆるりと」
「刻限になりましたら、晩餐の席へ案内いたします故」
天麒と地麟がそれぞれ言った直後、御簾が静かに上がった。
そこには先程までなかった豪奢な彫刻が施された石の椅子が一脚、鎮座していた。そこに龍帝がいたのだろうか__そんなことを考えていると、柱の陰__どうやらそこに出入り口があるらしい__へ天麒と地麟が下がっていく。
それに続く教皇、大賢者、元帥と、そして九州侯。
広間には残された面々は、しばらく固まっていたが、それを打破したのは跪礼したままのリュディガーだった。
その立ち上がった彼を見て、皆拍手を贈りはじめる。
彼はその拍手の中、視線が合った者とは会釈を返し、キルシェとビルネンベルクがいる場所へと足を進めていた。そんな彼に称賛の言葉を掛けてくる者ももちろんいて、いくつか言葉を交わす。
「__一躍、この場の主人公じゃないか」
くつり、と笑うビルネンベルク。
「耐えられるかな」
ビルネンベルクの揶揄に、キルシェは苦笑を禁じえない。
彼は担ぎ出される、ということが苦手だった。それはどうやら今でもそうらしいことが、彼の様子から伺い知れる。
「__またまたご苦労様だね、ナハトリンデン男爵」
やがてたどり着いたリュディガーに対して、ビルネンベルクは人の悪い笑みを浮かべて言った。
「まあ、おめでとう」
「……ありがとう存じます」
いくらか渋い顔で応じる彼に、キルシェは笑う。
「よかったですね。叙勲に、爵位まで。__それ以上の功労だったのは、間違いないですから」
「ありがたいことには違いないが……なんでまた、こんな騙し討ちのようなやり方になったんだか……」
おや、とビルネンベルクは驚いた顔をする。
「__わからないのかい? これだけの面々が揃った場はそうそうないから、叙勲を遅らせていたんだよ。__君のためだ」
「私の……?」
「君、恨みを買っている立場だということも、自覚しているだろう?」
__恨み……。
キルシェは、息を呑んだ。
「君は前イェソド州侯に阿って、『氷の騎士』なんて異名をもった懐刀になった。その裏にある事情を知る者なんて、一般人には皆無だ。同胞にだって、だろう?」
「ええ……まぁ……」
「叙勲は後に続く者たちへの示しなのはもちろんのこと、爵位まで授けたのは、それ相応の働きへの報いであることは間違いないが、陛下の密命を受けてのことだった、との証左になる」
「……」
ビルネンベルクの言葉に、リュディガーは口を引き結んで難しい顔になり、やや視線を落とす。
その肩を、ビルネンベルクは軽く叩いた。
「君は見返りを求めてのことではなかっただろうが、それぐらいの働きをみせたのは違いないさ。寧ろ、もっと与えられてもいいぐらいだと思うね。__だって、帝国がなくなっていたかもしれないのだから」
それはたしかにそうだ、とキルシェは力強くうなずいた。
彼が身も心も削って働いたからこそ、養父の姦計は阻止され、帝国は存在する。
それに、とビルネンベルクはそこで人の悪い笑みを浮かべた。そして、意味深な視線をキルシェへと向けるから、リュディガーと一緒に顔を見合わせて怪訝な視線をビルネンベルクへと向けた。
「__爵位を得られた、ということは、コンバラリア家のご令嬢を迎え入れても申し分はないんじゃないのか? その許可を暗に示した……と私はそうも捉えられたね」
「は?」
「え……」
リュディガーとキルシェは、面食らう。
自覚がないが、自分は帝国にとってそれなりに大事な位置づけの家系であるらしい。特殊な役割を担っていて、今でこそその役目を返上したから、ごくごく普通の一般人に等しいのだが、それは自分がそう思っているだけで、相変わらず帝国にとっては貴賓の括りにある。
そして、後見人にビルネンベルクが据えられているのは、そのためだという。
「__まあ、釣り合いがとれている爵位かは置いといて、無いよりはましだろう。よかったじゃないか」
知らない、実感がないうちに、そうした事柄にまで配慮がされているということは、にわかには信じがたいが、ビルネンベルクの見立ては行き過ぎで、間違いであるという証明もできない。
名家であるからこそ見えてくるものがあるのかもしれない。
くつくつ、と喉の奥で笑うビルネンベルクは、側近くに挨拶へきた御仁へ、リュディガーを紹介するために動いた。
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