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矢口冬彦の1
ラブホテルで使った安いシャンプーと安いドライヤーのせいで髪がごわつく。
まるで野良犬の様な毛並みになってしまった自分の髪に指を通しながら白み始めた夜明けの空を見上げると、砂粒程度に弱く輝く星を数個見つけた。
夜に帰り遅れたその星を見つめながら息を吐くと、寒さで二酸化炭素に色がつく。
それを生クリームみたいだとお前が言っていた事を思い出してしまった。
髪や体に残る市販のシャンプーやボディソープの匂い。それから飴みたいに甘ったるい香水の残り香が鼻を掠めて心臓に爪を立てた。
ジュワッと目の前の景色が滲む。まるで水に溶かした絵の具みたいに横に広がって色同士が手を繋ぐ。
帰り遅れた星なんかもう見えない。認識できるのは色のみだった。
冬の夜明けの風は冷たい。物凄い勢いで体温を奪っていくのに何故か頬だけが生ぬるい。
滲みは増していき、その度に生ぬるさが頬に広がり顎の先に集中している。
「あの人泣いてない?」
通りすがりの誰かがそう言っていたのが聞こえてきた。
俺は冷えた指先で自分の頬を触ると、濡れていた。
そして気づく。自分が泣いている事に。
あまりにも静かに泣いていたから自分自身気づかなかった。
気づいたらもう止まらなくなった。ポロポロと頬を涙の粒が転がり落ちていく。
ただ不思議と息は苦しくなかった。
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