6 僕の好きな映画

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6 僕の好きな映画

 真っ暗なスクリーンに、主人公の苦しそうな息使いだけが聞こえて、なぜか自分も少しだけ息苦しくなる。暗闇の中に一筋だけ薄暗い光が差し込んだと思ったら、画面いっぱいに悪霊となった恋人の顔が映し出された。生前の爽やかな笑顔まで忘れてしまうほど豹変した醜い姿は、首に下げているネックレスが無ければ、恋人だとは気づかないだろう。自分を守る為に悪霊になってしまった恋人を、主人公は葬らなくてはならないのだが、恐怖と恋心がそれを阻む。しかし、恋人の最後の言葉が悲しい決断をさせた。妖刀と呼ばれる刀を手に悪霊となった恋人と対峙し、格闘の末、恋人の頭を切り落とし、あちらの世界につながっている小さな祠に収めて物語は、終結した。  最近のホラー映画の中では、一番の出来ではないかと思えるくらいおぞましく、悲しく、爽快な出来に満足しながら、主題歌と共に流れるエンドロールのスタッフまで真剣に見ているのに、僕の右腕にしがみつきながら肩を震わせている澄香さんが気になって、画面から視線を移した。  ただ、怖がって震えているだけだと思っていた澄香さんは、息を殺しながら泣いていた。その姿は、いつも自分勝手に振舞っている姿からは想像できないくらいか弱く儚げで、僕は思わず小さな頭を撫でた。  澄香さんが涙に濡れた大きな目で僕を見たから、改めて僕たちはすごく近くに居ることに気が付いた。僕がもう少し顔を下げたら、澄香さんのおでこに鼻が当たってしまいそうだった。だからか、まだ暗い館内でも、澄香さんの頬を伝う涙が見えて、思わず手で拭った。澄香さんはじっと僕の目を見つめると、そっと目を閉じて口を結んだ。  僕はゆっくりと顔を近づけて、囁いた。  「怖くて泣いてるの?それとも感動して泣いてるの?」  周りの観客に邪魔にならないように、でも、大きな音で流れる主題歌には負けないように澄香さんの耳に確実に僕の言葉を届けると、その答えが知りたくて、驚いたように目をパチパチとさせている澄香さんに僕の耳を少し近づけた。  澄香さんは僕の耳に手を当てると、答えじゃ無くて、冷たい指で耳たぶを強く引っ張った。  「えっ?」  驚いて思わず声が出てしまった時、館内はゆっくりと明るくなり始めた。  「怖過ぎるでしょ。こんなに怖いんなら、見なきゃよかったよ。もう、一人で家に帰れないじゃない」  「チケット買う前にホラー映画だって言ったよね。それでも見るって言ったの、澄香さんだけど」  「だって、こんなに怖いと思って無いし。それに、有吾が選んだ映画は見てみたかったし。でも、恋人を思う気持ちが切なくて、最後は、怖いのか悲しいのか分からなかった」  「そう。この監督が描く作品は、ただ怖いだけじゃ無くて、ストーリーもしっかりしてるから、リアリティがあって説得力があるんだ。だからもっと怖さも増す。澄香さんにもそれが伝わって、嬉しいよ。震えながら見た甲斐があったね」  「…それはそうかもだけど。こんなに泣くとは思わなかった。メイクもボロボロだし。メイク直しに時間かかっちゃうじゃない。でも、ちゃんと待っててよ。先に帰ったりしないでよ」  「全然崩れて無いよ。こんなに泣いてるのに、いつも通りキレイだけど」  僕がまだ頬に残っている涙を指で拭うと、澄香さんは急に立ち上がって「とにかく待ってて」と捨て台詞のように言って、僕を残して出て行った。  ホラー映画が苦手なのに無理をして僕に付き合ってくれたって事だし、今まで僕が澄香さんに付き合って来た事とお互い様って事にして、澄香さんに密かに腹を立てたことは水に流すことにした。  一人で帰るのが怖いと言っていたので、今日は家まで送ってあげることにしよう。  僕はロビーの椅子に座って、鞄の中に入れてある本を読みながら澄香さんが出てくるのを待った。  レポート用に借りた本は澄香さんと関わらなければ、もうとっくに読み終えていて、今頃はレポートに取り掛かっているハズだった。予想外に乱れた勉強のスケジュールを少しでも取り戻すべく読み始めたらいつものように集中してしまい、ポケットに入れているスマホが震えるまで一人の世界にいた。  「あっ、アルバイト…」  取り出したスマホがアルバイトの時間だと教えてくれている。  「何時から?」  いつの間に隣に座っていたのか、澄香さんが問いかけた。アラームは余裕をも持たせて設定してある。  「19時から」  「じゃぁ急がないとギリギリになっちゃうね。行こうっ」  澄香さんは相変わらず冷たい手で僕の手を掴み、ハイヒールなのにスタスタと人を避けて歩く。てっきりアルバイトも休めと言われるのではないかと思ったから、理解の良さに少々驚きつつ、そう言えば、家まで送る約束をしていた事を思い出した。  「僕がこのままアルバイトに行ったら、澄香さんを家まで送れないけど、いいの?」  「じゃあ、アルバイトも休んで、私を家まで送ってくれる?なんて、そこまで我ままじゃ無いわ、私。今日は、色々楽しかった。カーディガンも買ってもらったし。だから、怖いけど、一人で頑張って帰ります」  澄香さんはキレイにメイク直しをした顔で、表情豊かに話しながら僕が勝手に買った白いカーディガンをそっと撫でて、にっこりと笑った。  「そうか。じゃぁ、気を付けて帰って。もし一人が怖いなら、あの元気な友達に来てもらうといいよ」  「そうだね。まぁ、あの子達なら呼ばなくてもウチに来きそうだけど」  「そうか、良かった。澄香さんにいい友達がいて」  「いい友達?…かもね。お節介で、自分勝手で、うるさくて。でも、そのおかげで今、有吾と一緒にいられるんだけどね」  「…おかげ?」  今、こうして澄香さんに手を引かれているのが、澄香さんの友達のおかげなのか分からなくて首を傾げたけれど、澄香さんはそんな僕を見て、またにっこりと笑った。  「そうだ!この週末、アルバイトが無い日はある?」  「あぁ、えっと、日曜日。レポート書くつもりだったから、空けてある」  「そのレポート、日曜日じゃなきゃ間に合わないの?」  「間に合わないことも無いけど、どうして?」  「このカーデガンのお礼がしたくて」  「そんなのいいよ。僕もこのTシャツ買ってもらったし」  「そのTシャツとこのカーデガンじゃ、値段が全然違うでしょ」  まぁ、確かに。勢いで買ったけれど、澄香さんに連れられて行った店は、僕の普段行く店の2倍から3倍の値段がして、会計の時に驚いた。  「だから…デート…」  「デート?」  思いも寄らない言葉に驚いて、意味は分かるのに、聞き返してしまった。  「私たち、世間的には付き合ってる事になってるのに、SNSにデート写真とかをアップしないのは不自然でしょ」  そうなのか?と、世間の交際事情に疎い僕は分からず、黙って話を聞く。  「だから、SNSにアップできるようなデート写真を撮りに行きたいの」  「僕たちは本当に付き合ってるわけじゃ無いんだから、そこまでする必要は無いんじゃないかな?もしその後すぐに、澄香さんに好きな人が現れたら、僕の写真とか、邪魔なだけなだと思うけど」  「その時は、消せばいいの。そんなことよりも、私たち、本当は付き合って無いから、本当に付き合ってるみたいにしなくちゃ、じゃない。友達だってまだ疑ってるし、DMもウザいお誘いが多いし。今のままじゃ、虫よけ効果が無いんだよね」  また口を尖らせている澄香さんは何だかいじらしく、近所の子供が共働きの両親の帰りが遅く一人で寂しいのに、寂しくないと強がっていた時の顔と似ていて、頬が緩んだ。  「そっか、分かった。じゃ、日曜日、デート写真を撮りに行こう」  「ホント!」  「うん」  「じゃあ、水族館!私、水族館に行きたい」  「いいよ。じゃ、水族館に行こう」  澄香さんの明るい笑顔は、僕まで笑顔にした。              
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