矢口冬彦の13

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「本日はありがとうございました!」 閉演後、打ち上げのために集められた居酒屋でビールジョッキを高々と持ち上げて団長が感謝を述べる。 その後に続き他の劇団員も感謝を述べていく。 参加するつもりがなかった劇団の打ち上げにいる理由は、小堺さんだ。 「せっかくだから参加してよ!俺のメンツのためにもさ!」 いつになく生き生きとしている小堺さんの勢いに負けて参加したはいいものの、早く帰りたかった。 騒がしいのが嫌いとか、熱量が合わないとか、そんな事じゃない。 霞を思い出した今日は、もう寝て誤魔化してしまいたかった。 それに、あの人も参加しているから。 「みんなに紹介するな!お友達の杉山君!」 団長がそう言って紹介したのは、俺の隣に座っていた彼だった。 何やら鼻高々に彼を紹介した団長に引っ掛かりを覚える。 わざわざ周りに見せびらかして自慢しているように見えたからだ。 確かに背も高くスタイルも良く雰囲気のある顔をしている。所謂(いわゆる)いい男の部類に入るのは間違いない。 けど、それだけで自慢するか? 変なの。と思いながらビールジョッキに口をつけた。 生ビールの泡が唇についた時、女性の話し声が耳に入ってきた。 蚊の羽音みたいな鬱陶しいヒソヒソ声に敏感な俺はつい聞き耳を立ててしまう。 「ねぇ、団長が紹介してる人ってさ…杉山透(すぎやま とおる)だよね?」 「絶対そうだよ!後でサイン貰っちゃお!」 杉山透。その名前は俺も知っていた。 そして、納得する。 この人を霞に似ていると思ったのは今日が初めてではなかった。 灼熱の下、褐色に焼けた少年が汗を拭いながら飲料水を飲むCM。 当時17才だった俺はそのCMに目を奪われた。 CMに出ている駆け出しの俳優が大好きな人に似ていたから。
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