時という壁

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時という壁

殿は病んでいた。 病は重く、 回復の見通しはない。 薬師もすでに匙を投げていた。 ここ数ヶ月、 執務は若君が代行していた。 幕府に父の隠居を願い出て、 一日も早く後を継ぐ手続きも 踏まねばならない。 「今日は、 もう切り上げたいのだが、よいか。」 傍らの役人に問うた。 まだ机の上には、 決済書類が山と積まれている。 「急ぎの案件は済みましてござります。」 「遠駆けに参る。宇山を呼べ。」 時間をおかず、近習の宇山が来た。 「若君様。お呼びにござりますか。」 「ん。馬、引け。 供は、宇山だけで良い。 参るぞ。」 街を抜け、山に入った。 二騎が駆けていく後から、 どこからともなく さらに二騎が加わった。 真山と千谷だ。 両名とも家の身分は低いが、 一之丞が幼少の頃より 勉学・剣の修行に共に励んだ “友”のような存在。 荒野を四騎が駆けていく。 速度を緩めることはない。 まるで、 誰かに追われているかのように…。 「どおぉ!」 崖の直前で一之丞は馬を止めた。 日が傾き、夕闇が迫っていた。 「真山よ。 ここから飛べば、 後の世にもう一度行けるだろうか。」 「若君様…。」 3人の“友”は、 あの“三日間の出来事”を 一之丞から聞かされていた。 真山は、 一瞬言い澱んだが再び口を開いた。 「恐れながら、 ここより飛んだところで、 堕ちて死ぬばかりにございます。 あの時は、 望様と蓮様を 若君様がお救いになる必要があったので、 後の世に行くことができたのでござります。恐らく。 問題はすべて解決いたしました。 もう、 若君様が後の世に 行かれることはないかと…。」 「そうであるな…。 後の世には望がおる。 私が行く必要は、もはやない…。」 「若君様。夕刻が迫っております。 お戻りを。 夜道は危のうござります。」 「千谷よ。 そなたも早う出仕せよ。 店はだれぞに任せて。 余の手足となって 情報を探るものが必要じゃ。」 「若君様。 私は、城へ上がるより 市中で店を営んでいるほうが 気が楽でございます。」 「そう申すな…。」 「若君様。 申し上げたいことがございます。」 「なんだ。宇山。」 「私、 近々妻を娶ることにいたしました。」 「宇山…。そうか…。 めでたい…な。」 「叶わぬ方を 何時までも想っていても せん無いことと思い至りました。 父を安心させることも 子としての道かと…。」 3人は、一之丞がまだ、 芙蓉と 後の世で出逢った蓮(芙蓉の生まれ変わり)を 忘れられずにいることが、 分かっていた。 芙蓉の死後、 数人の側女を置いたが、 いまだ身籠もることなく、 心を通わせることができずにいた。 「そう…か。そうであるな… …そなたたちには 教えられることばかりであるな…。」 一之丞は苦く笑った。 「戻るぞ。  はっ!」 時という 隔てるものは 超えがたく    夕日を浴びて 立ち尽くすのみ
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