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嫉妬
ああ、書にするのではなかった・・・
やはり、和歌にするべきだった・・・
何を考えているのだ。私は・・・
胡蝶に触れたかったのか・・・?
だから、書の練習にした・・・?
私は・・・胡蝶を・・・
女子として見ているのか・・・?
いつものように、
落ち着いて胡蝶の書くものを
見ることができない・・・
どうしても
顔や細い肩や白い手や・・・
そんなものに目が行ってしまう・・・
・・・い・いかん・・・
どうしたらよい・・・
一之丞はひどく困惑していた。
・・・書の練習を早めに切り上げ、
胡蝶を帰した後・・・
一之丞は一人弓庭にいた。
矢を番え(つがえ)、射る。
何度も、何度も。
矢は的に当たらない・・・
心の乱れを表していた。
私は、
胡蝶を愛しいと思っているのだろうか…
そうではあるまい・・・
胡蝶自身を見ているだろうか・・・
そうでは、あるまい・・・
胡蝶の中に、
芙蓉の、蓮の面影を重ねているのだ・・・
だから・・・
笑えば蓮に見え、
困った顔は芙蓉に重なり、
怒れば蓮を思い出すのだ。
このような心のまま
胡蝶を愛したところで・・・
身代わりに過ぎぬ。
そのような酷い(むごい)ことを
あの幼い、無垢な娘に・・・いかん。
己の欲を貫くのであれば、
蓮を抱けばよかったのだ。
蓮も、
それを望んでいると感じていた。
だが、それはしてはならぬこと・・・
いくら想いあったもの同士であったとしても、
生れ落ちたそれぞれの時を
生きねばならぬ。
それが人の定め。
私と蓮は生きる時が違うのだ。
もう、二度と交わることはない・・・
わかっている・・・
分かっているが、
諦めきれないのだ・・・
だからせめて・・・
蓮と同じ境遇の
父を失った恵まれない娘を育て上げて
幸せにしてやりたいと思った。
それが、
唯一できる蓮への償いと思ったのだ。
それが・・・どうしたらよい・・・
一之丞は休まずに射続けていた。
額に浮かぶ汗をぬぐおうともせずに・・・。
いつの間にか、
傍らには宇山が控えていた。
「お殿様、息が乱れておりまする。
呼吸を整えなさいませ。」
「うむ・・・」
足の位置を決めなおし、
臍下丹田に意識を集中する。
鼻から吸った息を、
口から長く細く吐いていく・・・
吐ききったところで、
すうっと吸い込み溜める・・・
初めて真ん中に当たった。
「おみごと・・・
やっとお心が落ち着かれましたか?」
「・・・今のは、
そちが声を掛けてくれたから当たったのだ。」
「未だ、お心が定まりませぬか。」
「宇山。
どうやら私は嫉妬深い人間のようじゃ。
蓮と望が結ばれて欲しい、
それが二人の幸せの道であり、
芙蓉の想いも果たせることになると
分かっていても、許せぬ。
望が私の生まれ変わりだと分かっていても、許せぬのだ。
私は望に嫉妬しているのだ。
弟は私に、哲也は望に
このような気持ちを抱いていたのであろうか。
茜は芙蓉に、雪絵は蓮に・・・
己の決して手に入らないものを持っている者に、
人は嫉妬するのであろうか。
この醜い感情から逃れるにはどうしたらよい?
そなたは、私に嫉妬しなかったのか?
そなたも芙蓉を好いていたのであろう?」
「私の場合は・・・どうでございましょう。
そのような感情を、
お殿様に対し抱いたことも
あったやもしれませぬ。
しかし、私は所詮片思い。
芙蓉様が、
私のことをそのような目で見てはいないことは
明白でございましたゆえ、
一人相撲でございます。
私は土俵にさえ上がらせてはもらえぬ者。
これでは、嫉妬のしようがございませぬ。
やはり、
同じ土俵にいると思えばこそ
人は嫉妬するのではございませぬか。
決して手に入らぬとは思っていないのでございます。
本当は、自分のものであったはず、
と、どこかで思っているからこそ嫉妬するのではありますまいか。」
「・・・そうか。そうかもしれぬ。
私があの時代に残り、
望が目覚めることなく、
蓮と過ごすことができたかもしれぬ・・・
そういう未練があるのかもしれぬな。
愚かなことだ・・・
いくら後ろを振り向いたところで
どうにもならぬのに。
前を向かなければならぬのに。
宇山。もう、下がってもよいぞ・・・夜も更けた・・・
私は、今しばらく射ていく。」
「はい…、殿、ひとつ申し上げねばならぬ事がございます。」
「なんだ?」
「先だって、
婚姻することになったことを申し上げましたが…」
「うむ、覚えておる。
祝いをせねばと思っておった。
日取りが決まったのか?」
「いえ、それはこれからなのですが、
相手のことを申し上げてなかったので…」
「そういえば、聞いてなかったな。
どこの娘だ?」
「はい、実は…申し訳ございません。
芙蓉様の母方血縁の娘を殿がご所望と知らず…、
芙蓉様の母上から殿にお詫びしておいて欲しいと頼まれておりました。」
「ああ、芙蓉の母を呼んで内密に話した娘のことか。
なかなか城に来ぬと思っていたが、
そなたに縁づいていたのか。
それならば、良い。
どうせ、誰かを側に置かねばならぬのなら、芙蓉の縁者をと思ったまでだ。
そちと縁組みしたのであれば、
その方が娘にとっても幸せであろう。
母者にも詫びるに及ばず、
私は、喜んでいると伝えてくれ。
隠居の身で、
城には来づらいであろうから。
もう少し射るつもりであったが、
良き話を聞けて気分も落ちついた。
終いにして部屋へ戻るとするか。」
「はい。
殿に喜んでいただき、
安心いたしました。
芙蓉様の母上も安堵されることでしょう。
大変気に掛けておいででした。
殿のお身体のことも。」
「そうか…
そちから、
もう大丈夫だと、安心するよう伝えてくれ。」
「かしこまりました。」
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