ツノ

1/1
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ

ツノ

   チン、となんでもないように、ただただいつも通りの安っぽい到着音が狭い室内に響き、これまたなんでもなかったかのように扉が両サイドに向かって開いていく。    咄嗟に閉まるボタンを押してしまったが、運悪くというか、運良くと言えばいいのか悩むところだが、運良くと言っておこう。なんでもプラスに捉えた方が人生うまく行くって露店の占い師も言ってたし。  運良く、扉は閉まらず、一瞬固まるような動作はあったものの、無事に元気に扉は開いていく。  扉の向こうには暗闇が広がっている。  あれ、今日はなにもないのかな。  そう思って暗闇の中をそろりと覗くと、ぬらりと何かが姿を現した。  つい、「ひっ」と声が漏れ出た。  ゆっくりと入ってきたのは、色こそは私の知っている生き物とは違うものの、真っ赤な大きなツノを持つ、鹿のような生き物だったのだ。    うそうそ。やばいやばい。つい口端がひくつき、壁にピッタリとくっつき避難を試みる。しかしここは狭いエレベーター内。逃げ場などない。  ズシンと室内が入り込んできた者の体重で揺れ、軋む音がする。  思いがけず揺れるエレベーターに、入り込んできた生き物の大きさと重量を感じて冷や汗が止まらない。絶対目を合わせたりしないぞ。私は空気。私は空気。 「よいしょっと。あ!おねーさんだ。久しぶり!1か月ぶりくらい?」 「へ?ぎゃあ」  突如明るいボーイソプラノの声が響いて、パッと侵入者に目を向ければ、恐ろしい真っ赤なツノと濁った瞳が視界に飛び込んできた。驚いて腰を抜かしそうになったが、誰でも目の前に動物の顔が近づいてきたら驚く。不意打ちで、しかも都会のど真ん中のエレベーターでそんな事態になる確率なんてどれほどのものだろうか。とにかく低い事だけはわかる。  よって私が腰抜かしそうになった件は誰も揶揄ってはならぬ。  屁っ放り腰になりながらも声をたどって視線をそろそろと下へ下げれば、そこにひょっこり現れたのは、あどけなさの残る男の子の姿だった。  その少年は、このエレベーターに異常があるたびに現れる不思議な少年である。私は彼を少年と呼んでいる。決して名前を忘れているわけじゃないぞ。 「あ、しょ、少年じゃん」 「や!僕の名前はルークだって。よっと」 「うわっ」  少年が担いでいた鹿(だと思う)をヒョイと床へ下ろしたため、ぐわんと室内が揺れ、足元がぐらついた。 「おねーさん、全然会わなかったけど、どこで働いてるの?ギルド?」 「ギルド?」  ギルドってなんだ。  急に飛び出したRPG用語のような単語に首を傾げる。少年も私の様子を見て同じように首を傾げた。 「えぇ?ギルド知らないんだ。じゃあ、何しにこれに乗ってるの?」  何しにだと?  家に帰るんだよ。 「家に帰るためだよ。少年こそそのギルド?ってやつに何しに行くの?そんな、なに?これ?鹿?鹿の剥製持って。おつかい?」  少年はむすっとむくれて、「おつかいじゃないし」と呟くと、おねーさん世間知らずか?なんて言ってきた。  テメェ......。 「こんな時間に女1人で家に帰るなんて、おねーさん強いんじゃん。冒険者?」 「つよ、いの......?っていうかみんなこんなもんでしょ。私は、うーん。早い方なんじゃないのかな」  少年は訝しげに目を細めてまた首を傾げている。冒険者、冒険者ね。  人生は冒険だ!とかなんとか言うし、この都会ジャングルで生きてるだけでも冒険者かも知れない。職業、冒険者。  やばい奴じゃん。 「ふぅん」 「少年は冒険者?」 「そうだよ」 「すごいじゃん。で、何するの?冒険者って」 「......知らないの?」  頷くと、少年は鹿に向けてピッと指を指した。  鹿。その剥製の鹿がどうした。 「ギルドで倒してほしい獲物を聞いて、仕留めて持ってくるんだ。こいつもそうだよ。ツノが高く売れるんだ!」 「えっ売るの?」 「売るよ。そのために狩ってきたんだからさ。あとね、肉!うまいんだ!こいつ」 「食べるの!?」 「食べるよ!嘘だろ?なんだよ。おねーさん人生損してるね。切り分けてあげるよ」 「今ここで!?や!いい!大丈夫!!」  腰に括り付けられているポーチからサッと取り出した小型ナイフで少年が切り取るジェスチャーをするが、ここで解体ショーなんてご冗談。スプラッタすぎる。「あ、そう」とちゃんとナイフを仕舞うところまで見送ると、室内にチンと軽い音が鳴る。  4階に着いた合図だ。  扉が開く動作に入る。 「じゃ、おやすみ少年。さようなら」 「うん。またね。おねーさん」  手に持っていたコンビニの袋をガサガサ探り、飴玉が入った袋を取り出す。  大容量フルーツ飴。メロンからみかんまで5種類の味が楽しめる昔ながらの飴玉だ。  子供といえば飴。いや、大人になっても食べるけどね。  封を切った袋から、小分けにパッケージングされた飴玉を取り出し、少年に握らせる。 「これあげる。おすすめは桃味だよ」 「あ、りがと」  不思議そうに飴を眺めると、ぎゅう、握りしめ、まるで宝物のようにそっと腰にぶら下がるポケットに仕舞い込むのを見届けて、エレベーターを出た。  そこは暗闇なんかじゃなく、いつもの、いつも通りの私のよく知る景色。    携帯をポケットから取り出せば、圏外だった表示は無事に電波を拾ってその機能を取り戻している。  コンビニの袋の中の、パッカリ開いた飴玉の袋を覗き込む。  いくらか少なくなった飴玉に、先ほどの少年の顔を思い浮かべる。  あの大人びた謎の少年が、ぎゅうと飴を握りしめた時のポンと赤らむ子供らしい、嬉しそうな顔を思い出す。それだけで、不思議と良い一日だったと思えた。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!