娘を探せ!

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娘を探せ!

千谷が商う飯屋に、 一人の若者が入ってきた。 「あ、すみませ~ん。 今日はもう終いなんですよ。」 千谷が手を拭き拭き出てきた。 「おや、真山様じゃありませんか。 お勤めは?」 「うん。少し話があったので、 上がってきた。」 「左様ですか。 少しお待くださいね。 閉めてしまいますから。」 「お待たせしました。 こんな物しかありませんが。」 と麦茶を出す千谷。 「ちょうど喉が渇いていたのだ。 いただくよ。 殿は、 後の世には こーひーなる飲み物や 紅茶というものがあると 言われておられだが、 我らには、 緑茶でさえ贅沢品じゃ。」 「左様ですね。 …実は、 清国にいるある国の大使が コーヒーや紅茶を持ち込んで 飲んでいるとか…。 まあ、 長崎は幕府が抑えておりますから 我らにはどうにもできませぬが。」 「よくその様なことを存じておるな。千谷の地獄耳には感服するぞ。 やはりそなたのような者が 殿のお側に必要なのだ。 こういうことは千谷でなければ…。」 「どうなされたので?」 「実は、先ほど、 殿に呼び出されて…」 数時間前   「お呼びでございますか。」 「ん。真山か。入れ。」 殿はまだ食事の最中で、 給仕の女中が数人仕えていた。 「お前達は下がってよいぞ…」 女中達が下がっていくのを見届けてから、 殿はため息をつくように つぶやいた。 「あの者たちに年中取り囲まれていては、 食べる気も失せる…。 ああ、すまぬな、真山。呼び立てて。 格別用事があるわけではないのだ。」 膳を見ると、 ほとんど箸をつけていない。 「殿。お食事が進みませんか?」 「うむ。 別に腹が痛いわけではない。 心配せずとも良い。 そちからも言うてくれぬか。 膳の品数をもっと減らせと。 一人で食べきれぬほど料理はいらぬ。 無駄じゃ。 女中達に、何度申しつけても 埒があかぬのだ。」 「かしこまりました。」 仕方がないように 少し膳の物をつまむと、 殿はもう箸を置いた。 「蓮は、料理が達者でな… 食事が楽しみであった…。 海鮮鍋と言うものを食べさせてくれたことがあった。 魚や貝が野菜と共に煮込まれていて 誠に美味で天晴れな鍋であった… 芙蓉が給仕で側におった時は、 不思議と食が進んだのう…」 そうつぶやくと、 殿はつと顔を背けた…。 …涙が、殿の頬を流れて落ちた。 殿が泣いておられる…。 われらの前では 涙など見せたことがなかったのに…。 真山は思わず顔を伏せた。 「…口やかましい女人であったが、 料理の腕は天晴れであった…。 なにやら、 静なのも…淋しいものだな…。」 殿はそっと涙をぬぐうと、 声を上げた。 「たれか、ある!」 「お呼びでございますか。」 「もうよい。膳を下げよ。」 「かしこまりました。」 「真山よ、もう少し付き合え。 庭を歩こうぞ。」 庭をそぞろ歩きながら、 殿は池の水面に広がる波紋を見詰め、 一人想いに耽っている。 芙蓉よ…。 さぞ無念であったろう。 そなたは、 身籠もっていたかもしれぬと 後から聞いた… 父と私の狭間で、 誰にも打ち明けられず どれほど悩んだのであろう… 私が、もっとしっかりしておれば、 悪しき企みを 抱く隙を与えぬようにしておれば、 芙蓉を、あのような目に合わさずとも済んだのかもしれぬ。 そなたの困った顔が可憐で… つい、謎かけをだしたり、 からかうようなことを言うてしまった。 そなたとの会話は楽しくて、 愉快で…、 打てば響くような才気が快かった…。 芙蓉よ…。 私は後の世へ行き、 そなたの生まれ変わりの女人と 出逢ったのだぞ。 そなたが引き合わせてくれたのだろう? 蓮というてな、 そなたとは違い口やかましくて、 愚かで、そそっかしく… 困った女人であった。 しかし、 そなたと同じく心は清らかで、 情けがあって、 可憐であった。 泣き虫で…、 すぐに涙をこぼして…、 働き者で… 元気でおるだろうか… 望と仲良うしておるか? 蓮よ… 数歩後を黙って付いていきながら、 芙蓉様と蓮様のことを考えているのだな、 と真山は思った。 殿は、ふと歩みを止めると、 真山の方に向き直った。 「真山よ。頼みがあるのだが。」 「ははっ。」 「芙蓉の墓に詣でて花を供えて欲しい。 自身で参りたいのだが、 側室にもならぬまま亡くなった故 そうもいかぬ。 藩主とはままならぬもの…。 それから、 姉の茜のところへ人を遣わし、 しばらくは身を慎んで 芙蓉の菩提を弔うように伝えよ。 いずれ、 私の世継ぎが誕生した折か 跡継ぎを決めた折に 弟の蟄居を解くと、伝えよ。」 しかし、 真山は俯いたまま返事をしない… 「真山、どうした。返事は…?」 膝をつき思い切って話しかけた。 「殿。 申し上げたいことがございます。」 「なんだ。」 「私の口を出すことではないと存じますが… 御国御前となられる方が必要かと。 お側に仕える女人をお選びになってはいかがでしょうか。」 「誰ぞに頼まれたか?」 「いえ、そうではありませぬ。 宇山様も千谷も心配しておりまする。 そのようにおやつれになられて、 食も進まず、 倒れられるようなことになっては、 大変でございます。 芙蓉様にも、蓮様にも、 お目にかかったことはございませんが 申し訳が立ちませぬ。 我らがお側におりましても、 こればかりは、 何のお役にも立てぬ事… それと・・・、 殿のお怒りは深いと存じますが、 茜様は、 弟君の御正室とはいえ、 企みに加担したわけでもなく… なぜ、 その様なことを お伝えになるのか解りかねます。」 「茜は、父の企みを知っておったのだ。 知らずとも、気付いていたはず。 でなければ、 妹の芙蓉が私の側女となり、 姉の茜が弟の正室になる。 おかしいであろう。 まして、茜は 藩内でも知られた美貌の娘だった。 そうは、思わぬか? 茜の処に、 気が進まぬなら、それは良い。 側に置く女子のことは、 心配かけてすまぬな。 実は、 芙蓉の母に、頼んである。 せめてもの供養にと、 芙蓉の母方の血縁の娘を城に上げるようにと。 近いうちに、参るであろう。」 だが、 1人では心許ないと思うのであれば、 そちたちも探してはくれぬか。 武家の娘で、 父親が早く死に、 男兄弟がおらず、 姉妹が居てもすでに嫁いで、 暮らしに困窮している娘が居ったら、 その娘を城に出仕させよ。 特に言わずとも良い。 私の目に付くところにおいて置けばよい。 気に入れば側に置くことにする…。」    「…という難題をいただいたのだ。」 「なぜ、殿はそなような娘をお探しなので? 探せば一人や二人はいるかもしれませぬが、…」 「千谷でないと難しいと分かったであろう?」 「殿は、 後の世で出逢った 蓮様と同じ境遇の娘を お探しなのかもしれませぬ。 蓮様は、 親がなく、苦労された方だそうだ。 なので、そのような娘の面倒を見ることで、…」 「芙蓉様と蓮様に何もできぬ代わりに、 償いたいと思われているのやもしれぬな。」 「わかりました。 善は急げ。 さっそく宇山様のところへ参りましょう。 我らが何とかいたしましょう。」 二人はがしっと手を握り合って、 ニヤリと微笑んだ。
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